二次創作小説「水平線の、その先へ」

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17章 夢をみんなで 追う路は(2)

 8月6日(土) 風弱く 晴れ

 新しい日。昨日と同じ太陽なのに、新しい朝日だ。

 午前六時、僕は柔らかな朝日の差し込む格納庫にいた。五時半に朋夏に起こされ、シミュレーターの訓練につきあっている。

 朋夏は相変わらず、墜落を繰り返す。そして極端に口数が少ない。無言で何度もシミュレーターを繰り返した。失敗しても悔しがる表情を見せないし、たまに成功しても喜ぶ様子もない。

 中学の時、試合前日の朋夏の体操の練習を見に行ったことがあった。さすがに笑顔はなく、真剣に何度も反復練習を繰り返していた。

 きょうの朋夏はあの時の朋夏と、どこかが違う。真剣ではあるが、まるで悟りを開いたかのように淡々としていた。僕も理由を尋ねなかった。失敗を責めることも、成功をほめることもしなかった。

「私はデキが悪いんだ」

 朋夏の言葉が甦る。何かを必死で考えながら、朋夏はひたすら練習をしている。

 僕は朋夏を、ずっと誤解していたのかもしれない。僕には朋夏がまるで天才のように、楽々と体操の技を会得していったように見えた。

 本当は朋夏は、真剣に努力する自分の姿を誰にも見せたことがないだけなのかもしれない。それを今、僕に見せているのだとしたら、朋夏の心にも何かの変化が起きている兆しだろう。

 六時半に花見が来た。シミュレーターに取り組む僕らをちらと眺めると、何も言わずに一人で機体の分解を始める。今朝は朝食を取ったら、すぐに滑空場に移動だ。花見は飛行機をトラックに乗せる準備をしていた。

 湖景ちゃんが、朝食の準備ができたことを伝えにきた。三人が格納庫にいることに、少しびっくりした様子だった。朋夏はやはり一言も口を開かずにシミュレーターの電源を切り、研修センターに向かう。なぜか声をかけるのも憚られる気がして、僕と花見は黙って朋夏の後をついていった。

 朝食は久々に、名香野先輩を含めた全員が顔をそろえた。だが時折天気の話題などを振るだけで、みんな口数が少なかった。会長と名香野先輩も、食卓でおしゃべりを欠かさなかった朋夏の修行僧のような態度に、いつもと違う空気を感じているようだ。

 朝食を終えると、僕たちは格納庫に集まった。教官が昨日の夜に借りてきたトラックをバックさせ、扉に寄せる。白く輝く機体を全員でトラックに載せ、会長は助手席、他の全員が荷台に乗って、航空部の滑空場へと向かった。

 到着後、機体の整備を始めてまもなく、水面ちゃんが姿を現した。大会前日、最後の試験飛行の取材だろう。

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 こちらのぴりぴりした様子を察したのか、いつものように機関銃のような質問もせず、遠巻きにしながら作業を眺めて、メモを取っていた。その間も朋夏は無言で、すべての作業を僕らに任せ、こちらに視線を向けず、海に向かってひざを抱えて座っていた。

 作業が一段落して、僕は水面ちゃんに声をかけた。

「大会の準備は順調?」

「ええ……結局、手伝いの人員の件は、学校がボランティア学会とかを動員してかき集めたそうです。中央執行委員会は相変わらず頼りにならなくて、上村さんが相当怒られたみたいですが」

 久しぶりに上村の顔が、頭に浮かぶ。

「あと中央執行委員会の会計処理にも問題が起きているようですよ」

「え?」

「委員の何人かが、食事代とかゲーム代とかに、委員会費の一部を流用したらしいんです。学年主任の先生が帳簿をチェックしていて、事実が固まれば中央執行委員の何人かが停学処分になるみたいですよ。上村さんは関与していないようですが、名香野先輩が委員長だったら絶対に許さなかったのに……調査が終わったら、すぐに書く準備をしないといけません」

 あからさまに名香野派の水面ちゃんは、ぷりぷりと怒っている。

 しかし上村は、何を考えているのか。名香野先輩ほどの辣腕でなくても、僕の知っている上村は不正を許したり、見逃したりする奴じゃない。会長が「任せて」と言ってはいたが、少しはいい方向に動いているのだろうか。

「それより飛行の方、大丈夫ですか? 朋夏先輩、さっきからずっと一人なんですが……」

 水面ちゃんが心配そうに、視線を投げる。朋夏は相変わらず、座ったままだ。何かを瞑想しているように見える。機体の周りで整備に精を出すみんなとは対照的に、孤独な背中だった。

 パイロットはチームの中で孤独にも勝つ必要があるのだと、改めて思い知らされる。

「飛行方法で、少し問題が起きている」

 ここでウソをついても仕方がない。

「朋夏なりに解決策を考えていると思う。だからそっとしている」

「そんな、大会は明日なのに……大丈夫ですか?」

「僕たちは朋夏を信じているよ」

 水面ちゃんは相変わらず不安そうな表情だった。

 すべての準備が終わると、教官が全員を集めた。

「最後のテストフライトだ。パイロットも決めなければならん。同時に、ここで機体を壊したらすべての努力が無駄に終わる。全員、気を引きしめて、本番同様の気持ちで入念にチェックの作業をしてくれ」

「はい」

 僕たちがうなずく。

「最初の二本は花見だ。一本目はピッチ調整プログラムのチェック。それが成功したら二本目は本番のシミュレーションで水面飛行を実行してくれ」

「わかりました」

「後の二本は宮前だ。飛行機の感覚を十分につかんでおくこと。水面飛行は成功していないんだな?」

 朋夏は黙っている。僕が「今朝も挑戦しましたが、成功率はよくて二割くらいです」と正直に答えた。

「残念だが、その状態で実機で試すわけにはいかん。高度を取って滑空する通常飛行を二本こなすこと。飛距離がどの程度出るのかを確かめたい」

 朋夏が首を縦に振る。やはり声を出さない。

 花見がコックピットに入った。朋夏もバックアッパーとして作業に参加する。チェック項目を読み上げる作業は完璧だが、無駄口は何もたたかない。

「大丈夫か、朋夏?」

 朋夏がちらと、こちらを見た。

「大丈夫。あたしを信じて」

 返事は落ち着いていて、短かった。

 夏空の中で、花見は優雅に飛行機を操った。全員で取り組んだバグチェックのお陰で、ピッチシステムは何の問題もなく作動した。二回目の水面飛行の訓練は滑走路上で行ったが、飛距離はついに千メートルを越えた。

湖景ちゃんは油断なくプログラムを監視し、飛行後もチェックを行っていたが、「今のところエラーは起きていません」と報告し、安堵の息をついた。

 続いて朋夏が機体に乗り込む。管制役の僕とスピーカーで交信するが、朋夏は今朝とまったく変わらず、事務的に作業をこなしていく。そして一本目の飛行、教官の指示通りの無難な飛行を完璧に実行した。距離は花見より短かったが、教官は「接地寸前の低速でも、うまく安定させるコツをつかんだようだ。やはり宮前のセンスはいい」と、満足そうだった。

 二回目の飛行も順調に高度を取った。湖景ちゃんは油断なくピッチシステムに目を光らせているが、すべてが順調に進んでいる。少し緊張感がとけて、なんとなく安心して朋夏の飛行を見ていた時。

異変が起きた。

「平山先輩、ルートが少し西側にずれています。旋回が大きかったみたい」

「朋夏、飛行経路が滑走路に重なっている。もう少し東側に修整してくれ」

 僕の指示に朋夏は答えず、しばらくして「空太、聞いてる?」という声が、マイクから聞こえた。

「朋夏、早くルートを修整しろ」

「空太にお願いがあるの。絶対守るって、約束して」

 空に上がって、何を言い出すのだろう。

「地面にぶつかりそうになったら、『上げろ』って叫んで。信じてるよ、絶対」

「朋……」

 朋夏の意図が読めて、血の気が引いた。

 最後のテストフライトで、滑走路上で水面飛行をやる気だ。しかし今朝のテストでは十中八、九、地面に激突している。あまりにも無謀な試みだ。

「宮前先輩、やめてください!」

「湖景ちゃん、ピッチシステム作動。フェイズ二から開始」

「やめろ、朋夏!」

 機体の機首が、ぐっと下がった。エンジン音がないだけに、まるで本当に墜落するかのようだ。水面飛行には理想的な角度……それは即ち、激突したら大けがは免れない角度でもある。

「やめるんだ、朋夏! 目を覚ませ!」

 朋夏は答えない。機体がぐんぐん地上に近づく。

「朋夏、聞こえるか? 応答してくれ、頼む!」

「……」

 僕は最悪の事態を覚悟した。地上が迫る。そう言えば朋夏は何度か、機体を使ったシミュレーションで意識を失っていた。もしここで意識を失っていたら、もう手遅れだ。

 湖景ちゃんと水面ちゃんが、同時に悲鳴を上げた。その声で僕は、我に帰った。

 朋夏は僕に、何かを頼まなかったか。

「朋夏、上げろーっ!」

 その瞬間、機首が上がった。そのまま飛行機は地上すれすれをぐーんと伸び上がり、水平飛行で僕たちの目の前を猛スピードで抜けていった。

「宮前君……すごい」

 花見が感嘆の声を上げた。花見よりはるかに低く、ギリギリの飛行だった。ほどなく朋夏はモーターを再起動し、周辺を一回りしてから着陸した。

 何事もなかったかのようにコックピットを降りた朋夏に、教官が近づいた。説教をするのかと思ったら、突然平手で頬を思い切りたたき、朋夏の小さな体が滑走路に転がった。

「宮前……お前は自分で何をやったのか、わかっているのか?」

 息を呑む僕たちの前で、朋夏は平然として立ち上がった。

「はい。あたしには成功する自信がありました」

「自信? ふざけるな」

「ふざけていません。あたしは空太を……いえ、ここにいる仲間を信じていますから」

 無茶だ。僕を信じることが、なぜ飛行に成功することになるのか。

「仲間を信じろ、お前は孤独ではない……そう仰ったのは教官です」

「だからといって……」

 あの教官が、朋夏の気迫に押されている。朋夏はそこで一方的に会話を打ち切って、今度は僕の方に歩いてきた。そして短く言った。

「空太。ちょっと顔貸して。みんなは離れていて」

 朋夏は僕を、全員から五十メートルほど離れた格納庫脇の芝に連れて行った。そこでふうっと大きく息を漏らすと、その場で座り込んでしまった。

「大丈夫か?」

「うん……大丈夫。でも、ちょっと怖かった。空太を信じてたけど」

 朋夏の顔が青ざめていた。震えが止まらず、自分で両肩を抱いていた。

これで本当に水面飛行が成功したと言えるのだろうか。

「空太、あたしね……本当はさっきの水面飛行の時、目隠しをして飛んだの」

 ……なんですと?

「外を見ていたら、気を失う。だからスカーフで目隠しした。空太の声だけで、操縦桿を引いたんだ」

 衝撃的な告白に、僕は言葉を失った。

「これなら気を失わない。自信がある。前が見えなくても、みんなを信じることはできるから……でもこんな飛び方が許されるのか、私にはわからない」

 だからパイロットは僕に決めて欲しい、と朋夏は言った。

「あたしは飛びたい。本当は誰にも譲りたくない。でも空太が花見君にって言うなら、それでいいから」

「……それは、僕の一存では決められない」

 僕は考えた末、そう朋夏に言った。 

「今の話、みんなに伝える。僕たちはチームであり、仲間だ。僕だけが朋夏の飛び方を知って決めるなんて、できない相談だ。みんなが朋夏の翼を支えているんだから」

 朋夏はひざの間に頭を埋めたまま、小さくうなずいた。