二次創作小説「水平線の、その先へ」

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10章 大地を離れて 天翔ける(2)

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 決戦の舞台は、航空部の滑空場だ。僕たちにとってはアウェイとなるが、割り込んできたのは僕らであって、文句は言えない。

 七時に教官と二人を起こし、トラックに飛行機を積み込んだ。到着したのは八時で、機体を降ろし、全員で組み立て作業をした。

 朋夏も八時過ぎにやってきた。昨日はぐっすり眠れたという。決戦前夜、徹夜で作業している僕たちが気になって眠れないかと心配したが、自分に何が求められているのか、朋夏はよく理解していた。

 機体が組み上がると、航空部の整備場を借りて検量をした。機体バランスを最終的に確認するためだ。若干だが前が軽いことがわかり、僕と名香野先輩は急きょコックピットの床板を外してバッテリーの位置を前にずらした。湖景ちゃんも最後までプログラミングの修整とテストを続けている。すべての作業が終わったのは、予選会の三十分前だった。

 この日は本大会の関係者も数人来ていた。教官の仲間の技術スタッフで、予選会の審判役を兼ねるらしい。審査の公平性を担保するため委員長だった名香野先輩が手配したと、後で聞いた。彼らにとっては大会出場を狙う飛行機の視察と、本番のリハーサルの意味合いを含んでいるそうだ。

 このため予選会はすぐには始まらず、まずは技術スタッフが機体に条件違反などがないかどうか、事前チェックを行うことになった。その間、僕たちにはやることがない。手持ち無沙汰でいると、湖景ちゃんが所在なさげに整備場内をうろうろしているのが見えた。

「少し落ち着いたら?」

 声をかけたが、表情は暗いままだ。

「ありがとうございます……でも心配で心配で」

「何が?」

「新システムで一度も飛んでいない点です。宮前先輩、大丈夫でしょうか」

 フライ・バイ・ラジオ・システムの導入によって、操縦桿やペダルの感触は確かに変わった。しかしそれは湖景ちゃんが作ったシミュレーターで、朋夏が訓練をしている。ラジオもライトも、その点では変わりがない。手足の操作の感覚については、朋夏は十分に承知しているはずだ。

「もう僕たちにできることは何もない。後は、どんと構えていることだけだって」

「理屈ではわかっているんですけど……」

 僕にも不安がないと言えばウソになる。だが経験豊かな教官がゴーサインを出した以上、システムに関しては湖景ちゃんのシミュレーターでも大丈夫と判断している証拠だ。経験の浅いパイロットという一般的なリスクは当然あるが、ここまで来た以上、朋夏の腕前と感性を信じるしかない。

「みんなは湖景ちゃんがどれだけがんばったのか、知っているよ。だから自信を持とう。自分のことを低く見るのはやめよう」

「……難しいです。ちっとも役に立ったなんて思っていないので……」

 体の弱かった湖景ちゃんは、運動会とか勝負を競うスポーツ大会は無縁だったはずだ。人生初体験の勝負事が自分の作った飛行機に人を乗せて飛ばすとなれば、不安にさいなまれるのも無理はない。

 あと一時間もすれば決着がつく不安なのだが、このままだと負けた時に湖景ちゃんが責任感を一心に背負い込んでしまいそうだった。僕は湖景ちゃんに隣に座るように促した。

「一つ聞くけど、湖景ちゃんは自分の仕事に手を抜いた?」

「そんなことはありません! 最善を尽くしてきたつもりです」

「じゃあ、こう考えたらどうかな。機体組み立てやシミュレーターにかかわった湖景ちゃんが自分の仕事を不安がっていると、朋夏が心配になるって」

「……あ」

 湖景ちゃんが初めて気づいたというように、口を開けてしまった。

「……でも姉さんほど優秀じゃないし」

「あの人くらい優秀な人なんて、そうそういないよ」

 湖景ちゃんの肩をたたいてあげる。

「僕もそう。機体だって、まさかできるとは思わなかった。それなのに、ここまでこぎつけた……みんなの力を合わせて、教官も認めてくれた」

「教官さん、が……」

「そうだよ。教官が大丈夫と言っている。僕たちは朋夏の命を、あの飛行機の翼に預ける。それだけの仕事を、みんなでしたんだ」

 湖景ちゃんは再びしゅんとする。

「あの……私にできたことって、どんなことでしょうか」

 プログラムとシミュレーター……と言いかけて言葉を呑んだ。

「粘り強く、がんばれること」

 意外な返事に、湖景ちゃんが顔を上げた。

「そんなこと……誰にでもできます」

「違うよ。がんばれること、へこたれないことは、努力じゃない。才能だ」

 僕にはできない。

 僕の心は昔、一度折れてしまったから。

「それができる人間と、できない人間がいる。朋夏にどうして運動ができるのか、聞いても無駄とは思わないか?」

「あ……はい」

「朋夏は自分がどれだけすごいか、わからない。自然にできるんだから。僕たちはそれをすごいという。同じことだよ。他人の評価と自分の評価が違うのは、当然なんだ」

「そう……でしょうか」

「君の姉さんだって、昨日の最後は折れかけていたんだ。湖景ちゃんや僕らが支えたから、なんとか立ち直ってくれた。湖景ちゃんは折れない。最後までがんばれる。これは君の姉さんも真似できない、君の才能だよ」

 僕には病気だった人の気持ちはわからない。湖景ちゃんの病気も知らない。だが湖景ちゃんの心の強さは、病気と真摯に戦ってきたことで、はぐくまれたのではないか。僕がこの活動を通じて、ずっと思ってきたことだ。

「責任を持って仕事ができること。自分の責任に対する恐れも、その中に入るんだ。だから、恐れるのをやめろとは言わない。ただ朋夏の前で、そういう姿を見せないほうがいい」

 朋夏は湖景ちゃんのことがよくわかっているから、そんな配慮は無用だ。だが湖景ちゃんの今後の人生で、そういう知恵は必要になると思う。

「……はい」

 湖景ちゃんの顔に、少し赤みがさして微笑が生まれた。

「人間、やせ我慢も必要だよ。やることは全部やった、後は勝っても負けても、明るい顔をすればいいんだ」

「はい」

「負ければ宇宙科学会は解散。でも解散しても、もう僕たちは何も失わないはずだ。その意味では、この活動はもう成功したんだ。負けても責任とか考える必要はないんだよ。もちろん勝ったら、次の大会がある……今は笑顔で朋夏を送り出してやろう」

「……はい!」

 湖景ちゃんが、まっすぐ前を向いてくれた。立ち直ってくれただろうか。

「さて、少しみんなの様子を見てくるよ」

 僕が立ち上がると、湖景ちゃんがついと立ち上がった。

「あの、平山先輩……」

「ん?」

 湖景ちゃんが、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございました……やっぱり平山先輩は、私よりも先輩です」

 そう言えば僕の方が年下だっけ。また説教くさい年少者になってしまった。僕は笑って、湖景ちゃんに手を振った。