13章 重ねた努力に 裏切られ(8)
午前中に市民滑空場で飛行訓練をした朋夏が、格納庫に現れた。昨日に引き続いて、水面飛行のシミュレーション訓練に取り組むためだ。
「ピッチ調整のプログラム修正が終わってないけど、なんとか飛行ルートの感覚だけでもつかんで欲しい」
花見の要望に、朋夏は「了解」と短く答え、親指を上げる。
だが、墜落は相変わらず続いた。やはりコックピットに座ると、機首上げのタイミングがどうしても合わない。
「さすがに……なんとかしないと拙いんじゃないかな」
僕の呟きに、花見は「少し休憩を入れよう」と答えた。
「えー、もうちょっとできそうだよ! あと一回」
花見が僕の方を、じっと見つめる。それでマイクを替わった。
「朋夏、休憩だ。ご苦労さん」
スピーカーから、がんという音が響いた。うまくいかない腹いせに、計器板をたたいたのかもしれない。機体は大事にしてほしいのだが。
コックピットから降りてきた朋夏は、一目で「不満です」とわかる不機嫌な顔をしていた。
「朋夏、気持ちはわかるが、焦ってもしょうがない。それよりいつもの笑顔はどうした?」
朋夏はしばらく僕をねめつけていたが、ふっと笑顔を作った。いい具合に心をほぐしたようだ。さすがに感情のコントロールはうまい。
「で、花見。朋夏を休ませるため、だけじゃないんだろ?」
「ああ。飛行ルートを見て問題点を洗い出してみた。津屋崎さん、みんな、少しいいかな?」
湖景ちゃんがうなずいて、ぱたぱたとキーボードシートを打つと、朋夏の飛行ルートを示すらしい三次元の曲線がスクリーンに何本も出てきた。
「この飛行で重要なのは、フェイズ一の上昇角度、フェイズ二の下降を開始するタイミングと角度、フェイズ三の機首上げと角度の三つです」
「わかってる。まず、ガッといってからフッとなって、ためてからギューンっていう感じだよね」
朋夏の表現は、相変わらず擬音だらけだ。
「飛行ルートを見る限りでは、宮前君はよく理解しているよ。ただフェイズ二の降下角度にばらつきがあって、一定していない。しかも一番緩い角度の時の感覚で操縦桿を引いているから、機体が水面に激突するんだ」
花見がスクリーンとホワイトボードを使いわけながら、説明していく。
「操縦中に姿勢指示器は見ているかい?」
「一応、は。ただタイミングが頭から離れなくて、つい目の前の画面に集中しちゃうんだよね」
「湖景、それなら上昇と下降の角度まで自動化してみたらどうかしら」
名香野先輩の提言に、全員の視線が湖景ちゃんに向かう。
「可能ですが、あまり操縦の自動化を複雑にすると、いざシステムトラブルが起きた時に機体に予期しない動きが起きて、パイロットがパニックになる恐れもあります……実際の飛行では風などの影響もありますし、結局パイロット頼みになるのは変わらない気がします」
「僕も津屋崎さんの意見に賛成だ。自動化は便利だが、最小限にとどめるべきだと思う」
「でも宮前さんがうまく操縦できないなら、仕方ないんじゃないの?」
少し朋夏が不満そうに、顔を膨らませた。
「あたしが特訓すれば、済むことじゃない。まだ一週間あるんだし。花見君、なんとか姿勢指示器も見るようにする。だからもう少し挑戦させて」
そこで教官が口を開いた。
「宮前、体で覚えることも大事だが、自分の問題点をよく頭で考えながら操縦しろ。ただ闇雲に体を動かすな、目的意識を持て」
「はい、教官!」
朋夏が直立で敬礼をする。元気だけは、ありあまっているようだ。
「よーし、じゃあそろそろ、いくよ!」
そういって、飛行機に歩き出した瞬間、朋夏がよろけた。そして後ろに見事な尻もちをついてしまった。
「朋夏!」
「あったー。小さいお尻が自慢だったけど、こういう時は恨めしいねー」
朋夏は冗談めかして手を伸ばした。僕がその手をとって立たせてやると、今度は僕のほうに倒れかかってきた。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫、大丈夫。えへへ、弘法も筆のカタマリ、河童のかわずかけだね」
冗談か素で間違っているのかは判然としないが、笑い飛ばすことではない気がする。
「宮前君、少しオーバーワークじゃないかな」
確かに暑い中で連日、朝から晩までの訓練が続いている。あと一週間、体がもたないとも限らない。そこで教官が口をはさんだ。
「宮前、きょうの午後は休め」
「え、でも……」
「体を休めるのも、立派な訓練だ。忘れるな、パイロットは簡単には替えが利かない」
朋夏の視線が花見で止まるが、花見は何も言わなかった。
「わかりました。じゃあ、少し部屋で休んできます」
「大丈夫ですか、宮前先輩。つきそいましょうか」
「平気平気。あたし、少し寝るわ。おやすみー」
朋夏が後ろ手を振りながら、格納庫を出ていった。
「やけに素直だったな、朋夏」
「焦りでなければ、いいけどね。平山君、宮前さんこと、よく見てあげて」
先輩に言われるまでもない。無茶しがちな朋夏を自制できるのは、僕だけだ。これからは朋夏の体調のサインを、見逃さないようにしないと。
午後のシミュレーション訓練は中止となったが、代わりに機体の製作に集中的に取り組んだ。懸案だったエンジンの取り外しとモーターの装着に、まとまった時間が取れたのは不幸中の幸いだった。それまで機体のシミュレーション操縦は、機体外のミニコンと電子接続していたが、これで機体に組み込んだコンピューターでモーターや稼動系の操作が可能になる。その後の作業はシステムチェックが中心、会長はピッチ調整部品の装着作業に入ったため、僕はやることがなくなってしまった。
夕方までの時間、旧校舎のグラウンドの隅で大の字になった。青空ははるか高くに広がり、そのさらに高みを通過する飛行機が、一筋の雲を作っている。こうやって昼の空をのんびり見上げるのも、久しぶりだった。
朋夏はがんばっている。僕も、みんなもがんばってきた。何もしない時間、というのが妙に落ち着かない。こんな感覚になったのも、いつ以来だろう。
「こんなところで、何をしている」
近寄ってきた教官が、僕の顔を見下ろす。相変わらずサングラスで視線は見えないが、声は休んでいる僕を、非難する様子でもない。僕は自分の胸の中にある戸惑いを、正直に告白してよいものかどうか、迷った。だが告白しようにも、何を言えばいいのか、よくわからない。
「朋夏の奴が、超やる気モードに入っているんです」
「そうだな」
「あいつも、よくやりますよね」
「そういう宮前を、お前はずっと見てきたのではないのか?」
その通りだ。朋夏はいつも、元気いっぱいだった。
「朋夏が何もしないで怠惰に過ごしたのは、宇宙科学会にいたこの一年ほどの間だけでしたから」
「目標ができれば、人間が努力するのは当然のことだ」
つまり努力が続かない僕は、目標がないからなのか。目標があれば、朋夏のような努力ができるようになるのか。だが、僕にはがんばることはできても、あそこまで打ち込むのは難しいのではないだろうか。
「めざす目標が高く、それに挑む気持ちが維持できるのなら、誰でも一事に打ち込めるようになる。そして障害が高く険しくなるほど、達成した時の喜びもまた何物にも代えがたいものになるはずだ」
「どうすれば挑戦する気持ちが持てるのでしょうか」
「夢だな。それも失敗を承知で、だ。平山、お前は夢を持っているか?」
夢。持ってみたい。でも、今は何もない。この飛行機に真剣に取り組む、ということ以外には。
「夢を持てないのはなぜか? それは失敗を恐れるからだ」
失敗。人の心を萎縮させるもの。それは身に染みて知っている。
「人は年と経験を重ねるにつれ、失敗が恐ろしくなる」
「失敗を恐れるな、ということですか?」
「それも違う。夢を果たすには、失敗を恐れ、失敗したくないという気持ちを、更なる苦しい鍛錬を重ねる原動力にすることが必要なのだ。失敗を後悔という言葉に置き換えても構わん。失敗を理解し、失敗を恐れることで、人は初めて夢に向かって邁進することができる」
最近の朋夏の練習には、鬼気迫る雰囲気が漂っている。
「あの朋夏が失敗を恐れるのでしょうか」
僕には想像できない。朋夏はいつでもチャレンジ精神が旺盛だった。
「そのヒントはお前が言ったではないか」
教官が僕をじっと見つめた。
「宇宙科学会に入ってから、宮前は何もしなかった。そう言ったではないか」
確かにそうだ。十七年あまりの人生の中でごく一時期ではあるが、朋夏は走るのをやめていた。
「お前は幼馴染み面をしているが、理由を一度も聞いたことがないのか」
今度の声には、冷たさが混じった。