二次創作小説「水平線の、その先へ」

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15章 折れた翼が 痛んでも(6)

 会長は食堂にいた。なぜかテーブルにウエッジウッドのティーセットが並び、琥珀色の液体が芳香をたたえている。いつのまに合宿所に持ち込んだのだろう。

「会長……ずいぶんと余裕みたいですね」

「んー、そうかな。普通だと思うけど?」

 高校生の合宿で普通と言うのは、湯飲みに冷蔵庫の冷たい麦茶をがばがばと注ぐことのような気がする。

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「だってイギリス式に言えば、今は午後のティータイムだよ?」

 会長は、いつもの会長だった。朋夏と衝突した時の激しさは微塵もない。

「いや、そういう論点じゃありませんので。僕が聞きたいのは、なぜ合宿にティーセットが必要なのかという点ですが」

「おいしい紅茶を飲むためには、いいカップも大事な要素なんだよー」

「えーと、そういう意味じゃなくてですね……」

「んー。どういう意味かなー?」

 そんなふうに「わかんなーい」みたいに、首を傾げないでください。聞いている僕が間違っているみたいじゃないですか。

「大会ですよ。あと四日です。勝たないといけないんですよね?」

「大丈夫だよー。みんな、がんばってるしねー。あとはトモちゃんの水面飛行がうまくいくと、いいんだけどねー」

 会長が窓の外を眺める。こうやって普通に話を聞いていると、会長の本心は読めない。本気で朋夏を外してまで優勝したいのか、それとも単に朋夏の闘志を燃やそうとしているだけなのか。

 会長の本心。それを確かめるために、僕はここに来た。

「会長、聞きたいことがあるんですが、いいですか」

「んー、何かなー?」

 相変わらず小悪魔のような、いたずらっぽい笑みだ。

「会長がLMG大会をめざし、僕たちを宇宙科学会に集めたのは偶然なのでしょうか。それとも何かの理由や目的があって、僕たちを選んでスカウトしたのでしょうか」

 瞬間、空気が張り詰めた気がした。会長は表情を変えない。ただ僕の瞳を、さっきとは違う氷の視線で見つめている。

「教官と面識があるとか、もともと飛行機を持っているとか。LMG大会があることを知って、ただそれに勝つために宇宙科学会を作り、僕たちとつきあってきたとしか思えません」

「……そう、来るかな」

 会長がティーカップをソーサーに置く。

「会長は何かの事情があって、この大会に勝たねばならない。朋夏を宇宙科学会に入れたのは、パイロットとして養成するため。湖景ちゃんと名香野先輩を勧誘したのは、飛行機のソフトとハードに必要な人材だから。そして花見が入って朋夏が不要になった。だから朋夏を外すのですか?」

 僕は一気にまくし立て、会長は途中からゆっくりと首を横に振りながら僕の話を聞いていた。

「別に。空太がそう思うなら、そう思ってくれてもいいよ」

 今度は、目を合わせない。僕はそれを肯定と受け取った。会長が足を組み替えた時にテーブルの下にひざが当たり、ティーセットががちゃりという音を立てた。

「それで? 空太はトモちゃんを、何が何でもパイロットにしたいの?」

「いいえ。ただ朋夏は意地になっていますが、会長のことを信じています。だからその心だけは汲んでやってください。その上で会長がどうしても勝ちたいというなら、みんなで話し合ってパイロットを決めましょう」

 ふーっ、と会長は大きな息をついた。そして哀れむような目で、僕を見た。

「空太が、そんな馬鹿な子だとは思わなかったよ」

「馬鹿?」

 僕は少しだが、初めて会長に腹を立てた。僕は真剣に話しているのに。なぜ人を蔑むような台詞を吐くのだろう。

「勝手にすれば。空太のやりたいようにやればいい。私を追い出したいなら追い出せばいい。聞きたいことは、それでおしまい?」

「いいえ。もう一つ知りたいのは僕のことです。会長はなぜ僕を宇宙科学会に勧誘したのですか? その……去年の四月に初めて会って、飛行機に関して何の取り柄もない僕のことを」

「言いたくない」

 まるで駄々っ子のような不貞腐れた言葉だった。それで僕はつい言葉を爆発させてしまった。

「じゃあ、そこまでして勝ちたい理由は何なんですか! それを教えてくれれば、僕は今までどおり会長に協力します」

「協力、なんてお仕着せがましいことを言わないで。それに空太はいつから、そんなに人を詮索する人になったのかな」

 会長が譜面を諳んじるように呟く。

「宇宙科学会会則第一条。会員はお互いのプライベートな事情を詮索しない。お互いの過去に触れない」

 もちろんそんな条文はどこにもない。ただ僕も朋夏も今まで自然とそこをわきまえ、行動してきたことは事実だ。

「じゃあ会長が名香野先輩と湖景ちゃんの個人事情を知っていたのは、どうなんですか? 会則に違反するのでは?」

 僕の反論に、初めて会長が詰まった。会長がこんな初歩的なロジックでミスを犯すのは、ふだんの冷静さを失っている証拠だ。

「親友の上村君のことさえロクに聞こうとしない空太だもの。私のことをそんな風に問い詰める日が来るなんて、思いもしなかったよ」

「会長。確かに僕は高校に入ってから、人の心に深入りをすることを、できるだけ避けてきました。ですが会長は僕の友人です。会長は先輩ですが、僕の大切な友人です。そして宇宙科学会の仲間です。会長が優勝をめざす、それがどんな理由でも構いません。ただ隠し事をして欲しくない」

 友人、と会長は吐き捨てるように復唱した。

「本気で? 本気でそう思っているの?」

 会長の問いかけに、僕は強くうなずく。

「もう一度、確認するけど。私が空太を勧誘した理由。本当に言っていいのかな?」

 会長の声が低くなった。僕は少しだけ不安を覚えた。

「ええ、お願いします」

 そう、と会長は小さな声で答え、大きなため息をついた。

 そして会長は、僕の顔を正面から見つめた。まるで僕を憐れむかのような、悲しい視線だった。なぜ、そんな顔をするのだろう。

「二年前の十二月……クリスマス・イヴの夜……」

 会長がゆっくりと言葉を紡ぎ出す形のいい口元が、僕の視界では、まるでコマ送りの映像のように流れ始めた。

「東京KCホール……桐花バイオリンコンクール……」

 顔から血が引くのが、はっきりわかった。そして視界が回り出した。この人は、僕の何を知っているのか。そして、何を言おうとしているのか。

「特別奨励賞……次点……」

 血液が心臓で、逆流している。僕は胸を抑えた。落ち着け、落ち着け。たとえ会長がそれを知っていたとしても、あのことは知らないはずだ。朋夏以外に、この学校では、誰も知らないはずなんだ。

「……そして悲劇」

 そこまでだった。僕の精神の糸が、完全に切れた。心の底がはじけ、押さえつけていたどす黒い液体が、一気に溢れ始めた。僕は、自分の上げた声が聞こえなかった。会長が冷たく見下ろす視線が、視界から歪んで暗転した。