1章 果てない海と 空の青(9)
僕たち宇宙科学会員三人はこの日初めて、会長の口からまっとうな台詞を聞いた気がした。
そうだ、大切なのは場所じゃない。ここで育まれた四人の強い連帯感こそが、かけがえのない価値を持つ活動の成果なのだ、と。
朋夏と湖景ちゃんの表情に、ぽっと生色が灯った。「宇宙科学会の存在意義」を初めて三人が共有した瞬間だった、と思う。
「それはつまり……解散してもいいってこと?」
委員長の一言に、今度は三人がのけぞる番だった。しまった、「気持ちさえあれば場所なんかいりません」という意味にも取れるのか。ていうか、そう解釈されても文句は言えない。そして冷静に考えれば、陳腐な台詞だ。それに乗せられたということは、僕たちが陳腐な人間だったという証だ。
「違う違う! まずいですよ、会長!」
青春の発露のような発言に最も感動していた体育会系文化人見習いの朋夏が、あわてて打ち消しにかかった。
「あはははは」
当の会長はまったく、悪びれたようすがない。本当に、困った人だ。
「活動はしていない……部室は私物化する……告知は無視する……所属するのはいい加減な人ばかり……」
委員長の一言一言が、今や極低温の冷気を発散させていた。事態がここに至っては、もはや歩み寄りの余地は、一%も残っていないように思えた。
「通告します。きょうから一週間以内に活動方針を決め、執行委員会に文書で提出の上、責任者が説明のこと。解散か猶予かは、こちらの判断に一任とします。一切の事情は、斟酌しません。そして、少しでもふざけた態度を示したら、その時点で解散です。規則第五条により、学会構成員は以降一年間、新たな学会の登録申請をする権利を失います。以上、皆さんの誠意に期待します」
委員長は一息で言い切ると、靴音も荒く部室を出ていった。
「できるかなー?」
最後の一言でようやく、会長は委員長の耳に入らない範囲の声に抑える理性を発揮したようだ。
「会長……」
朋夏がすっかり狼狽している。その姿を見て、会長が苦笑した。
「豆台風ちゃん、思ったより勢力が強いねー。どうしよっか、ソラくん?」
「会長。あなたのその、物事をより混沌とさせる方向にもっていく特殊な才能なんですが、なんとかなりませんか?」
「ムリムリ。だってエントロピーは増大するんだよー」
はあ。今度はエントロピーですか。
「なんか、みんなで考えよう!」
ようやく朋夏から、この日初めてと言っていい前向きな提案が出た。昨日の朝から、一歩も進んでいないが。
「そうですね……なんか、なんか考えましょう!」
そのなんかが大事なんだよ、湖景ちゃん。
「ま、なんとかなるでしょ。幸い時間は一週間あるんだし」
台風の中心が、まるで自分に関係ないことのように、暢気なことを言った。今回の件について、怯えているような様子は一切ない。その姿を朋夏と湖景ちゃんが、不安そうに見つめていた。
僕は少し、別のことを考えていた。大切な場所、という委員長の台詞だ。
委員長はきっと、高校生活の多くの時間を、あの委員会室で割いてきたに違いない。周囲に理解されない部分もあるようだが、委員長にとって、生徒のために尽くせる執行委員会という場所が、何よりも大切だという思いは、痛いほど伝わってきた。
その一方で僕は、まもなく半分になる高校生活で、授業と家以外の大半の時間を過ごしてきたこの部室が、大切な場所と言い切れるのだろうか。
きょうの会長と委員長の応酬を、どこか醒めた目で見ている僕がいた。宇宙科学会でだべったり、遊んだり、部室に屯する時間は楽しく、居心地がよかった。メンバーの誰もが、この空間が好きだった。
しかし、それは本当に大切な場所なのか。体を張って、守るべき場所なのか。もしこれから事態が好転して、学会が存続した時に、僕はどんな思い入れを、この場所に注いでいけばよいのだろう。今の僕には、混沌とした未来だった。