2章 はばたく鳥に 憧れて(1)
6月6日(月) 北西の風 風力2 曇り
あの嵐のような金曜日から、三日がたった。この週末、僕は宇宙科学会に関しては、何もしていない。
放課後に購買部でパンを買ってから部室に行くと、ソファで珍しい男が漫画を読んでいた。
「上村……何やってるんだ?」
「よう、平山。待っていたぞ。いや、ちょっと聞きたいことがあったんだ」
上村は、僕が金曜日のドタバタで読むのを忘れていた漫画雑誌を、えいやっとゴミ箱に放り投げた。
「聞きたいって……それなら教室で聞けばいいだろう?」
「教室で聞けないから、ここまで来たんだ。情報を聞き出すのも、適切な時と場所が必要なんだよ」
上村がウインクをした。聞かれることは、ほぼ見当がついている。
「金曜日の件か。どこまで知ってる?」
「なんでも中央執行委員長と宇宙科学会が、全面対決したそうじゃないか」
解散命令だけでも、学内の騒ぎが大きかった。その通告を受けた宇宙科学会が、あの生真面目な委員長に反旗を翻したなんて、外から見れば面白すぎる話題だ。憶測が飛ぶのも、無理はない。
「委員長閣下が単身乗り込み、部室から会員の強制排除を実行。しかし猛反発にあい、激しいもみ合いになったそうだが。実際はどうなんだ?」
「おいおい、それはかなり脚色が入っているな」
否定はしてみたが、誇張とは言えそうにない。実際は、もみ合いよりもはるかに毒気と冷気に彩られた舌戦が行われていた。もみ合いのほうが、マシだった気もする。
「学会棟で二度も衝撃音と震動、それに怒号が響いたと聞くぞ」
委員長が机を叩いた時だな。確かに学会棟は老朽化していて、あの瞬間は部屋が揺れたが、物事はやはり可笑しく伝わるらしい。
「学会の解散について、冷静に話し合っただけだ」
「で? 結論は変わらず、か?」
「いや、土壇場で一週間の猶予が出た。中央執行委員長にしてみれば、委員会決議を理由に問答無用で追い出してしまえば、厄介ごとは減る上、部室も予算も余裕が出るはずなのに。委員長はたぶん、いい人なんじゃないかな」
上村が「さもありなん」という表情で、うなずいた。
「委員会に解散権限があるといっても、生徒の課外活動は自主独立が大前提だ。たとえ私学であろうと本来、他人から頭ごなしに解散命令を受けるような謂われはない。その原則を理解し、まして学園と交渉までしようという気骨のある奴が中央執行委員会に何人いるか、俺にははなはだ疑問だ。委員長の手法に内部批判もないではないが、その一点だけでも俺は、委員長には委員長の器がある、と思う。……わかるか平山、委員長は見る目のある人間が見れば、実に人間味のある御仁なのだ」
その点は、確かに同意できる。
「だがしかし、委員長には一方で、全部活動を統括する立場としての責任がある。架空学会があれば、厳しく対処することで示しをつけなければ、秋の予算交渉にまで悪影響が及びかねない。委員長の苦悩が、少しは理解できたかね」
そこを理解して欲しいのは、会長なのだが。
「それにしても上村、お前はお前で、やけに委員長の肩を持つな」
「違うな、俺は障害を踏み越え、正道を歩まんとするもの全ての理解者であり、味方なのだ……それはさておき、平山。これからどうするんだ?」
「どうって言われても……特に考えていないが」
上村がほう、っと呟いて、目を細くした。
「わが友人の平山は、やるべき時はやる男だ、と俺は見込んでいるのだがね……つまり、まだ機は熟していないと判断しているわけだ」
「あまり人を買いかぶらないでくれよ。僕には今後、一生やる気なんか出ないかもしれない」
上村が何かを反論しようとした時、部室の扉が開いた。
「ちーっす……って、上村君。どうして部室にいるの?」
「ああ、僕が勧誘した。きょうから上村は、宇宙科学会の一員だからね」
「ウソを言うな! いや、邪魔したな平山、それに宮前さん。きょうのところは、これで御免蒙る」
上村はそそくさと、部室を出ていった。その時、扉の影に湖景ちゃんがいることに気づいた。
「空太があたしを置いて購買部に行っちゃったからさ。一緒に部室に行こうよって、誘ったんだ」
朋夏は先週のショックで湖景ちゃんが落ち込んでないか、それとなく様子を見に行ったのだろう。こういう気の遣い方が、朋夏の良さだった。
「あの……私、どうしたらいいか、いろいろ考えたんですけど……」
湖景ちゃんの表情に不安は押し隠せないようだったが、密かに懸念していた「退部する」という選択肢が、なかったようなのは救いだ。
「うんうん。湖景ちゃん、何を考えたの? 勇気を出して、言ってごらん」
朋夏は意外に、幼稚園の保母さんとかも合いそうだ。湖景ちゃんには、失礼だが。
「その……ロケットを造って飛ばすとか、どうでしょう?」
「ロケット? ペットボトルの?」
「いえ……工学的にはその……無理があるとは思いますが……いえ、なんでもありません!」
湖景ちゃんは、真っ赤になって押し黙ってしまった。朋夏がすかさず、話題を変えた。
「あたしはさ、ラジコン飛行機はどうかなって思ったの。どうやったらよく飛ぶかとか科学っぽいし、ハマると結構、奥が深いらしいよ」
「それは確かに、科学的な活動ができるとは思うが」
「でしょ、でしょ!」
朋夏は目を輝かせたが、根本的な問題があることは、しっかり指摘しなければならない。
「大型ラジコンを購入、学校や旧校舎で放課後に飛ばしたとする。さて問題。これが委員長閣下の目に入った時、これは研究で遊びではありません、と説明して、理解していただけるだろうか? もちろん、宇宙科学会の過去の実績と行動に照らして、という話だ」
朋夏が、しおしおと萎んでいった。
「あーあ、部が存続して楽しい活動、一石二鳥だと思ったんだけどなー」
「朋夏、一石二鳥とか考えるのやめよう。地道に天文学の研究でもする以外に、存続の道はないって」
その時、ガラガラと扉が開いて、会長が入ってきた。
「はいはい、ちゅうもくー!」
会長は、いつになく足取りが軽い。小脇に丸めた紙の筒を抱えていた。
「会長……それは?」
僕の質問に、会長は「よくぞ聞いてくれましたー」と言って、机の上に両手でぱっと、紙を広げた。
「L、M、G、第一回競技会……って何?」
朋夏が、ポスターと思しき紙の、一番大きな文字を読み上げた。
「ライト・モーター・グライダー、略してLMG。簡単に言うと、モグラの一回り小さい版!」
「……モグラさん?」
湖景ちゃんが、また不安そうな声を上げた。それを聞いた会長が、愉快そうに笑った。
「コカゲちゃん、土の下のモグラさんじゃなくて、モーターグライダーの軽って意味だよー」
「グライダー……あのグライダーですか」
会長はうなずいた。
「動力がついているから、自力で離陸できるけどねー。基本はモグラ同様、あくまでグライダーだけど」
「あっ会長、奇遇ですね! あたしもラジコン飛行機を提案したんです!」
朋夏が元気よく手を上げた。
「ラジコン飛行機? トモちゃん、それ、中央執行委員会を説得できると思ったの?」
「え? いや、それは無理かなーって、あははは……でも、会長の提案も似てますよね!」
「うーん、ちょっと違うかもー」
会長は、にっこり笑った。
「トモちゃん、LMGは、人が乗るんだよ?」
「そうなんですか、人が……」
ええっ、と三人が同時に、天井を仰いだ。会長がおかしな話を持ち込むのはいつものことだが、今回は極め付けだった。