二次創作小説「水平線の、その先へ」

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5章 僕らは前に 進み出す(4)

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 6月23日(木) 北の風 風力3 曇り

 朝。珍しく上村が難しそうな顔をしている。だが僕の姿を見ると、教室からテラスの方に出るように誘ってきた。

「時に噂によると、なにやら宇宙科学会が中央執行委員長を抱きこんで怪しげなことを始めたそうなのだが、事実だろうか」

 上村は、そう聞いてきた。手すりに背中をもたれさせているが、疲れた表情を隠そうともしない。

「相変わらず耳ざといな。どこから情報を入手するんだ?」

「それはもちろん秘密だ。それよりこれは大変なことだぞ、平山」

 上村が、顔を寄せてきた。

「中央執行委員会は、学園の政(まつりごと)を司る行政機関だ。その組織の長が、対立する二つの組織の片方を支援するのは、なかなかに複雑なものなのだ」

「どういうことだ? 名香野先輩は単に新しい学会活動に加わっただけで、それは先輩自身が決めたことだ」

「理解していないようだな、親友」

 上村の眉間にしわがよる。

「学園生がみれば、中央執行委員会が宇宙科学会に加担しているとも受け取られるんだぞ」

「名香野先輩は、不正は働くような人じゃない。本人もそう言ったし、僕たちもそう思っている。抱きこむなんて人聞きの悪いことを言うな」

「無論、委員長がそんなことをする人間ではないことは俺も知っている。李下に冠を正さず、瓜田に履を入れずという言葉の意味も、十分に承知しているだろう。その上で宇宙科学会に加わったというなら、何かよほどの事情があってのことと推察する」

 上村は先輩に負けずに理解が早いだけでなく、勘もいい。「よほどの事情」について聞かれたら困ったと思うが、そこには突っ込んでこなかった。

「だがな平山、俺たちが委員長を信頼したところで、あまり意味がない。委員長は学園すべての組織に目を配る立場にあり、注目される立場でもある。すべての人間が委員長と宇宙科学会を信用すると思っているのか?」

「まどろっこしいな。誤解であることには間違いがないんだ。どいつがそんな噂が流しているんだ?」

「噂の出所は関係がない。問題は利害関係のある当事者が噂を信用してしまうという危険性なのだ。つまり航空部」

 その点については、僕も十分にリスクを承知しているつもりだった。だが改めて上村から指摘されると、当事者だけの納得で話が済むのかという疑問が頭をもたげる。花見はどう思っているのか。

 しかし学内予選は純粋に飛行距離が審査対象だ。名香野先輩が宇宙科学会に加わったからといって、委員会として宇宙科学会に有利な作為をする余地はない。飛行機を飛ばさない裏工作なら可能だが。

「やっぱり勘ぐる方がおかしい。つい先日は会長と名香野先輩がもみ合いをやった、なんて噂が流れたくらいなんだろう? 少なくとも予選会を通過しなければ、先輩が宇宙科学会を潰すつもりなのは確実だ」

「確かに学内予選会の勝利を宇宙科学会の存続条件とすることは委員長の口約束ではなく、委員会の決議、承認事項でもある。異論を挟む余地がないのは間違いがない。だが政治とは例え無用の誤解であっても、それを招かないように行う必要があるものなのだよ」

「政だの政治だの、いったい何の話なんだ?これは学園の生徒会活動じゃないか」

「人が二人いて利害が対立すれば、その時点で政治なんだよ。政治は政治家の専売特許じゃない、人間の生活の営みそのものだ」

 上村の声が低くなった。

「それに問題は宇宙科学会が負けた時じゃない」

「そんなに簡単に勝てると言えるものなら苦労はしない」

「相手は新型飛行機だ、航空部のモーターが予選で動かなくなることだってある。しかし事情はどうあれ、宇宙科学会が勝ってしまった時に不正がなかったとどう証明するんだ?」

「距離競技に不正も何もないだろう!」

 つい、声が高くなった。上村は悪い奴じゃない。僕たちを気遣っての忠告とは理解できるが、明らかな誤解でもある。

「とにかく宇宙科学会も名香野先輩も、他人に非難されることは何もやっていない。僕たちが名香野先輩の力を必要としたのは事実だ。しかしそれは名香野先輩のメカニックとしての腕前を買ったのであって、委員長であることとは関係がない。そして名香野先輩も自分の判断で参加を決めた、これが事実だ。万が一勝って汚名を着せられたとしても、僕たちは潔白と言い切れるんだ!」

 上村が、じっと僕の目を見つめた。

「……君は本当に一本気な男だね。宇宙科学会に置いておくのが惜しいよ」

「ぬかせ。僕は今、この活動が楽しい。高校に入って初めて、充実した活動をしていると感じる。それに外野から水を差されたくはないんだ」

「わかった。平山の意気は感じたし、噂が事実と確認できれば、きょうのところは十分だ。人の口に戸は立てられんが、いざという時に不都合が起きないよう、こっちはこっちで準備を進めるとしよう」

「何の話だ? 上村が噂や誤解を消してくれるのか?」

「そんな面倒な仕事は願い下げだ。いずれわかる」

 上村がくうっと唸って背を伸ばした。

「それより上村、そんなに宇宙科学会に関心があるなら少し作業を手伝ってくれないか。正直、機体の製作には男手も必要なんだ」

「それも断る。だが、そのうち遊びに行ってやろう」

「遊びなら御免だ。こっちも忙しいからな」

「絶対に手伝いはしないが、様子は見に行く」

「……ならせめて差し入れくらいはもってこい」

「それは考えておいてやろう」

 委員長の勧誘に成功した余勢を駆ったが、あっけなくかわされた。

「それはそうと、上村もずいぶん朝から疲れているようだな。大丈夫か?」

「ああ、マイフレンド。そんな心配をしてくれるのは平山ぐらいなものだよ……心配はありがたいが、俺には俺の苦労がある、と今は思っていてくれ」

 よくわからないが、上村なら本当に困った時は何か相談してくれるだろう。予鈴が鳴り、僕らは肩をたたきあってから並んで教室に向かった。

 放課後になり、僕ら宇宙科学会員はいつものように旧校舎に向かった。きょうの作業は尾翼と胴体をつないで金属索を通す作業だ。

 名香野先輩と湖景ちゃんが準備をして、僕がほぼ完成している尾翼を支える。尾翼を胴体に差し込み、名香野先輩が手早くビスで固定した。さらに胴体と尾翼の索を、湖景ちゃんがチェックしながら慎重につなぐ。

「湖景、固定できた?」

「はい、よさそうです」

「平山君、離していいわよ。ちょっと動かしてみるわね」

 名香野先輩がひらりと身を翻して、コックピットにおさまった。少し窮屈そうだったが、体は動かせるようだ。

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「これでいいはずだけど……フットペダルを踏んでみるから、動くかどうか確認してくれる?」

「はい、姉さん。では左からお願いします」

 尾翼を見ていると、垂直尾翼の後ろ半分が滑らかに左に曲がった。

「大丈夫です、姉さん。右もお願いします」

 垂直尾翼は、右側も同じように動く。

「こっちも大丈夫です」

「うーん、少しラダーペダルが重いみたい」 

「そうなんですか? 実際は風を受けるから、もっと重くなりますよね」

「確かに。飛行機は猛スピードで前進して飛行するから、空気抵抗で舵操作がもっと重くなるのか……平山君、ちょっと」

 名香野先輩に呼ばれてコックピットの脇に立った。先輩が席から体を出す。

「代わって」

「え?」

「ペダルを踏んでみてくれる? 男の足で動くかどうか」

 飛行機のコックピットに乗るのは初めての体験だ。まだ計器板がついていないが、狭い機体に体を埋めると胸が高鳴った。

「どうかしら?」

 なるほど、踏むのは相当に重い。朋夏ならどうなのだろう。

「できないこともないと思いますが、朋夏の意見も聞いてみないと」

「そうね……宮前さんも訓練中だし、先に機体の制御系の完成を優先させましょう。次に操縦桿を引いてみてくれる?」

 足の間にある操縦桿を引いてみる。索ごしに、機体が動く感触がずしりと伝わってきた。

「こっちも結構きますよ……先輩、どこの部分が動いているんですか?」

「エレベーターよ。昇降舵のことね。水平尾翼にあるんだけど、あれが上下に動くの。湖景、どう?」

「動いてますけど、なんか引っかかっている感じですね……こっちは調整が必要だと思います」

「サンキュー、平山君。あとはこっちでチェックするわ」

 名香野先輩がウインクをしてくれた。それから昇降舵に視線を向けると、もう僕がそこにいないかのように作業に集中した。

 上村との話で言葉が強くなったのは、先輩が「ここでは委員長と呼ばないこと」と言ったことが、僕の頭に残っていたからかもしれない。名香野先輩のすべての行動を、すべての学園生が「優秀な中央執行委員長」というフィルターを通して見ていることに、僕も気づいたんだ。委員会室ではため息もついていた名香野先輩が、ここでは一人の宇宙科学会員として、生き生きと活動している。

 最後は訓練が終わった朋夏と教官も手伝い、OKが出たのは体育館の照明が切れる午後七時の五分前だった。