16章 輝く未来の 懸け橋に(6)
会長の心の青空を取り戻したい。だが、どうすればいいのだろう。
僕は一向に晴れ間の見えない夜の屋上に見切りをつけ、旧校舎の敷地やグラウンドをあてもなく歩き回った。
気がつくと、格納庫の前にいた。暗闇の中で雲間から覗く月明かりに時折輝く白い機体が、二十年ぶりに大舞台で蒼穹を舞う夢を大切にしまいこんでいるように見える。
自由な未来。僕たちの周りには、漠然といい大学に行こうとしている奴もいれば、花見のように目標を決めて努力している奴もいる。才能の差はあれ、思い描く未来は自由だ。会長は、どんな未来も描けるだけの学力も才能もある人だ。それなのに、自分だけが未来を選べない運命だと、信じている。
思えばこの機体も、運命に翻弄された。教官は夢をあきらめきれず、心の底で夢を温めていた。機体は朽ちるだけの運命に身を委ねながら、教官と一緒に、もう一度飛べるはずだと、信じてきたのかもしれない。
「僕は会長に、いつまでも自由で笑っている会長であって欲しい」
あの虚空のような瞳だけの人生を、送ってほしくない。僕はいつしか、目の前の機体に語りかけていた。
翼が生まれた理由は、空を飛ぶため。ならば人が生まれた理由は何だろう。
それは人が自由であること。誰かに束縛される存在でなく、困難を自分の力で乗り越え、前に進むことではないか。
翼が重力に打ち克って飛ぶ姿に、人は見果てぬ自由を夢見る。僕はその魔力に取りつかれ、無気力な生活に見切りをつけ、仲間とここまで、障害を乗り越えてきた。
人は、飛ぶ時をただ待つことは許されない。空を飛びたければ、何かを変えたければ、自分から動くしかない。
「平山先輩……探しました」
振り返ると、宇宙科学会唯一の後輩が、僕をまっすぐに見つめていた。
「宮前先輩は、きっと飛べます。会長さんも、きっと明るさを取り戻してくれます」
「そうだね……」
予選会の前を思い出す。あの時、僕は本当に名香野先輩を説得できるか、自信がなかった。それでも僕たちは最後に飛べた。
今度のトラブルは二人……いや、正確には三人だ。
朋夏と会長の問題で手が回らないが、湖景ちゃんのピッチ調整プログラムだって未解決なのだ。
その責任を、湖景ちゃんは一人で背負っている。僕には湖景ちゃんを助ける余裕も能力もない。大会まで、あと三日だ。
「私のことは大丈夫です。もう落ち込んだりしません。自分で解決します。だけど宮前先輩と会長さんには、きっと平山先輩が必要なんだと思います……その、私や姉さんを勇気づけてくれた時みたいに」
湖景ちゃんは、僕に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい、私には何もできなくて……助けられてばっかりで。でも先輩しか頼れません。どうかお二人のこと、お願いします……」
小さな頭の脇で、肩が震えているのがわかる。どれだけの思いを込めて、頭を下げてくれたのだろう。僕は、あきらめない。そして、もう僕は逃げだすことはしない。
だけど、このままでは知恵が浮かばない。そんな時はどうすれば……と考えてみて、大切なことを忘れていたことに気づいた。
「湖景ちゃん。君の知恵を貸してくれないか」
「私の知恵ですか? 役に立つのでしょうか」
迷った時は、仲間に相談する。
大事なのは一人で問題を抱え込まず、チームで共有すること。そうでなければ、名香野先輩と同じ失敗をする。
僕は湖景ちゃんに、隣に座るように促した。
「まず会長だ。会長が心を開いてくれるには会長の本心、本当の姿を知るしかない……でも、その手がかりが何もなくて」
僕は会長や教官の話を、かいつまんで湖景ちゃんに聞かせてあげた。
「会長さんの本当の姿、ですか。前に教官さんから聞いた会長さんのお父さんが、ずいぶん影響しているみたいですね……」
湖景ちゃんも、頭をめぐらせる。
「そういえば会長さんって、ご家族の話とか何もしませんでしたよね」
「しない。だから思い当たらない。今までもずっと、そうだったから」
そういう表面的な楽しさに甘えきった関係が、今日の事態を招いている。
「会長さんはお父さんのことが嫌いなのでしょうか?」
「そうだね……まるで悪魔のような言い方までしていたから」
「私には、そうは思えません」
湖景ちゃんの真剣な顔が、月明かりに照らされていた。
「え……どういうこと?」
「動機はどうあれ、会長さんは空をめざしました。会長さんのお父さんも、教官さんを養育係につけるくらいですから、空には特別な思いがあるはずです。会長さんの歩く道は、お父さんの生き方につながっています。表面上は反発していますが……心の底には、やはり認められたいという気持ちがあるのではないでしょうか」
なるほど。父親が嫌いで家を飛び出したなら、この自由な三年間に空にかかわる必要はなかった。そこで空に戻った会長の思いとは何だろう。
「私には父がいませんでした。だから父が嫌いという感情は理解しにくくて、好意的に解釈しているのかもしれませんが」
湖景ちゃんが寂しそうに微笑む。
「そうだな……これ以上はやっぱり会長の家庭事情に踏み込むしか解決策がないように思う」
「でしたら、ご家族に聞くのが一番だと思います」
「聞くって……どうやって?」
僕は、会長の自宅も連絡先も知らない。ところが湖景ちゃんはポケットからミニコンを取り出して、窓枠に置いてぱたぱたと打ち始めた。
「これは……」
「はい。これしか方法はないのでは、と」
ネットの画面には、東京のオフィス街の地図があった。