二次創作小説「水平線の、その先へ」

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17章 夢をみんなで 追う路は(10)

 午後、西風がやや北向きに変わった。軽い向かい風は、絶好の条件だ。

 すべての準備を終えた朋夏が、コックピットに収まった。前の機体のフライトが終わり、海上の機体の回収を終えれば僕らの番だ。最後まで風防にしがみついていたのは花見で、朋夏に事細かに操縦のアドバイスを送っていたが、会長に引き剥がされた。

 それまで大会本部に関係者として座っていた教官が僕の隣に来て、満足そうな顔で立っていた。

「いよいよですね」

「ああ。お前たちは全力を尽くした。よくやった」

 僕は、うなずく。

 朋夏が計器のチェックをしている。その合間に、僕は教官に尋ねた。

「古賀総帥に会った日のことなんですが」

「うん?」

「教官は僕のこと、事前に総帥に連絡していたのですね?」

 教官は、にやりと口の端を上げた。

 あの時は、単純にラッキーだと思って喜んだ。だが冷静に考えれば、日本経済界の大物である総帥が、娘の友人だからといって簡単に部屋まで通すなど、明らかにおかしい。

 僕の行動を先読みした教官が、かつての娘の教育係というパイプを生かして総帥に連絡し、あらかじめ僕の来訪を知らせたに違いない。

 素人同然の僕たちを全国大会に引き上げた教官は、人生の先輩であり、同時に僕や上村よりも、たぶん会長よりも上手の策士なのだ。

「ありがとうございました」

「こっちの台詞だ。古賀のこと、平山には本当に感謝している」

 教官が、サングラスを外した。

「その礼と言っては何だが、俺からの最後のアドバイスだ、平山」

 教官の目が、僕をまっすぐに見ていた。

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「自分で限界を、勝手に決めることだけはするな。こんなことしかできない、このくらいならできる。そんなものは老人が考えることだ。今がちょうどいいとも、最高だとも思うな。そんなことは若さが許さないと思え」

 名香野先輩がモーターに接続していた外部電源ケーブルを外す。二十年間眠っていた幻の傑作機が、まもなく大観衆の前で大空に飛び立つ。

「若者の前に広がる未来は洋々たる大海だ。どこに進路を決めるのも自由。だが大洋を前にして陸伝いに進む小型船のような生き方だけはするな。人生は挑戦を続けることに意味がある……そのことをわかってほしい」

 若い頃に夢の翼を失った教官。どんな思いで二十年もの歳月を過ごし、どんな思いで僕らの活動を見守っていたのだろう。それを考えると急に涙腺が緩くなってきた。

 僕や朋夏は夢の翼が折れたことを、自分にしかわからない苦悩と思いこんでいた。

 湖景ちゃんは同級生のいじめと病に倒れた二年間に、心の扉を閉ざしてしまった。

 名香野先輩は周囲の期待に応えることに精一杯背伸びをし、疲れ果てていた。

 花見は天才ゆえの孤独に苦しみ、胸中に押し殺していた。

 上村は正道を質すために、全校を敵に回してまで自分が信じた茨の道を歩いた。

 そんな僕らをつないだ会長は、父親の敷いたレールから逃れて自由になろうと必死にもがいていた。

 僕たちは孤独という名の同じ彗星から出た、小さく短く消える流れ星だった。

 僕たち全員がとてつもなく大きいと考えていた悩みや孤独感など、社会に出ていけば、たいした問題ではないのかもしれない。教官のように大きな苦しみを背負ってなお、人は生きるのだから。

 ただ大人には大人の、高校生には高校生の悩みがあると思う。どっちが深い悩みかなんて議論は意味がない。僕は好きだったバイオリンの道をあきらめた時、未来も一緒になくなったと思った。それは間違いだった。星の数ほどある人生の可能性から、一つの選択肢が消えただけだ。

 僕は、会長をずっと誤解していたと思う。会長は飛行機を作るために、僕たちを宇宙科学会に集めたのではなかった。

 たぶん自分と同じ匂いがする人間を拾っていたんだと思う。いや、正確には「勝手に集まってきた」というべきなのだろう。

 朋夏が計器チェックを終える。オールグリーン。

 パイロットは孤独だ。その孤独と、朋夏が戦おうとしている。

 そしてパイロットは孤独だが、孤独じゃない。空は孤独だが、孤独じゃない。なぜなら、僕たち全員がこの翼を作ったからだ――教官の言葉と共に、これまで奮闘してきた仲間の姿が甦り、胸が熱くなった。

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「がんばれ、朋夏ああああッ!」

 僕が昂じる思いを一気に言葉に昇華させた時、それはありきたりな声援となった。

 僕ら五人は自然に肩を組み、それぞれの言葉でパイロットにエールを送る。朋夏が笑って振り返り、親指を上げた。

 閉じた風防に夏の太陽が反射し、宇宙科学会のメンバー全員を、スポットライトのように煌びやかに包んだ。

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