二次創作小説「水平線の、その先へ」

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9章 想いは一つの 羽となり(4)

 7月22日(金) 西の風 風力4 快晴

 朝から、西風が強い。あの六月の日と同じように。そして太陽は中天にさしかかり、さんさんと夏の光を地表に降らせていた。だが僕たちの心に立ち込めた雨雲の下に、その光は届きそうにない。

 予選会は、明日。そして時計は、午後二時を回った。時間切れ、だ。

 名香野先輩の考えを尊重する、などと悠長なことは言っていられなくなった。多少強引になっても、作業を進めるしかない。僕は湖景ちゃんに声をかけ、意を決して先輩に近づいた。先輩は相変わらずため息の連続で、作業が進展しているようには見えなかった。

「先輩、もう一度みんなで総チェックをしましょう。これ以上一人でやっても、解決しませんよ」

 名香野先輩はこちらを見ようともせず、不機嫌そうに沈黙していた。

「先輩だって、このままでいいとは思っていないでしょう?」

「当たり前じゃない!」

 思いのほか、強い反発が帰ってきた。

「私だって、一生懸命やっているのよ!」

「そんなことはわかっています。なあ、湖景ちゃん」

「はい……姉さんは、すごくがんばっていると思います」

 そう、先輩はすごくがんばっている。でもそのがんばりが、どう見ても空回りしている。一人相撲をしているから他の人が助けることもできず、時間だけが虚しく経過していく。

「そう言ってくれるのはうれしいけど、これは私の仕事。私の責任です」

「責任はチームです。チームで力を合わせて解決するのが責任ですよ」

 「じゃあ、何のための担当なの? 私が提案し、作業を任せられた以上、私に責任が発生するのは当然よ」

 先輩は、いつもそうだ。委員会でもそうだった。責任はあっても、周囲の人間に頼った方が、いいことだってあるのに。

「どうして僕たちが手伝うのを、そんなに嫌がるんですか? 手が足りないからこそ、人手を借りるんだと思いますけど」

「それは……」

 先輩の声が小さくなっていく。僕は、いらだちを覚え始めた。

「そこまで信用できませんか? 僕や湖景ちゃんのことが」

「そ……そんなことあるわけ、ないじゃない!」

「でも先輩の態度は、人を信用していないとしか思えません。まるで、自分ひとりしか信じていないみたいです!」

 名香野先輩が再び押し黙った。痛いところを突いてしまったのか、唇をぐっとかみしめていた。

「予選会で、どうしてもこの白鳥を飛ばさなくちゃいけないんです。それも僕たちは、先輩の提案したフライ・バイ・ラジオで飛ばしたいんです。でも、もう朋夏が飛行訓練する時間もありません。それは仕方ないですが、せめて飛行機を完成させたいんです!」

 僕たちは飛行機作りに困ったからこそ、無理を承知で、先輩に助力を頼んだ。先輩はそれに応えてくれた。先輩が困っている。今度は僕たちが、助ける番じゃないか。

「そんなこと、あなたに言われなくてもわかっています!」

 名香野先輩が、びっくりするほど大きな声を上げた。

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 「チームだからこそ、私は責任を果たすの。機体の整備は、私の仕事です」

「でも作業は進んでいないじゃないですか!」

 ああ、また堂々巡りだ。何をやっているんだ、僕。

「あの、平山先輩、姉さん……少し落ち着いてください」

「湖景! あなたのプログラム、本当に大丈夫なの?」

「え?」

 急に矛先が移って、湖景ちゃんが目を丸くした。

「だって……だって、ここまで機体をチェックして異常がなかったら、プログラムを疑うしかないじゃない!」

「そんな……私もチェックしました」

「何度チェックしたの? 私が何度、自分のミスをチェックしたのかわかってるの? あなたはずっと、シミュレーターにかかりっきりだったじゃない!」

「……ごめんなさい」

 湖景ちゃんの瞳に、みるみる涙がたまっていった。たまらずに、割って間に入った。

「先輩は、なんだって一人でできると思います。でも、ここで湖景ちゃんを責めるのは、筋違いでしょう。それを言うなら、これまでの先輩のデータを見せてください。それでプログラムも含めて、三人でチェックしましょう!」

「……好き勝手なことばかり……言わないでよ……いまさら……だって、仕方がないじゃない……」

 名香野先輩の言葉のトーンが、徐々に下がっていった。その表情は、僕が今までに見たことのない、寂しさのようなものを漂わせていた。

「……なんだってできる、ですって? そんなわけないじゃない。できるわけないのよ。私、そんな、器用な人間ではないのに」

「先輩……」

 委員長だった時の、あの自信に満ちた表情が、今はすっかり失われていた。僕は情けないことに、ここまで先輩を責めた今になって、先輩の苦悩に、気づいた気がした。

 僕は先輩が、一人で苦労を背負い込みすぎだと、常々思っていた。そのことに、誰よりも気を遣ってきたつもりだった。

 でもその一方で、先輩は何でもできると、無条件に信じていた。そして、先輩に次々と重荷を負わせてきたのは、他ならぬ僕だった。先輩は委員長をクビになってまで飛行機作りに打ち込み、僕たちの勉強の面倒を見て体調を崩し、追試を受ける羽目になった。そんな風に仕事と責任を押し付けてきた僕が、今さらチームの責任とか協力とかを言ったって、それは勝手すぎる……

「あなたたちは、私のことなんか、何もわかってないのよ!」

 そう吐き捨てると、先輩はうつむいたまま、格納庫を飛び出していった。

「先輩!」

「姉さん!」

 僕は、すぐに追わないといけない、と思った。しかし、足が動かなかった。先輩を追い詰めたのは、僕だ。何もわかっていなかった、僕だ。

 僕と湖景ちゃんは、格納庫に立ち尽くしすしかなかった。