8章 きらめく星に 見守られ(1)
7月11日(月) 風弱く 晴れ
朝、教室に入ると、上村がまた難しそうな顔で、腕組みをしていた。
「どうした、元気がないな」
「平山か。聞いたぞ。飛行機が完成を見たそうじゃないか」
「もう知っているのか」
「情報は時間が命だからな。それにしても、驚きの進捗ではないか。最初の無計画ぶりからすると、失礼だが奇跡的な進行だと思うぞ」
不本意だが、上村の言う通りではある。自分にしても、よくここまでこぎつけたというのが実感なのだから。
「しかも少人数のスタッフでよくやる。俺はまさかお前らがここまでやるとは思わなかった。途中で飽きて放り出すと思っていたが」
「僕だって本気で戦う気になれば、できるんだ」
「今回は感服したよ」
この男が自分から負けを認めるのは、珍しいことだ。
「みんな死ぬ寸前まで、がんばっているけどな」
「あ、あたしはそうでもないけどねー」
会話に割り込んできたのは朋夏だ。しかし本人が自覚していないだけで、トレーニングや操縦訓練は、常人には達成できない速さで進んでいる。
「とにかくみんな、それぞれの持ち場で山のような仕事を処理している。飛行機が完成したといっても、きちんと飛ぶかは正直これからだよ」
きょうの作業から、テスト飛行であぶり出された問題点の原因を見つけるという、難題が待ちかまえている。しかもそれはゴールではなく、予選会のスタートラインに立つための作業なのだ。先の長さを考えると、嫌になる。
「それは大変だな。声をかけてくれれば、いつでも手伝ってやったのに」
上村はいつも、調子だけはいい。
「絶対に手伝わないと言ったくせに」
「記憶にないな」
「じゃあさっそくだが、きょうの午後は手伝ってくれるか?」
「断る。誠に残念だが、用事が入っていてな。遠慮させてもらおう」
いつもの答えだ。
「上村君って、ふだんは何やってんの?」
朋夏が無邪気に、本質を突いた質問をしてきた。
「まあ、いろいろさ。とても一言では言えないほどにね」
「そうなんだ。大変なんだねー」
何一つ説明されていないのに納得してしまうのが、朋夏という奴だった。前に会長が僕のことを「割り切れる」と茶化してくれたが、こういう割り切り方ができるのも、悩み少なく生きる上での才能かもしれない。
「人手はいくらあってもいいんだけど。上村君だって、十分に戦力になるよ」
だが上村は朋夏の誘いにも、首を縦に振らなかった。
「すまないね、宮前さん。みんなに頼られるのに、この身が一つしかないのが恨めしいよ。親友のために一肌脱いでやれないなんてね」
上村の笑顔には、相変わらず疲れがにじみ出ていた。期末テストの出来が気になっているのだろうか。
きょうから期末テストが返ってきた。とりあえず僕も朋夏も、きょうの時点では、赤点がないことを確認した。もっとも僕にとって最難関の物理と古文は金曜日だから、今週は最後まで気が抜けない。
月曜日は部室で作業が恒例だったが、会長からのメールの指示で、機体の問題点を洗い出すために格納庫での作業となった。ただし会長は、またもや工具を調達すると称して、出かけてしまっている。朋夏も昨日を休日にあてた関係で、きょうは教官と訓練にいそしんでいる。
湖景ちゃんと相談した末、とりあえずモーターを外し、テスト運転をすることにした。湖景ちゃんはミニコンとモーターをつなぎ、回転数や出力、バッテリーの消費量などのデータを自動的に取得するシステムを整えてくれた。僕はチーフエンジニアである湖景ちゃんの指示通りに回転数を変えながらモーターを回し、データを取得する係だ。湖景ちゃんはその脇で、前回の飛行データの分析を進めている。
そうして大方のデータを取得した午後六時過ぎに、追試を終えた名香野先輩が顔を出した。
「どう? 進展は」
「名香野先輩! 追試はどうでしたか?」
「大丈夫よ。風邪もよくなったし。問題なしよ」
名香野先輩は、試験前と変わらない笑顔を見せた。
「姉さんが試験飛行につきあえなかったのは残念です」
「仕方ないわ。それにこれから何度でも見られるでしょう。それよりデータを見せてくれるかしら」
名香野先輩は湖景ちゃんからの連絡で、飛行にどんな問題があったかの報告を受け取っていたに違いない。ミニコンのスクリーンにざっと目を通して湖景ちゃんに二、三の質問をすると、すぐに結論を出した。
「この子の問題はトルク比にあるわ。必要なのはモーターのギヤ調整ね」
「ギヤ調整……トルクって、何ですか?」
「あなた、トルクも知らないで飛行機を作っていたの?」
名香野先輩にあきれた顔をされたが、知らないものは仕方がない。
先輩によると、トルクとは駆動力、すなわちモーターがプロペラを回転させる力のことだ。モーターの性能は、回転の速さと並んで回転させる力が重要だ。モーターは回転を加速させる時に大きな力が必要で、いったんスピードが出てしまえば小さい力で維持できる特性がある。
モーターの回転数は同じでも、ギヤの組みわせを変えれば駆動力の調整ができる。離陸する時は回転が遅く力が出る低速ギヤ、いったん飛行してトップスピードを保つ時は力は高速ギヤ、という感じだ。トルクは組み合わせたギヤの歯の数の比率で決まるから、これをトルク比という。
「今回はエンジンとモーターの基本出力にたまたま大きな差がなかったから、そのまま装着して起動させても問題が起きることに気づかなかったのよ。出力が違っていたら、調整段階で問題に気づいたと思うけど」
「エンジンとモーターで、同じ出力でも特性が違うんですか?」
「ええ。エンジンはどちらかというと低速回転が苦手で、飛行機を飛ばす時に最適の力が出るトルク比が、モーターより高い回転数で設定されているの。でもモーターの場合、より低い回転数で飛べるようにギヤ調整をする必要がある」
今の白鳥は回転数が高過ぎて力が出ないため滑走距離が長く、バッテリーも余計に消費していた、という理屈らしい。
「さすがです、姉さん……言われてみればそうなんですが、もともとこのモーターは出力に合わせて内部ギヤが自動的に変速する方式で、飛行機に合わせてギヤに調整が必要だということに思い至りませんでした」
湖景ちゃんはソフトは強いが機械に詳しいわけではないから、同情の余地はある。そもそも体が弱くて自転車さえ漕いだ事がないそうだから、経験的にギヤの問題に直面した場面は少ないはずだ。回転数を増やしても速度が出ないという時点で、僕らが気づくべきだった。
「飛ばなかったならまだしも、飛んですぐに墜落する危険もあったわけだから、私の責任は大きいわ。体調が悪くて、重量バランスに気を取られて、飛行機の完成を焦って、一番大事なことを見落としたなんて最悪。弁解の余地がない」
名香野先輩が唇をかんだ。だが試験前に体調不良まで抱えていた名香野先輩に、そこまで気を配るように求めるのは無理だろう。
そして恐らく教官はこの問題に気づきつつ、安全と判断したから試験飛行に同意したに違いない。何せ教官は、このモーターとバッテリーの開発者なんだから。
「それより、名香野先輩の体の不調に気づけなかった僕たちにも責任があるんですよ。それにスケジュール調整は僕の監督です」
「あ、それなら私も……チーフエンジニアとして……」
みんなで反省自慢になりそうになったところで、人生で一度も反省した様子がなさそうな人が、姿を表した。
「はいはい、注目ー。モーター調整に必要な材料、そろえてきたよー」
会長が渡した紙袋には、大小のギヤ装置と工具がそろっていた。
「会長……気づいていたんですか?」
「まあねー。ソラくんだけなら百年待っても無理だと思ったけど、ヒナちゃんとコカゲちゃんのコンビならすぐに気づくだろーなーっと思って言わなかったんだよー。苦労して考えることが、ソラくんのボケ防止にも役立つでしょ?」
会長、結構失礼。
問題点がギヤの調整とわかれば、理屈は難しくないという。もともとギヤは装着する飛行機に合わせて交換可能なタイプのモーターなので、データを取って試行錯誤しながら最適のギヤ比を見つければOKだそうだ。
湖景ちゃんはモーターの自動変速プログラムを調整することになったが、これもギヤ比に合わせて規定のプログラムの数字を変えればいいというから、オートのプログラムチェックを含めて一~二日あれば十分という結論になった。
そこで花見の招待を受けた明日は、当初の予定通り、航空部の練習を見に行くことで決まった。ただし会長は土曜日の飛行の事後報告があるため役所に行き、湖景ちゃんは病院で定期検査があるので、お休みするという。
「会長は見に行かなくていいんですか?」
「うーん、なんとなく予想がつくし。スパイのソラくんが、しっかり見てくれれば大丈夫だよー」
と、相変わらずの脳天気な言葉だった。