二次創作小説「水平線の、その先へ」

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16章 輝く未来の 懸け橋に(10)

 

「父が用意した大会に、私が勝手に出てきて、優勝する。父の目の前で、ちょっと鼻を明かしたくなった。最初は、それだけなの」

 会長がぽつりぽつりと、重い口を開き始める。僕たちは格納庫で車座に座り、会長の独白に、聞き入っていた。

「だけど、本当にできるなんて、信じていたわけじゃない……私はみんなと一時期、楽しい活動ができれば、それでよかったの」

 予選会をめざして、宇宙科学会で飛行機を作っていた日々。僕たちの作業を尻目に、ちょっかいを出しては作業を妨害していた会長の、子供のような顔が思い浮かぶ。

「予選会に勝って、大会に出場できるとわかって。ハナくんも加わって、トモちゃんも本気になって。もしかしたら、ていう気持ちが芽生えてきた」

 そして合宿を始めてまもなく、総帥から会長にメールが来た。

「父が、私が大会に参加すると知って、あれこれ口出しをしてきてね……全部、無視していたんだけど」

 会長の拳が、再び震え始めた。

「あんまりしつこいから、逆に言ってやった。あなたの指示通りにせずに、優勝してあげるって。そして私はこの大会の主催者の娘だって、公表してやるって。トモちゃんやハナくんみたいに純粋な気持ちの人たちを利用して、業界でトップに立つためのイベントでしょ? 馬鹿馬鹿しい!」

 吐き捨てるような、台詞だった。

「それで主催者の娘が優勝したって馬鹿みたいにはしゃいだら、世間はどう思う? 誰が見たって出来レースだったって思うでしょ。そうすればこんな大会、二度と開けなくなる」

 会長が形のよい唇をぎゅっとかみ締めた。

「そう返信してやったら、父は逆に脅してきたわ。そこまで言うなら優勝して、私に恥をかかせてみろ、と。それができたらもう四年、自由にさせてやるって。できなかったら即刻、学校を退学させるって。やっぱり百戦錬磨の父のほうが、私よりずっと役者が上なのよ。私の子供じみたあがきを、鼻先であしらったんだわ」

 会長の肩が落ちた。まるで年老いて人生の終幕が近づいたかのような、寂しい背中だった。

「……私はただ、ね。この学校で、自由にはばたきたかっただけなんだよ。宇宙科学会のみんなを見ていて、うらやましかった。笑顔で、明日の作業を語りながら家に帰るみんなが、ね」

 人は人のことを、本当にわからないと思う。僕らの目から見た会長は、いつだって自由で、誰よりも奔放だった。その会長が、時折寂しい瞳をしていたことを思い出す。そう言えば、僕らが旧校舎から談笑しながら家路に着く時、会長は少し後ろで距離を置いて、僕らについてくることが多かった。

「本当は、私……空なんか、大嫌いだった。白鳥なんか、トモちゃんが壊してくれて、せいせいしたくらい」

 会長がまた、両手で顔を覆った。

「私は父に復讐しようと思っても、父から教え込まれた飛行機しか、能がなかったの。だからしかたなく、飛行機にしたの。私は私が嫌い。自分ひとりじゃ何もできない、自分が嫌い。みんなを騙した私が嫌い」

 会長の口から嗚咽が漏れ、名香野先輩に肩を預ける。いつだって闊達だった会長の姿は、どこにもなかった。

 気がつくと、みんなの視線が僕に集まっていた。僕は、会長が少し落ち着くのを待って、声をかけた。

「会長は、今……飛行機が、嫌いですか?」

 会長は、ひじで頬の涙をぬぐった。

「……わからない」

「僕は最初、嫌でした。飛行機を作るなんて、かったるくて」

 僕の飛行機への挑戦は、会長の突飛な提案から始まった。そして、教官に言われた。お前はいろいろな理由をつけて、逃げ回っているだけだと。思い返せば、教官はあの時から、僕の一番の欠点を見抜いていた。

「僕はあのコンクールが終わってから、ただ漫然と、生きてきただけなんです。でも会長がグライダー大会に出るって言いだして、教官に乗せられて、みんなで飛行機を作って。そういう毎日がすごく充実していました」

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 合宿をしようと、会長が言った日のことを思い出す。夕焼けの中で、会長はいつものように、楽しそうに合宿で何をやろうか、と笑っていた。飛行機作りの話は、一つも出なかった。朋夏が海で練習している最中だって、まるで子供のように、砂浜で波を追いかけたり、追いかけられたりしていた。その姿は、いつだって人生を楽しむことを忘れない、会長そのものだった。

「僕は、感謝しています。一年半前に、僕を宇宙科学会に拾ってくれて。そして、傷ついた朋夏を拾ってくれて。一緒に泳いで、スキーに行って、ハーフマラソン大会をして、鍋パーティーをして。いつも僕に無理難題を押しつけて、それでも自由闊達なあなたが、僕は大好きでした」

 会長が黒髪を振り、その間から大きな雫がこぼれ落ちた。

「空太は、私に興味を示さない。私に何も聞かない。だから、私は気楽だった。私が好きなように遊べば、それでよかったから。トモちゃんも、そうだった」

「そうです。だけど一番楽しかったのは、飛行機です。会長が嫌いだった、空への挑戦です。みんなと衝突し、本音を出しあった、この大会の準備です」

「私は、みんなを偽っていた。空が好きでもないのに、みんなを巻き込んで、ただ私の個人的な理由で、歯車のように協力させただけ」

「僕だって、最初は空に挑むなんて好きになれませんでした。でも、今は好きです。いいじゃないですか、それで」

 教官は「最初の動機などどうでもいい」と言った。最後に本気になればそれでいい、と。

「今は会長のお陰で、だまされて、空に魅せられた人間だけが、ここに集まっています」

 名香野先輩が、泣き濡れた会長の手をとる。湖景ちゃんが、その手をとる。朋夏が、花見が、その手をとる。僕が最後に、その手をとった。

「みんな会長が好きなんです。こうなったら勝ちましょう。そして夢と自由を、僕たちの手でつかみましょう。お父さんの鼻を明かしましょう。僕たちは仲間です」

「仲間なんて……私には、そんなことを言う資格がない……」

 会長の真っ赤な目から、ぼろぼろと涙がとめどなくこぼれた。こんなに泣く人だと、僕は初めて知った。

「やれやれ、古賀さんの謀略に見事にはまったけど、もう少しつきあうしかなさそうね」

 名香野先輩が、微笑んだ。

「僕はいつだって空をめざす。過去も、今も、将来もだ。それが重力という地上の束縛を逃れた、自由な世界である限り」

 花見が、鼻の上を得意げにこすった。

「私も、みなさんと一緒に空を飛びたいです。この世界で生きることが楽しいことだって、教えてくれたのが空ですから」

 湖景ちゃんが、元気いっぱいに叫んだ。

「もう勝つっきゃないね。あたしは絶対、負けないからね」

 朋夏がえっへんと、胸を張った。

「会長、勝ちましょう。あと二日です。自分の力で、みんなの力で、今度こそあなたの未来の道を開きましょう」

「馬鹿。みんな馬鹿よ。こんな馬鹿な私に、つきあうなんて……」

 僕たちは全員で会長を包み込み、優しく静かに抱きしめた。