13章 重ねた努力に 裏切られ(2)
午後になって、湖景ちゃん謹製のピッチ角自動調整プログラムと、シミュレーターの飛行機への搭載作業が完了したと聞き、格納庫に戻った。
「こちらがパイロットの入力した信号。高度と速度もモニターします。で、これがピッチ角の自動調整システム。バッテリー残量が十%になると警告音と同時に稼動し、五秒後にモーターが切れます」
機体の重さや揚力は計算に組み込まれているが、まだ実際の機体が飛んでいないので、操縦の遊び具合や安定性などの飛行特性は、白鳥のデータをそのまま使っているという。そのあたりも二~三回試験飛行をすれば、実データを入れて修整する、と湖景ちゃんは言った。
「わずかな時間でこれだけのものを完成させるなんて、津屋崎さんはやっぱりすごいよ」
「え? その……花見先輩みたいなすごい人に言われたら……困ります」
すごい勢いで首を横に振り、おまけに涙目になってしまった。これには花見も当惑している。名香野先輩がすかさず、フォローに入った。
「あなたのした仕事に対する、正当な評価よ。胸を張っていいわ」
「姉さん……」
そう言われると、ようやく落ち着いたようだ。
「みんなが湖景ちゃんの仕事を、素直にいい出来だなって、思っているよ」
「僕もだ、津屋崎さん。君を航空部に欲しいくらいだ」
「お断りします。湖景は私の目が届くところに置いておきますので」
名香野先輩の軽口に、みんなが大きな声で笑った。なんともいえない暖かい空気が、僕たちの周囲を満たしていく。
「さて宮前君、とりあえず、大会での飛び方のお手本を見せよう」
花見がコックピットによじ登った。
「いいのか、朋夏?」
「うん。まず、やって見せてよ、花見君」
朋夏は笑っていた。
「じゃあ津屋崎さん、打ち合わせどおりにお願いします」
飛行機のマイクから、スピーカーに花見の声が流れる。
「了解です。自動ピッチの試運転もしますので、よろしくお願いします」
「あ、シミュレーターの搭載も成功したんだねー。後で私が遊ぶよー」
いかにも新しいオモチャに気づいた、と言わんばかりの緊張感のない声が、響いてきた。
「古賀さん、真面目にやってもらわないと困ります。これは宮前さんのために用意した機械で、遊びの道具ではありません」
「うんうん! 私もいつもマジメにやってるから大丈夫~」
絶対、名香野先輩がいなくなった瞬間に遊ぶ気だな。
「私はいつだってマジメだよー。ね、ソラくん?」
「……そうかしら?」と、名香野先輩が思い切り不審な目で、会長を見た。
真面目。会長。どう結びつけるんだ。万一、小論文入試の三大話の問題で出たら、手も足も出ないぞ、これは。
「会長の真面目さは多分、一般人には理解しがたい、常人を超越したレベルの話なんですよ」
名香野先輩、今度はその目で僕を見ないでください。僕だって、自分で何を言っているのか、よくわからないんですから。
「そんな! 会長さんは、いつだって、いつだって……」
フォローしようとした湖景ちゃんの声が、徐々に小さくなっていく。きっと湖景ちゃんの脳裏には、宇宙科学会の過去の思い出が駆け巡っているのだ。そして駆け巡るほど、自信が失われていったのだろう。
「真面目……だったんでしょうか?」
だから困った目で僕に振らないでよ。
「……そろそろ、行きます」
そこで計器チェックが終わったらしい花見の声がスピーカーから聞こえて、全員が仕事の顔に戻った。
湖景ちゃんのミニコンに、3Dシミュレーターの画像が映る。これと同じ画像が、コックピットの中でも映し出されているわけだ。
花見がモーターを起動すると、機体はゆっくりと滑走路を滑り出す。前回の機体より長く走っている気がする。機体が重くなったせいだろうか。
「離陸可能速度」
湖景ちゃんが短く叫ぶと、機首がぐっと上がる。モニターは一面の空だ。時折雲があって、それが辛うじて機体の上昇を証明している。
「フェイズ一、順調です。高度八十……九十……まもなく自動ピッチが作動します」
軽快に高度を上げていた機体のモーターが、自動的に停止する。そこで機体は水平飛行での滑空に移った。再び花見の声がスピーカーから聞こえる。
「ピッチ調整、自動で完了。フェイズ二、機首下げ始めます」
視界がぐるりと上向きにスクロールし、今度は一面の海になった。モニター横の高度計がぐんぐん数字を下げ、逆に対気速度計のメーターはぐんぐん上がっていく。
「おいおい……大丈夫なのか?」
「これって、ジェットコースター並じゃないの?」
僕と名香野先輩の不安の声を他所に、花見の機体はなおも海面めがけて加速してゆく。
「五十……四十……今です」
「了解。フェイズ三、機首上げ」
今度は画面が下向きにスクロールし、水平線が見えるギリギリの高度で、見事に水平飛行に移った。僕と名香野先輩は思わず同時に、安堵の息をついた。シミュレーターとはいえ、かなり緊張した。
やがて花見の機体は速度を落とし、着水した。飛距離は八百八十メートル。白鳥の予選会記録より、少し短い。
「水面効果までは、シミュレーターでは計算できません。でも、あと百メートルは稼げるのではないでしょうか」と、湖景ちゃんは付け加えた。
花見が飛行機から降りて、湖景ちゃんのほうに向かった。
「シミュレーターとピッチ調整は、いい感じだね」
「ありがとうございます。会場付近の風データも組み込みましょうか」
「湖景ちゃん、そんなことできるの?」
「はい、平山先輩。というのも内浜は気象台と市の風力発電施設、市民滑空場が風を継続監視していまして、内浜上空の場合は三次元の二百五十メートル単位で風向風速の変化をスーパーコンピューターが推計し、毎分のデータを更新しています。過去データは気象台からアップロードできますので、去年の夏のデータを一週間分組み込めば特定の日時と空間の風向風速をほぼ再現することも可能です」
なるほど、便利な時代になったものだ。
「シミュレーターの出来がいいのはわかったけど」
浮かない顔なのは名香野先輩だ。
「本当にあの飛び方でないとダメなのかしら。なんていうか、ちょっと危険すぎる気がするんだけど」
確かに傍目には相当にアクロバティックな操縦に見える。機首を下げる部分では機体の速度プラス重力で加速しているので、操縦桿を引き起こすタイミングを間違えれば、いかに低速のLMGとはいえパイロットの大けがは免れないだろう。
「僕たちが優勝したいと思うなら、これしかない」
花見は断言した。
「逆に言えば、最初から優勝できそうにない機体ならやる必要はない。参加することに意義を見出すだけでも同じだ。しかし僕達の機体は、確率は低くても優勝が手の届くところにある。あとは挑戦するか否かだ」
挑戦。素人が始めた飛行機作りで、そこまで踏み込むべきなのか。
「トモちゃん。私はやるべきだと思う」
腕を組んだまま真面目な顔で言い切ったのは、会長だ。
「せっかくここまで来たんだよ。優勝を狙わないと意味がない」
「しかし会長、さすがに朋夏を命の危険にさらすわけには……」
「トモちゃんができないなら外すだけ。ハナくんにやってもらうよ」
会長の我がままと押しの強さは、いつものことだ。しかし、この時はなぜか言葉に冷たさが混じった気がした。名香野先輩と湖景ちゃんも不穏な空気を察したのか、にわかに発言できずにいる。
肝心の朋夏はというと、ここまで一言も喋っていない。ただ、今は着水状態となって動かないモニターの画像をじっと見つめているだけだ。そこで周囲の視線に気づくと、ようやく小さな声を出した。