二次創作小説「水平線の、その先へ」

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8章 きらめく星に 見守られ(4)

 僕が教室ですぐに上村に問いたださなかったのは、頭の中で上村の行動を理解しようと、努めていたからだ。しかし、何も考えがまとまらない。上村もきょうは、僕と一度も顔をあわせようとしなかった。というより、教室全体が上村に対して、腫れ物に触るような雰囲気があった。

 昼休みに携帯で名香野先輩を呼んでみたが、電源が切れていた。湖景ちゃんは、ずっと話し中だ。三年生の教室まで行こうかとも思ったが、どういう顔をして先輩に会えばいいのか、わからなかった。朋夏も呆然としている。

 僕がメールで上村を屋上に呼び出したのは、その日の放課後のことだ。それなら朝に聞いても同じだったが、何が起きたのかを問い質す時間は、たっぷりある。

「助かるよ、人が少ないところに呼んでくれて。野次馬がうるさくてかなわない」

 五分遅れで屋上に現れた上村は、いつもの笑顔を湛えていた。その顔を見ると無性に腹が立ってきたが、とりあえず抑えることに成功した。

「どういうことだ」

「どうもこうも。そういうことだ」

 上村の言葉は短い。

「お前、中央執行委員会の副委員長だったのか?」

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「平山は俺に、何も聞こうとしない。話してくれといえば、いつでも話してやったのに」

 確かに、親友の所属学会を一度も聞こうとしなかった僕も悪い。そこにも言い分はあるが、ここで議論すべき話ではない。

「なぜ名香野先輩を解任した?」

「解任ではない。停職だ」

「同じことだろう。理由はなんだ?」

 ふーっと、上村が息をついた。

「お察しの通りだ。委員長が学会活動に肩入れし過ぎて通常の委員会業務が極度に滞っているだけだなく、学園が協賛する公的な行事への参加団体の決定に際し、審査の公平性を疑う行動を取っている。しかもその点に対し合理的な弁明がない」

「合理的な弁明、だって?」

 僕は思わず、上村の胸倉をつかんでいた。どこかの冷静な頭が「手を離せ」と言っていたが、僕の体は言うことを聞かない。

「この前言ったろう。僕たちは潔白だし、名香野先輩にもやましい点は何もない」

「俺も言っただろう。俺がそれを信じるかどうかが問題ではない、と」

「なぜ委員会を説得しなかった?」

「説得をするのは委員長の仕事だ。それも委員会業務をサボったあげくの釈明であれば、信用してくれというのが無理というものだ」

 胸倉をつかんだ拳に力が入った。

「なぜ名香野先輩をサポートしない。先輩は一人で、資料の電子化とか、がんばっていた。お前らが委員長を支えていれば、こんなことにはならなかったはずだ」

「電子化? そんなこと、誰も頼んではいない。誰にもありがたがられない仕事に精を出し、最後は責任ある仕事を放棄する。これを無責任と言わずして何という」

「何だと。もう一回言ってみろ!」 

「無責任」

 もう体が止まらなかった。右の拳が上村の頬をとらえ、メガネが歪んで飛んだ。ギリギリで力を抜いたつもりだったが、人を殴ったのは、初めての経験だ。拳が痛んだのは、たぶん衝撃だけではなかった。僕の心の中で、大事な何かが崩れていった気がした。

「……俺は委員長が宇宙科学会の活動に参加したことは、委員長にとって将来的にもプラスに働くのではないかと思うのだ」

 立ち上がって口内の血をぬぐった上村は、独り言のように言い、それから青く澄み渡った空を見上げた。

「委員会だけが自分の居場所ではない、と気づくのも悪くない」

「どういうことだ?」

「平山や津屋崎さんのように、近くで心配してくれる人がいるからさ。支えてくれる友人がいることは幸せなことだ……平山も責任を感じているなら、しっかりサポートしてやるんだな」

 それだけ言うと、上村は「あばよ」と言って、階段を下りていった。

 僕はしばらく、屋上で疲労感と脱力に苛まれていた。肩で息をついたが、いつまでも酸素が足りない気がした。怒りと罪悪感がごちゃまぜになった心を何とか落ち着かせると、足は自然に部室へと向かった。きょうはとても、作業になりそうにない。部室に行けば朋夏や湖景ちゃん、会長にも会えるだろう。あるいは名香野先輩も、来ているかもしれない。

 学会棟の前に、会長がいた。会長は、僕を待ち受けていたようだった。

「ソラくん。どこに行ってたの?」

「ちょっと……上村に話を聞こうとして」

 僕はなんとなくバツが悪くなり、会長の前から血のにじんだ拳を隠した。

「そう。ミノくんの話を聞いたんだ。それで、ソラくんはどうしたの?」

 会長は、追及をやめない。本当は、ウソをつきたかった。でも、会長は真摯な目で僕を見つめ、僕の口から出る次の言葉を、待っていた。

「……上村を殴りました」

 会長は一瞬、ぴくっと眉を動かした。

「若いね、空太」

 会長が、僕を名前で呼んだのは二度目だ。驚いて顔を上げると、会長の鼻が僕の鼻とつきそうな位置にあって、その目が僕をにらんでいた。

「軽はずみな暴力は、何も解決しないよ。親友の空太がミノくんの話を聞いてあげないで、どうするの」

 失望したよ、と言って会長は睫毛を伏せると、そのまま立ち去った。黒髪から漂ったいつもの甘い香りが、なぜか苦く感じた。