二次創作小説「水平線の、その先へ」

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15章 折れた翼が 痛んでも(5)

 8月3日(水) 西の風 風力4 晴れ

「え? 会長さんが私を宇宙科学会に誘った理由ですか?」

 朝日の差し込む研修室で、シミュレーションソフトの改良に一心に取り組んでいた湖景ちゃんが手を休めた合間を見計らって、僕は尋ねてみた。会長は行方不明で、花見と朋夏は、きょうも飛行訓練。名香野先輩はいつもの重役出勤だ。

「さあ……よくわかりません」

 麦茶をストローで吸い上げながら、器用に首を傾げる姿が相変わらずかわいい。

「私、二年間入院して学年も下がったので、クラスで話し相手がいなかったんです。それで、ますます人づきあいができなくなって」

 湖景ちゃんの表情が、少し沈んだ。

「機械系の二、三の学会に顔は出したんですけど、男の先輩方が妙に馴れ馴れしく声をかけてきて、嫌になっちゃって。二度と顔を出しませんでした」

 無理もない。機械系の学会なら、ほぼ男子の巣窟だ。

 そこに無垢な一年女子が飛び込んできたら、なんとしても入部させようと甘言を弄しながら、必死で引き留めようとするだろう。

「部室をたたく勇気もなくなって、それなのに四月末の入会期限は迫るし……途方に暮れてしまって、放課後に中庭の桜の木の下で学会棟を眺めていたんです。そうしたら会長さんが近づいてきて、私を宇宙科学会に誘いました」

「それまで会長との面識は?」

「いえ……ありません」

「勧誘されたのは、いつ?」

「申し込み期限の三日前ですから……四月二十八日です」

 なるほど、僕とほとんど同じパターンだ。

「会長、湖景ちゃんの他に新入生を誘ったとか言ってた?」

「いいえ、ないと思います……四月中は入部手続きを含めて何かと面倒を見てくれたので、下校までずっと一緒にいました。五月になって新入部員が私一人とわかったので、どうして私を誘ったのか聞いてみました」

「そしたら?」

「『コカゲちゃんが一番、寂しそうにしていたからだよ』とだけ、笑って答えてくれました」

 学校の規定とはいえ、所属する学会をギリギリまで決められない生徒は毎年一クラスに四、五人はいると思う。

 ところが会長は他に新入生を勧誘した形跡がない。湖景ちゃんを、いわば一本釣りしたのだ。

「勧誘された時が、会長に初めて会った時だったんだよね?」

「はい」

「ひょっとしてだけど」

 僕は、急に乾いてきた上唇を軽く舌先でぬらした。

「湖景ちゃんが機械やプログラムに詳しいって、会長が事前に知っていた可能性はあるのかな?」

「クラスの誰にも話していませんから……ないと思います」

 想像が外れた……そう思っていたら、湖景ちゃんが軽く手をたたいた。

「……そう言われれば、可能性がゼロではないと思いますが」

「どういうこと?」

「もし知っていたとしたら、私が入部しようと思って訪問した機械系学会の三年生から聞いたのではないでしょうか」

 そこで作業に戻った湖景ちゃんを、僕は複雑な表情で見ていた。

 朋夏がけがをした、という情報が携帯に飛び込んできたのは、その日の昼過ぎだった。僕は現場の国道に駆けつけた。朋夏が歩道のアスファルトに座っていて、教官と花見が様子を見ている。

「朋夏!」

「な、なによ」

 僕の勢いに、むしろ面食らった様子だった。

「けがの具合はどうなんだ?」

 これには伴走していた花見が答えた。

「走っている途中に石を踏んだみたいだな。バランスを崩して転倒した。脚を少し路面に打ちつけたみたい」

 ひざを見ると大きな擦り傷ができて、血がにじんでいる。

「派手に見えるけど、傷はたいしたことはない。問題は骨や靭帯だけど押しても痛みはないようだし、これなら捻挫も心配ないな」

「宮前、不幸中の幸いだった。傷口を洗って包帯を巻いておけ」

「はーい」

 朋夏は努めて明るい表情を作った。花見が救急箱を取り出し、手際よく処置をしていく。何から何までソツがない男だ。

「えへへ、どうもご迷惑をおかけしました」

「朋夏、あまりこの時期に人騒がせなことをするなよ」

「心配しちゃった? 心配しちゃった?」

 朋夏がいたずらっ子のような表情を浮かべる。けがが軽そうだったのは何よりだ。しかし僕には別の心配事がある。

 この運動馬鹿が、ロードワークで石を踏んでバランスを崩すなど考えにくい。それだけ集中力が足りなくなっているのでないか。

 シミュレーション訓練が思うように進まず、パイロットを降ろされようとしている言いようのない焦りが、出ているような気がした。朋夏は笑っているが、辛い時に照れ隠しで笑うのが朋夏という奴なのだ。

 もう待てない。朋夏で行くにしろ、花見に交代するにせよ、中途半端は許されないと悟った。だがその前に、会長に真意を質す必要がある。

 会長がそこまで優勝にこだわるのは、なぜか。それがわかれば、例えどんな動機であっても、僕は朋夏を切ることもやぶさかではない。すべてのスポーツ大会が純粋ではないのは、朋夏の言った通りだ。ただ会長が秘密主義を貫く現状では、僕自身がこの先、作業に打ち込めない気がしてきた。

「花見、ここは任せるから」

 僕は旧校舎に駆け出した。急に朋夏を放り出したので花見は戸惑っていたようだが、そんなことは気にならなかった。

 会長はLMG大会に参加するために最初から周到に準備し、そのために宇宙科学会を復活させた。それが僕の推理の結論だ。

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 会長が宇宙科学会を立ち上げた二年前の秋には、まだLMG大会は告知されていない。しかし会長が関係者なら、事前に開催を知ることはできただろう。そして学園内の情報を集め、優秀な人材を探した。そうなると花見や名香野先輩は、最初から目を付けていた可能性が高い。

 考えてみれば学年一の才媛かつ美人で名高い会長の作った部に、僕以外に一人の男子も入部しなかったのは妙な話だ。会長はもともと女子の受けはよろしくない。興味本位で会長に近づく男子は、あの人を食ったような応対で困らせ、それとなく排除した可能性が強い。

 朋夏を受け入れたのは恐らく、小柄で運動神経と度胸が抜群、パイロットとしての得難い才能を見抜いたからだ。新入生が入ると部室から生徒の様子を観察しながら情報を集め、コンピューター方面に才能があって、名香野先輩の双子の妹である湖景ちゃんを一本釣りした。

 湖景ちゃんも名香野先輩も、親は同じ東葛の町工場にいたことがある。東葛は巨大メーカーの下請けが多いし、教官がプラスチックシートを探したのも東葛だった。そして湖景ちゃんのお母さんは、会長を知っていた。

会長の父親の会社とのつながりであることは、間違いない。航空産業の下請け工場で働く名香野姉妹の両親や娘について、会長が情報をつかんでいたことも合点がいく。

 機体を驚くほどの手際で調達したのも、教官を引き込んだのも、事前に用意があったと考えると、すべて整合する。幽霊学会の解散を公約して中央執行委員長になった名香野先輩が、活動の名の下に遊び惚ける宇宙科学会に引導を突きつける時期も、織り込み済みだったのかもしれない。上村のクーデターは計算外と思うが、それを奇貨としてすぐに名香野先輩を宇宙科学会に引き込む説得をしたのも、会長だった。

 航空部一筋の花見は手を出せなかったが、朋夏が入部したので不要と考えた。ところが土壇場で花見の勧誘に成功した。そうなると朋夏は不要になる……。

 ここまでの推理は筋が通る。だが一つだけ、どうしても理解できない。

 ただ一人、何も特別な才能を持たないメンバーがいる。飛行機に何の知識もなく、力仕事も他に人手がいないから、請け負っているに過ぎない。

 会長は、なぜ僕を真っ先に宇宙科学会に勧誘したのか?