二次創作小説「水平線の、その先へ」

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15章 折れた翼が 痛んでも(3)

 午後になって教官が戻り、飛行訓練のため朋夏と花見を連れて市民滑空場に向かった。名香野先輩は湖景ちゃんの体調を考えて冷房の効いた研修室に移り、二人でバグのチェックに精を出している。昼食後に覗いてみたら、以前と変わらず仲睦まじく仕事をしていた。昨日のわだかまりは消えたようだが、姉妹の絆が強まるよう、しばらく二人にしようと思う。

 会長は「買い出しついでに、実行委員会にデータを出しに行きます」という置き手紙を食堂に残し、姿を消していた。そこで僕は花見の残した設計図を元に、一人で機体の軽量化の作業に没頭した。

 相変わらずの暑さだったが、不思議なほど作業に集中できた。途中で湖景ちゃんが冷たい麦茶を置いていったのにも、気づかなかった。

 しばらくして教官が顔を出した。窓の外を見ると、日が傾きかけていた。

「平山。作業は順調か?」

「はい。花見の指示書のお陰で、一人でも迷わずに軽量化の仕事ができます」

 教官は、機体をチェックしながら、満足そうにうなずいていた。

「朋夏と花見はどうですか?」

「実機の飛行訓練は順調だ。二人はロードワークで滑空場から走って戻る」

 シミュレーションを離れると、朋夏の元気はあり余っているようだ。

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「それより平山、何か気になることがあるのか」

 教官が、何気ない素振りで聞いてきた。この人には、ごまかしは効かない。僕が一事に集中し、不安を頭から払おうとしていたことに気づいている。

「会長のことなんですが」

「古賀か」

「はい。会長の飛行機の知識は昔、教官が教えたんですよね」

「今の知識の全部ではない、とは思うがな。基礎をたたきこんだのは俺だ」

「つまりそれは、会長の家の帝王学なんですか?」

 教官は何も言わなかった。恐らく質問を肯定しているのだろう。そして僕は、自分の推測が正しいと知った。会長は航空産業を傘下に置く父親のグループ企業を継ぐべく、小さい頃から英才教育を施されてきた。

「あの人は、なんでもできます……僕みたいな市井の人間とは違う。そして将来は会社の後とり。だからこの大会にも、人一倍の情熱を持って、取り組んでいるのでしょうね。やっぱり住む世界が違う人なんだろうな」

「それはどうかな?」

 教官が疑問をはさむ。

「古賀が最初から何も努力をせずに今の知識や成績を得たのだと、本当に思うのか」

 そんな人はいない、と常識的には思う。しかし少なくともこの一年半、僕の目の前にいた会長は、そういう人だった。

「平山。お前は今まで、本当の意味で努力したことがあるのか」

 本当の意味の努力とは何をさすのだろうか。真剣に物事に打ち込むという点では、この夏の飛行機作りはその一つだ。だが教官の望んでいる答えは、そんなレベルの努力ではないような気がした。

「たぶん……ないと思います」

「本気で打ち込めるものがなかったなら、本気で努力したとは言えん。それは仕方がないことだ。だが、その尺度で他人を測らないことだ」

 花見はその意味では、天才と言われながらも努力を惜しまず、隠さずに生きてきた男だろう。

「俺は古賀が何も努力をせず、すべてを易々とこなしてきたとは思わん。少なくとも俺が教えた範囲での古賀は、そうだった。ただあいつは、他の誰にもその姿を見せようとしない。家族にもそうだ。だから周囲には天才であるかのように誤解される」

 誤解と教官は言ったが、それが事実とすると、会長はわざと周囲に誤解されるよう生きてきたことになる。

「なぜ見えないところでやるのでしょう? 努力することは何も恥ずかしがることではないのに」

「それはわからん。ただ一つ言えることは、俺はそんな古賀の姿を知っているから、あいつに嫌われているということだ」

 詮索するな、と冷たく言った会長の姿が浮かんだ。会長は、自分を知られることを怖がっている。それはなぜか。あの人の不思議な孤独感は、そこから来るのか。

「会長が教官を嫌っているようには見えません。教官を顧問につけたのも、会長の意思でしょう?」

「大会に勝つために必要だからだ。ビジネスに好き嫌いは関係ないからな」

 ビジネス、という言葉に強い違和感を覚える。僕たちは会長が、宇宙科学会を存続させるためにLMG大会に挑んだと信じている。だがそれが会長のビジネスなら、僕たちは会長の個人的な目標を果たすための、ただの歯車なのだろうか。

「それが本当だとしたら、会長を見る目が変わってしまいます……自分はそう思いたくありません」

 いつだって自由奔放で、規則に縛られず、自分の生きたいように生きる会長。それで不思議に、周囲に嫌な気持ちを与えない会長。そういう会長に、僕たち全員がついてきた。そう思っている。

「平山はそれでいいと、俺は思う。なぜなら古賀は一面で滑稽で、一面で冷徹な自分を演じながら、恐らくそういう自分自身を一番嫌っているのだ」

 教官がぐうっと背を伸ばした。

「平山、世界は広い。一つの視点から物事を見るな。あらゆる角度から把握しろ。徹底的に見て、それから考えろ。それができるようになったら、お前はもっと成長した人間になれる」

 教官は「宮前と花見なら、もうすぐ着くはず」だと僕に教えてくれた。教官が先に風呂に行ったので、僕は二人の到着を待つことにした。