二次創作小説「水平線の、その先へ」

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2章 はばたく鳥に 憧れて(7)

 僕は呆然として、倉庫の木箱を見つめていた。会長は、言い出したら聞かない人だ。ただし、いざとなったら最後の選択として、学会をやめるという手もある。

 今までも意味不明の活動は多かったが、今回はピカ一だ。有人の飛行機作りとなれば、「責任が怖くてやめました」と言っても、それほど恥にはならないだろう。

 だが正直に言えば、飛行機のキットを目の前に出されて、少し惹かれている自分がいる。この仲間達で本当に作れるなら、高校生活の素晴らしい思い出になるはずだ。

 そして、何かをしたいという欲求が起きたのも、高校に入って初めての経験だった。ただ、リスクなく飛ばせれば、の話だ。自分は今、その思いを実行に移すべきなのか。それは安易で、無謀な選択ではないのか。

 思考が堂々巡りを始めた時、かたわらでポニーテールが揺れているのが、視界に入った。

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「いやー、ヒコーキかあ。空、いいよねー。あこがれちゃうなー」

 朋夏があっけらかんとした表情で、夢を語っている。

 いつも元気な奴だが、こういう吹っ切れた笑顔を見せたのは、なぜか久々という気がした。睡眠不足のせいだろうか。

「そういえば朋夏、昼休みから姿が見えなかったけど、どこに行ってたんだ?」

「いや、実は……」

 急に朋夏が口ごもった。

「実は会長にメールで呼び出されてね……そのまま例のトラックで拉致されちゃった」

 驚いたことに、朋夏は会長と一緒に、午後の授業をバっくれていた。そして内浜市河川敷の市民滑空場に、連れて行かれたらしい。

「あたしがこの前、モーパラを眺めていたのを、会長に見られたのかなあ。何も言わないから見ていてごらん、って。あたしも眠かったし、芝生に寝転んでヒコーキが飛ぶのを見ていただけなんだけどさ。その時、空もいいなあって思ったの。もちろん会長の狙いは見え見えだったし、この木箱を見るまでは、反対するつもりだったけどね」

 会長は朋夏の心が動くのを見抜き、こちらが行動するより先に、流星雨派の先鋒を切り崩したわけだ。改めて、恐ろしい人だ。

「空太の気持ちもわかる……うん、やっぱり無謀だよ。ヒコーキができても、けがするかもしれない。でもね、あたしはやっぱり何かに挑戦したいんだって、思った。無謀でも、飛べなくても、空太や会長、湖景ちゃんと挑戦したい、ってね。気づいたのは、ヒコーキの魅力じゃない。あたしの気持ちだと思う」

 そういうと朋夏はくるりと後ろを向いて、手を振った。

「ゆっくり考えて、空太。あたし、やっぱり空太に賛成する。空太がやめるっていうなら、やめるから」

 朋夏の言葉は、僕に逃げ道を与えるどころか、逆に心に重くのしかかった。

 朋夏がここまで言う以上は、乗りたいという気持ちが抑えられないという証拠だ。そうなると僕の決断は、もう僕一人の決断ではない。朋夏の思い入れが一時の気の迷いでなければ、僕の決断は朋夏の夢の行く先を決める。これは僕が当初考えていた以上に、面倒で厄介な問題だった。

 僕はそれからたっぷり一時間は、木箱と向かい合っていたように思う。長い人影が近づいて僕の脇を追い越し、西日に照らされる倉庫の木箱にかかった。夕刻が近づいていた。

「お前は、宇宙科学会の会員だったのか」

 それは、朝に見たトラックの男だった。

「ええ……あなたは?」

 男は何も答えなかった。黙って僕の隣で、同じように木箱を見つめている。

 男にはどこか、他人に心に入ることを許さないような、峻厳とした雰囲気がある。こういう相手と会話するのは苦手だ。ただ肩を並べてみると、以外に男の背が小さいことがわかった。体が大きく見えるのは、一瞬も緊張感を解かないような、張り詰めた空気のせいだろうか。

「あの……今朝のトラックで運んできたのは、これですか」

「ああ」

 言葉は短い。

「あんな重いものを運ぶなんて、すごいですね」

「……」

 再び沈黙が支配する。なぜか喉が渇いてきた。僕は立ち去ることもできるはずだが、なぜか男はそれさえも許さないような雰囲気を漂わせている。

「飛行機は、好きなのか?」

 唐突に、男が尋ねてきた。サングラス越しの視線は、木箱に向けたままだ。

「え? ええ……昔、モーターパラグライダーに乗ったことはあります。子供でしたからたいした記憶はありませんけど、空はいい気持ちでした」

「そうか」

 返事は短かったが、今度は少し優しい感じがした。

「あの……飛行機は、好きですか?」

「……ああ」

 一秒に満たない言葉に、深い情感がこもっていた。この人の醸し出す緊張感は、空を生業とする人間の匂いなのかもしれない。

「飛行機とか、お詳しいんですか。ただの運送の方には見えませんが」

「なぜ、そう思う?」

「いえ、なんとなく、本気で好きそうに見えましたので」

「好きだからといって、関係者とは限るまい。趣味で飛行機を飛ばす奴など、いくらもいる」

 相変わらず、愛想がない。言葉が増えてきたのは、いい傾向なのだろうか。

「それはそうですが、飛行機への思いに、どこか真剣さが感じられて……」

 勝手に人の心を推し量るのは少し出過ぎたか、と口をつぐんだ時に、初めて男が僕に顔を向けた。

「俺から、か?」

「あ、はい……」

「……そうか」

 サングラスで目は見えないが、口元に軽い笑みが浮かんだ気がした。

「大地から両足が離れ、かりそめの翼で風に乗り空を滑る時、俺たちを束縛する世界から解放されることを実感できる」

 急に詩的な言葉が、男の口から紡ぎ出された。

「ひと時だからこそ意味がある。人が翼を持っていれば、空を飛ぶことに特別の喜びを感じることなど、なかっただろう」

「そんなものでしょうか」

「歩くことに、いちいち感動できるか?」

 それはそうだ。歩けなかった人が歩くことができた時は、やはり感動するだろう。

「翼を持たない人間だからこそ、飛ぶことが価値を持つ。その真の価値に気づけるのは、自分の力で空を飛んだ者だけだ」

 口元が笑っていた。厳しい雰囲気は変わらなかったが、いい笑顔だった。好きなことに気づけた人間は、こんな顔ができるのか。大人になって、夢中になれることができたなら、僕にもこんな笑顔ができるのか。

「……空はいい」

 男がしみじみと呟いた。

「うらやましいですね。僕にもそんな、無条件で好きといえるものを見つけたいです」

「こいつにのめりこんでみるのも、一つの手だぞ」

 男が木箱をこんこんとたたいた。その音に、夢の世界から引き戻された気がした。