7章 鎖を断ち切る 闘いは(9)
9
学校に着き、中央執行委員会室に向かう。部活を一生懸命していなかった今までは、日曜の学校に来たことはなかった。グラウンドや体育館では運動部が走り回り、吹奏楽部の練習する演奏が校内に響いているが、生徒の往来はほとんどない。見飽きたはずの学校の中庭に静かなたたずまいがあることに、僕は今さらながら気づいた。
中央執行委員会室に着くと、中に顔を知らない四人の男子生徒がいて、机にお菓子とペットボトルを広げていた。僕があいさつし、どこに行けばいいのか聞くと、「さっき来た、津屋崎とかいう女の仲間か?」と聞かれた。
ぞんざいな口ぶりにあきれていると、別の生徒が「一階中央棟の応接室。そっちでやってくれ」と言い、手で追い払うような仕草をした。僕が型通りに礼を言ってドアを閉めると、すぐに中から嘲けるような笑い声がした。
やはり宇宙科学会は、中央執行委員会から恨まれているのかもしれない。応接室の扉を開けると、机にうず高く積まれたファイルの山の向こうに、湖景ちゃんが座っていた。
「平山先輩っ! 来てくれてありがとうございます!」
湖景ちゃんが深々と頭を下げた。そこまでお礼を言われると恐縮する。
「僕にできることがあるといいんだけど……なにせ委員会の事務はさっぱりわからないから」
「とりあえず委員会の人に聞いて、部屋にあった大会関係のファイルをすべて持ってきました」
「これ全部? 一人で?」
「ええ、私しかいなかったので」
あの委員会室の男たちは、このファイルの山を細腕の湖景ちゃんに一人で運ばせて、なんとも思わなかったのだろうか。まあ、それに文句を言っても仕方のない話だ。
「そうか、大変だったね。だけど、このファイルの内容、わかるの?」
「とりあえず、ざっと目を通している途中です。あの……私、何とか昼までに全体を見ますので、平山先輩にはその……」
「わかっているよ、応対は任せて。その代わり、何か資料が必要になったら、引き出せるように準備してくれる?」
「はい! あの、書記もやりますから」
それから僕と湖景ちゃんは、目の前の資料の海に没頭した。紙の束におぼれることなく、重要な部分を引き出してチェックができたのは、名香野先輩が資料の目録を、あらかじめパソコンで作っていたお陰だ。改めて先輩の周到な準備には、恐れ入る。
お陰で正午にはほぼ目通しが終わり、二人で事務室で昼食をとることにした。湖景ちゃんはいつもの超小型手作り弁当だったが、僕は学校を出てコンビニで弁当を買い、ついでにペットボトルのお茶を三本買ってきた。一本は、一時過ぎに現れるはずの大会役員用だ。わざわざ来てもらってペットボトルは失礼かもしれないが、学園内での高校生の応対なのだから、ドリップコーヒーでなくても許されるだろう。
「湖景ちゃん、調子がよさそうだね」
昼食を終えてお茶を一服する時間、降ってわいた休日出勤に嬉々として取り組んでくれた湖景ちゃんを、元気づけてみる。
「はい、姉さんの仕事を手伝えるのがうれしくて……きょうはたぶん、気分バッチリの部類に入ると思います」
ここまで言い切る湖景ちゃんも珍しい。尊敬する姉に頼られることを、幸せに感じているのだろう。
「名香野先輩、追試は大丈夫かな」
「姉さんなら、大丈夫です」
「そうだよね。美人で勉強もできて、委員会の仕事もできて機械も強いって、すごいよね」
「私も、そう思います」
自信たっぷりに、我がことのように胸を張る。自分のことはいつも自信がなさそうだが、名香野先輩のこととなると違うのが湖景ちゃんだ。微笑ましい姉妹愛だと思う。そこでちょっと、意地悪をしてみたくなった。
「会長と、どっちが優秀かな」
「え?」
湖景ちゃんが、意表を突かれた顔をした。
「あの……成績は、ほとんど一緒だと思いますし、姉さんも決して負けていないと思いますが」
「運動は会長の方が、できるかな?」
「そう……ですね」
「勉強は、会長は天才肌かな。先輩はコツコツ勉強する秀才タイプだよね」
「はい、姉さんはとても立派だと思います!」
語尾が強くなったのは、天才の会長には負けないと言いたかったのだろう。ムキになる湖景ちゃんというのも、なかなか新しい発見だった。
「人間味だったら名香野先輩の方があるね。会長より優しい感じがする」
そろそろフォローしようとしたつもりだったが、なぜか湖景ちゃんの顔が少し暗くなった。
「そう……ですね。姉さんも会長さんも、すごいと思います……」
「……どうかしたの、湖景ちゃん?」
「姉さんも会長さんも、人気者ですから……私なんかとは大違いですね」
しまった、湖景ちゃんが自分との比較に入ってしまった。こうなると、立ち直らせるのが大変だ。
「私……あまりみんなのお役に立てませんし」
湖景ちゃんが、どんどん自分から心の穴に入っていく。
「そんなことないよ! っていうか、きょうは気分バッチリじゃなかったの?」
「たった今、イマイチな気がしてきました」
ちょっと待て。まずいぞ。役員が来るまでもう時間がないのに、ここで湖景ちゃんを落ち込ませるのは、すごくまずい。
「えーと、前に作った流星雨のシミュレーター。あれ、すごかった!」
「会長さんは、一度も見ずに消してしまいました」
あわわわわ。
「でも飛行機のソフト面の整備は、会長も名香野先輩も無理だよ!湖景ちゃんじゃないと、できない作業だって!」
「それだって、成功するかどうか、わからない……」
「成功する! 絶対成功する!」
僕は湖景ちゃんの両肩に、ばんと手を置いた。湖景ちゃんが、びくっとした表情で、僕を見上げた。
「成功する。なぜなら、わからないことは君の姉さんが、きっとフォローしてくれるからだ。もちろん僕もそうするけど、きっと姉妹が足りない部分を補い合って、いい仕事ができるんだと思うよ。それじゃ、不満かな?」
「……そう、ですよね。私にも姉さんのお役に立てること、ありますよね」
「先輩は湖景ちゃんのこと、すごく頼りにしてるって。だから、きょうも大事な仕事を頼んできたんだろう?」
「はい……そうでした。私、がんばります!」
ようやく落ち着いてくれた。機体やパイロットや名香野先輩のフォローだけじゃなくて、湖景ちゃんの精神的なケアも僕の仕事なのか。それはそれで仕方がないのだけど、僕の精神的なケアは、誰がしてくれるのだろう。
「あの……先輩、ご心配をかけてしまって、すみませんでした」
「湖景ちゃん。そのすぐに謝る癖は、直したほうがいいかもな」
「え? すみません……」
「だから、謝るの禁止」
「すみ……はい」
そう言った瞬間、思わず二人で笑い出してしまった。
その時、コンコンと扉が鳴った。