14章 無窮の闇に 囚われて(2)
「花見には、夢があるんだよな」
「いきなり、なんだい?」
格納庫に戻った、その日の昼過ぎ。機体のモーターを整備をしていた花見が、びっくりした様子で顔を上げた。
「いや……ちょっと考えていてさ。花見や朋夏の姿を見ていたら……僕も何か見つけることができないかなって」
「飛行機にのめりこんでみれば? きっと何か見つかるよ」
花見は「何を悩むんだ」とばかりに言う。
「そう単純には……花見と僕はきっと違う」
花見は飛行機に関して天賦の才を持っている。朋夏も体操については一時は五輪代表級だと騒がれた。そういう人間が夢をもつことはわかる。しかし僕にできるのは力仕事くらいだろう。
「……勘違いしているのは、たぶん君のほうだ」
僕の話を黙って聞いていた花見が手を休めて、僕をじっと見つめた。
「夢なんて、つまらないものだよ」
「え?」
「大抵の人間の夢なんて、本人以外には価値も意味も見出せないものさ」
そうだろうか。夢は大きくて崇高なものじゃないのか。
「例えば、だ。もし平山君が飛行機と出会う前に、僕が『自分の夢は飛行機を設計することです』と言ったとしたら、君は何て言い返す?」
「ええと……へえ、そうなのか……かな?」
「そうさ。飛行機に興味がなければ、機体の設計に夢を持つ高校生なんて変わり者にしか見えないよ」
花見が翼の上に置いたビスの一本を手にとり、再び翼の下に潜り込む。
「料理人になりたい……映画監督になりたい……サッカー選手になりたい。みんな夢だ。でも僕は料理人にも映画監督にもサッカー選手にも興味がない。へえ、そうか、しか言えないんだ。それが夢さ。他人にとっては人生で一度もかかわらないようなことを、夢を持つ当人だけが目指すべきものだと勝手に決めて、がむしゃらになってるんだよ」
「じゃあ、どうすれば飛行機が夢になるんだろう」
「例えば大会で勝つことは、平山君にとって目標になっていないのか?」
「目標かどうか……もちろん勝てるものなら勝ってみたいと思うけど」
「何でもスタートはそこさ。サッカー選手を考えてみなよ。兄貴よりうまくなりたい。そこからスタートして、クラスの友達より、隣の学校のライバルより、市内のライバルより、県内のライバルより……そんな積み重ねで最後は世界で一番うまくなりたい、なんだぜ。どこからが夢でどこまでが目標なのか、区切ることに意味があると思う?」
本人にとって達成することに意味があること。それが夢。
他人の賞賛を受けるのは、その結果に過ぎないってことか。
「夢は考えて見つけるものでもないし、あればあったで、それを追い続けるのも大変だよ。夢がなくたって一つの人生じゃないの?」
一つの人生、なんて言葉を高校生の花見がけろりとした表情で言う。
「ただ夢を追うことは楽しいから、そういう楽しさがなくなるのは、僕はちょっともったいない気がするけどね」
追いつきたいような、でももっと先を飛んでいて欲しいと思うような感覚。それは蜃気楼か、自分の影を追うのに似ている。そんな感覚を、僕は久しく持っていない。目標がある時には、追いつけそうにない自分が辛かったし、努力しなければいけない境遇が疎ましかった。だけど今は飢餓感がある。
「楽しいものが待っている、か……じゃあ、僕も何か探してみようかな」
「それがいい。僕は夢を応援するよ」
背伸びをすると、窓の外の青空に大きな太陽がかかっていた。
「それより平山君、きょうは洗濯当番じゃなかったかい?」
「あ……そうだった。ごめん、すぐ済ませてくるわ」
合宿も五日目、衣類の洗濯が結構大きな問題になっている。当然男女別だから、教官と合わせて三人分の洗濯物は花見と二人で交互に担当する。
朝食後に回した洗濯機は、とっくに止まっていた。その中から洗濯物を取り出して研修センターの屋上に運ぶ。結構な力仕事で、全部干すのに三十分ほどかかった。
そして僕は抜けるような青空の下、屋上に並べられた洗濯物の下で、ささやかな午睡を楽しむことにした。花見の作業は専門的なメカの調整で、僕にはしばらく出番はない。
陽光の鋭さは相変わらずだが、きょうは強い山風が吹き抜けるので、昼寝にはちょうどいい気温だった。これほどの贅沢な時間は、めったにない気がする。そのさわやかな幸せの時間を邪魔されたとなれば七代先まで祟っても悪くはないだろう……。
「は……はくしょん!」
思わず鼻をこすると、文字通り目と鼻の先になぜかホウキの毛があった。その柄は会長がしっかりと握っている。
「こんなところで寝ていると、紫外線で皮膚が焼けちゃうよ?」
だからといって、もっと穏当な起こし方をしてくれてもいいと思う。
「他人がサボっているのを見つけると、無性に邪魔したくなるんだよねー」
それだけは会長に言われたくない。
「きょうの僕は一応、男子の洗濯係なので。干しあがったら戻すつもりで屋上にいたんですよ」
「えらいえらい。じゃあマジメなソラくんに、女子の洗濯物もお願いしようかなー」
それだけは勘弁してください。マジメでいられなくなる気がします。
「あははは、男の子だねー」
会長の黒髪が、相変わらず強い西風に揺れている。その先に真っ青な海と、向こう岸の東葛市の町並みが霞んでいる。目の前の無粋な洗濯物さえなければ、なかなかロマンチックな光景なのかもしれない。
「そういえば会長、一つ聞きたかったんですが」
ふと思いついて、僕は寝転んでいた上体を起こした。
「何かなー?」
「教官のことです。会長は以前からお知り合いだったんですよね」
「ええ、そうだけど……それが?」
会長が一瞬であれ、言い淀むのは珍しい。
「いいんですかね、技術指導とかで、うちの学会に肩入れしても」
会長はなぜか、ほっとした様子で笑顔をほころばせた。
「なんだ、そんなことかー。わかりきってるじゃない。小型バッテリーとモーターの航空分野での応用をもくろんでいるのは、一社じゃないってことだよ」
純電気飛行機という新しいジャンルとはいえ、まったく独創的な技術とはいかないらしい。汎用性のある技術がある程度発展すれば、そこからどんな商品を生み出すかは、つまり各社の先取り競争になる、ということだ。
「最初のLMGがしっかり成果を上げられるかが今後、この業界でリードするための重要なポイントになる。だから応募してきた団体には、しっかり技術指導がつくというわけ」
そういう話をする時の会長の顔は、優秀なサラリーマンのようだった。
「なるほど。そう言えば教官は昔、何をしていた人なんですか?」
前に教官から、会長のことを聞いたことがある。教官は、会長から電話で誘われた、と話していた。
「私もよく知らないんだけどね。学生時代は、パイロットをやっていたみたいだよ」
会長が屋上の手すりに、身をもたせかける。
「うちの大学航空部OBだったらしいけど」
パイロット、OB、引退、そしてあの機体。
予想はしていたが、花見の話と一本の糸につながっていく。
「やめた理由は聞いてないねー」
「それでも飛行機を忘れられず、中島航空工業に入って、会長に飛行機のことを色々と教えこんだというわけですか」
何気ない一言だったが、会長の表情がわずかに曇った。
「……どうして、知っているの?」
「は?」
「教官が私と古い知己だということ。どうして知っているの?」
それは聞いたからです……と言おうとして、しまったと思った。僕と湖景ちゃんは会長が東京に行った日に、大会実行委員会のメンバーとして学園に来た教官から古賀家の事情を聞いている。会長はそのことを知らない。
「ずいぶん前に。教官が会長の教育係だったって、聞きました」
「……すると私のことも聞いているのね」
会長の顔が、なぜか悲しげになった。
「いえ、そんなに詳しくは。でも、どうしてそのことを隠すんですか?」
「言いたくない」
急に会長の物言いが、冷たくなった。
「ソラくん、変なことを詮索しないで。私たち今までずっと、そうやってきたでしょ?」
何か僕が詮索した、というのだろうか。会長が教官を呼んだこと、それは「他言無用」と言いながらも教官は普通に話していた。秘密にするような話だろうか。
「私たち……絶対に優勝しないと、ダメなんだからね」
会長が、暗い声で呟いた。
「だからソラくん、サボってもいいけど、手を抜いたらダメ。そうしたら私、ソラくんを許さないからね」
会長は暗い顔のまま階段へと向かい、少し乱暴気味に扉を閉めた。