二次創作小説「水平線の、その先へ」

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17章 夢をみんなで 追う路は(6)

「花見は気にしていないんじゃないか?」

「そんなはずはないよ。誰よりもこの飛行機をよく知っていて、飛びたかった人じゃない。それなのに負けたことを気にして、あたしたちに遠慮して、一言も自分から乗りたいって言わなかった」

 勝敗なんか気にせず、仲間になれればいい。そう思うのは僕が文化系の思考だからだろう。朋夏は花見と同じアスリートだから、勝負に賭けて負けた人間の気持ちが痛いほどわかるのだ。

「その飛行機が明日、着水して壊れちゃうんだよ? 絶対、内心は悔しいと思うな」

「そりゃ悔しいだろうさ」

 え、と朋夏が僕を見る。

「でも後悔はしていない。なぜなら、この飛行機を託したパイロットが朋夏だからだ。それなら僕にもわかる」

 朋夏はしばらく釈然としない表情を浮かべていた。

「花見は朋夏を信頼している。花見だけじゃない。教官も、名香野先輩も、湖景ちゃんも、会長も、もちろん僕もだ」

「空太ってさ」

 朋夏が急に遠い目をした。

「前から言いたかったんだけど……本当はなんでもできるのに……いつも中途で投げ出しちゃうの、よくないよ」

 それは朋夏の言う通りなのだが。

「なんで急にそんなこと言い出すんだ?」

「例のコンサートの件。あたし、ずっと空太の心の傷に触れないようにしてきたでしょ? それが間違いだったって、わかったの。だから言うことにした」

 朋夏が僕に、苦言をいう。それは朋夏が少し大人になった、てことだ。そして僕はあきらめないこと、努力することの大切さを、宇宙科学会のみんなから学んだと思う。

「大会が終わったら、僕は僕なりに努力することを見つけたいと思う」

「飛行機? それともバイオリン?」

 それはまだわからない、と僕は言った。

「まあバイオリンは、もう趣味以上にはできないけどね。こんなに腕をなまらせたら、もう元には戻せない。それより勉強しないと。やっぱり大学行かないとカッコ悪いし、両親にも悪いし」

「そうなんだ……そうなったら、きっとその先は別々だね」

 朋夏がまた空を見上げる。

「朋夏だってこの前、学年五十番以内に入ったじゃないか」

「あれは会長の特別指導と運があったから。あたしには、あれ以上は無理だよ。普通に勉強したら空太の方がずっと頭がいいって、わかっている」

 気になっていたことを聞いてみた。

「体操には戻らないのか?」

「うん。中途半端は、やっぱりイヤなんだ。一度ダメってわかったから、もうやりたくない」

 退部したことで、体育推薦の夢も消えてしまった。朋夏はこれから高校で、自分で自分の道を見つけなければいけない。

 教官の言う通り、朋夏は決して頭が悪いわけではないが、学校の勉強に向いていないのもたぶん事実だ。僕以上に未来は厳しいはずだ。

「飛行機が好きなら、そっちの道に進んだらどうだ? 教官みたいにさ」

「でも、今の仲間と別れ別れになって情熱を持ち続けられるかな」

「朋夏も一人で体操部に入って、仲間を見つけて、がんばってきたんだろ? 飛行機が好きなら花見もいるし、新しい仲間も見つかるさ」

「うん、そうだね。この大会が終わったら、あたしも真剣に考えてみる」

 僕を見た朋夏は、もう底抜けに明るい太陽のような笑顔を見せた。

「あたし、湖景ちゃんの様子を見てくるね」

 吹っ切れた様子の朋夏は、いつもの後輩思いの朋夏に戻っていた。

 湖景ちゃんは星空のシャワーに全身を委ねるかのように、小さな背をいっぱいに伸ばしている。その姿を少し離れた場所からじっと見つめる、お姉さんがいた。

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「湖景ちゃんの方に行かないんですか?」

「ん……そうね、今はいいわ」

 奥歯に物が挟まったような言い方だった。

「……最近の湖景は、変わったわよね?」

「そうですね。少なくとも、合宿が始まってからの湖景ちゃんとも違うのではないでしょうか」

 短い期間だったが、湖景ちゃんにもいろいろなことがあった。

「平山君には感謝している。あの子に自信をつけさせてあげようと、いろいろと気を遣ってくれて。二年も入院していたせいか、あの子はどこか他人と距離を置くようなところがあったから、気になっていたの」

「もし湖景ちゃんが変わったのだとしたら、湖景ちゃん自身の変わりたいという気持ちが大きかったのだと思います」

 そうでなければ、周囲が何をしても無駄だろう。今までの僕がそうだったように。

「そうね。湖景はただ誰かに守られる存在だけでなく、誰かを支えられる存在になりたかったのかも」

 私もそろそろ妹離れしなきゃね、と先輩は笑った。この夏、孤独な湖景ちゃんの成長を支えたのは、人のいいちょっぴり過保護なお姉さんだった。だが季節が移り、人が成長すれば、そうした関係も変わってゆく。いずれまた、姉妹が別の道を歩む日が来る。その時は遠くから見守る存在になりたいと、先輩は考えているようだった。

 湖景ちゃんの変化は、ゆっくりだけど堅実な歩みだ。そして湖景ちゃんの心は、見た目の印象よりもずっと強い。だから、この変化が後戻りすることはないと、僕は信じている。

「あと、古賀さんのことも。正直、古賀さんを誤解していたこともあったけど。根は真面目でご両親思いの、いい人なのよね」

 いつも会長の餌食になっていたのが、先輩だ。人と人の信頼関係は、こうして積み重ねられるものなのだろう。

「平山君は、私にだけ優しいんじゃなかった……それがちょっと不満かな」

 先輩がため息をつきながら夜空を見上げる。柔らかそうなウエーブのかかった髪が、さらりと音を立てて背中を流れた。

「姉さん、今すごい星が輝きましたよ! 見ました?」

 湖景ちゃんのうれしそうな顔に、先輩は吹っ切れたような笑顔を返した。

「もう少し……湖景ちゃんのそばで、いいお姉さんでいてください。湖景ちゃんには、まだお姉さんが必要だと思います」

「わかったわ。私はあと半年で卒業だけど……あとは平山君に任せるから」

 それは僕を信頼してくれていると、受け取っていいのだろうか。そう思っていたら「ただね」と先輩が言葉を継いだ。

「泣かせたら、ただじゃおかないからね」

 肩に手をかけて離れていった先輩の笑顔は、ちょっぴり怖かった。

 僕は、会長の方に寄ってみた。こうして一人で宇宙を見上げている会長の横顔は、どこか妖艶で、そして神秘的だった。

 長い黒髪が、また風に揺れる。まるで魔法のタクトのように。

 宇宙科学会に入って、毎日毎日振り回されて。年上なのにそうは見えない時があって、でもいつだってカッコよくて。

 いつだって背中を追いかけていくのが精一杯だったけど、それでも楽しかった。一緒にいられる時間が少しでも長く続けばいいのにと、いつも思っていた。

 古賀沙夜子会長は、ずっと僕の憧れの人だったんだ。

「宇宙科学会を作って、よかった」

 会長が呟いた。

「ソラくんを誘って、よかった。みんなと一緒に空に挑戦して、よかった。いっぱいの宝物。もう両手からこぼれ落ちそうなくらい」

 その瞳に、あの虚空はなかった。目の前の澄みきった夜空のような、どこまでも透明で、純粋な黒だった。

「私は幸せだった。だって自由な高校時代に、こんな素敵な想い出をたくさん作ることができたんだもの」

「まだですよ、会長。明日、優勝します。みんな一緒に、水平線の先まで飛びましょう。そして一緒に、自由を手に入れましょう」

 水平線の先にある世界。「遠いように見えて、ずっと近いところにあるんだ」と、あの日に朋夏が言っていた。そして朋夏が見ようとした水平線の先には、きっと素晴らしい世界が広がっている。

 会長はしばらく僕を見つめた後、うん、と柔らかく微笑んだ。