二次創作小説「水平線の、その先へ」

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1章 果てない海と 空の青(1)

 

 内浜地方気象台発表 午前6時の気象概況

 6月1日(水) 西の風 風力4 快晴

 

蒼穹」って、こんな空のことか。

 

 芝生に仰向けになって、まあるいドームみたいな青空を眺めているうちに、好きな小説で昔覚えた言葉が頭に浮かんだ。

 ここ内浜市はもともと雨の少ない気候とはいえ、六月初日に午後三時を過ぎても太陽が灼熱の光線を解き放ち、木漏れ日が地面に漆黒のコントラストを描くのは、いささか季節が早すぎる感が否めない。

 そういえば、私立内浜学園高等部の制服は、きょうが衣替えの初日だ。芝に寝転んで土汚れをつけたのを軽く悔いたが、後の祭りだった。

 視野の半分が、同級生の姿に切り取られた。影に目が慣れるまで数瞬かかり、最初に見えたのは白い歯と、影の肩から落ちたポニーテールの髪だった。

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「こんなところで寝てると踏んじゃうよ、空太?」

「……そこは『風邪を引くよ』と言うのが、定番だろうが」

 えー、定番なんてつまんないじゃん、と呟いた影は、ぱっと視界から消えると、見事なバック転を披露した。ポニーテールが新体操のひものように宙で円を描き、着地した仰向けの体が僕の右隣に倒れこんだ。

「朋夏の髪、ずいぶん伸びたな。小学校以来じゃないのか」

「ん……ずっと伸ばしたかったんだ。体操やっている時は、あんまり伸ばせなかったからね」

 宮前朋夏は、物心ついたころから、僕の後ろか横か前にいた。ちなみに、前にもいたところがポイントだ。

 幼馴染みの女の子といえば、男の子の背中でいじめっ子から守られるのが古典的な役どころのはずだが、朋夏の場合はいじめっ子を返り討ちにした武勇伝が、一つや二つではない。おまけに足が速いから、逃げる子まで追いかけてたたきのめしてしまう。おかげで小学校のころ、近所でついた仇名が「暴君朋夏」だ。

 朋夏は体は小さかったが、成長してからも運動神経と柔軟性は抜群だった。中学で体育教師に勧められて体操を始めると、誰にも真似のできないほどの長足の進歩を遂げた。中二で全国大会入賞、中三では五輪の指定強化選手に選ばれた。

 だが体操で大成するには、始めるのが少し遅かったらしい。高校でも体操部に入ったが、三か月でやめてしまった。去年の夏休みの直前だった。

 青い空には、無数のカモメが白い影を踊らせている。風情と呼ぶにはややうるさい鳴き声の中に、微かなモーター音が混じった。一機のモーターパラグライダーが優雅な飛行曲線を描き、朋夏の視線が追っていた。

「モーパラかあ……空太、小さい頃一緒にやったよね」

「小学生用の汎用機が普及し始めたころだな。朋夏はいつまでたっても降りてこないから、後で大目玉を食らったろ」

「ねえ、空太。ここから水平線まで、どれくらいあるのかな」

 飛行機から視線を外さず、唐突に尋ねてきた。

「あたしあの時、本当は水平線まで行きたかったのよ。あの向こうに何があるのか、きっとあたしが見たことのない素敵な世界が広がってるんじゃないかな。そう思ってね」

「約四・五キロ。マイルに直せば、ほぼ三マイル」

 僕の素っ気ない回答は、暴君のお気に召さなかったらしい。

「何それ。なんか夢がないなー。大体、どうして即答できるのよ」

「中学の数学の授業でやった。簡単な計算なんだよ」

「空太はあたしと違って計算とか漢字とか、中学の時まで勉強できたからなー。でも四・五キロはないっしょ。百キロは、楽勝であるんじゃない?」

 運動では万能の朋夏が、数学や理科がからきしダメなことも、僕はよく知っている。

「地球の半径と僕達の身長から導き出される、数学的な結論なんだ。ここが……目線の標高が六メートルとしても十キロいかない」

 現実なんて、気づいてしまえばいつだって期待外れだ。

「そうなんだ……遠くにあると思っても意外に近いって、あるのかもしれないね」

 朋夏には、僕とは違った水平線が見えているようだった。