二次創作小説「水平線の、その先へ」

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6章 仲間と試練を 乗り越えて(5)

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 ※しばらく期末試験勉強の話になります。ゲーム上のイベントで話の本筋にはかかわりません。興味のない方は7章に飛んでください。

 

 7月2日(土) 風力4 雨

 期末試験。この山を越えなければ、大会はおろか、完成間近の飛行機を飛ばすこともできない。何しろメンバーの一人が一教科でも赤点を取ったら、夏休み最初の一週間補習とその間の所属部活動休止が決定となり、予選会は自動的に不参加となる。野球部のように大会があれば連帯責任は免除されるが、学内予選でその手が使えないことは、名香野先輩が明言した。

 内浜学園高等部での赤点は、人数の割合ではなく、満点の三割未満と決まっている。問題が易しいか難しいかと関係がないのが、難しいところだ。気合を入れざるをえない。

 だが、僕と朋夏では微妙に空気が違う。朋夏には、朝からもうこれ以上はないプレッシャー、ストレスという感じだ。昔、朋夏の体操の競技会を見に行ったことがあるが、こんなに緊張している様子を見たことがない。この日の授業も、理解しようと必死に受けている姿勢は伝わってきた。しかし、ノートを書く手が空回りしている。今から何をどう勉強すればいいのか、気が回らないに違いない。

 一方で、僕は会長の思惑通り、かなりのやる気に燃えていた。これでも一年の一学期までは、それほど成績は悪くなかったのだ。あれから一年間のブランクは痛いが、目標は満点ではなく赤点脱出だ。がんばれば何とかなる……という思いは、そう思わなければ朋夏と同じように心が空転しかねないので、自分で自分を誤魔化しているようなものなのだが。

「じゃ、こうして集まったわけだけど。みんな、成績の見通しのほうはどうかなー」

 放課後に部室に集まった面々を見渡してみる。三年の会長と名香野先輩は、間違いなく優秀だ。湖景ちゃんも優秀と聞いているが、どうなんだろう。

「ちなみに湖景ちゃんは、中間試験も成績上位で掲示板に名前が載りましたー。ぱちぱちぱち」

 だが、口でぱちぱち言われた本人は、縮こまってしまった。

「あの……平山先輩は、大丈夫、ですよね?」

「ああ、湖景ちゃん。大船に乗った気でいてくれ」

「ああ、よかった! 準備してないっていうから、ひょっとして、すごく悪いんじゃないかって、勘違いしちゃいました」

 湖景ちゃんが一人ではしゃいでる。しまった、冗談の種を明かすタイミングを失った。しかし、誤解させたままというわけにもいかない。

「……タイタニックって名前なんだ」

「……え?」

 湖景ちゃんが目を真ん丸にしたまま、完全に動きを止めた。

「あ、あたしは空太と違って、授業はちゃんと受けてます!」

 朋夏がぱっと手を上げた。

「宮前さん、授業態度がいいのは感心だけど、結果は出そうなの?」

「無論、その保証はありません!」

 名香野先輩が、見事に大きなため息をついた。会長にいじめられている時でも、こんな落胆した顔はなかった。

「……それじゃ、二年は全滅ってこと?」

「ウイ!」

 明るくフランス語で答えてみたけど、無論事態は好転しない。

「前回の試験は、どのくらいだったんですか?」

 ようやく解凍して動きを取り戻した湖景ちゃんに聞かれたので、耳打ちで教えてあげた。

「……ひっ!」

 どうやら、純真な女の子に、想像を絶する漂白の世界を見せてしまったようだ。それにしても、湖景ちゃんの瞬間冷凍ぶりはすごい。冷蔵庫メーカーに教えてあげたいくらいだ……なんて馬鹿なことを考えている場合じゃない。

「ま、ソラくんなら短期集中で、巻き返せるでしょ」

 会長が、事もなげに言った。実際、これまでのテストはすべてそうだった。しかし高校の授業レベルは高い。前回の中間試験で、いよいよ全教科一夜漬けの限界を悟ったのも事実である。

「仕方ないわね。わからないことがあったら、サポートしてあげるから」

 実際問題、朋夏と僕は他の会員の助力なしではたぶん、何もできない。もはや僕らの学力は、互いに教えあい補い合うことが不可能なレベルまで後退している。協力の申し出は、甘んじて受けるしかない。

「助かりますです、オス」

 朋夏の口調が、またおかしな体育会系になった。

「コカゲちゃんも二年生のサポート、よろしくねー」

「え?……は、はい……できる範囲で」

「あの……湖景ちゃんは年上とはいえ、学年は一つ下なんですけど?」

「プライドが許さない? じゃあ、過去問の提供もやめようか?」

 そう言われれば、降伏する以外に道はない。

「はい、じゃあ勉強始めー」

 会長が元気よく宣言した。

 部室の机に、会長と名香野先輩、僕と朋夏が向かい合って並び、湖景ちゃんはお誕生日席になった。会長と名香野先輩は、意外にもよく話し合いながら、勉強を進めている。といっても、問題がわからないというレベルではなく、名香野先輩が問題の意味や別の解法について意見を求め、会長がそれに答えるというパターンだ。やはり以前の犬猿の間柄が、想像しにくい光景ではある。優等生同士は、勉強になると波長が合うのだろうか。

 湖景ちゃんはというと、黙々と問題集をこなしている。時折首をひねると、様子をうかがっていた名香野先輩が、すぐに優しく教える。相変わらず過保護な気がしないでもないが、こうして見ていると、十年以上の空白があっても姉妹は姉妹なんだなあ、とほほえましく思ってしまう。

「……ソラくん?」

 会長がにっこりと笑っていた。これはつまり、「勉強に集中しなさい」という意味だ。確かに人の観察ばかりしていて、先に進まない。朋夏がミニコンのモニターの前で完全に沈没しているので、何とか助けてやりたいが、こちらも手のつけどころからわからないという状態だ。

 とりあえず、過去問を当たることにした。出題ポイントがわかれば、少し勉強しやすいはずだろう。

「うーん……何をしたらいいのか、わからない……」

 朋夏が三十分で降参した。

「苦手な教科は何なんだ?」

「全部……かな?」

「じゃあ、どこがわからない?」

「……どこがわからないのか、わからない」

 これは重症だ。僕の手に負える状態ではない。

 そういう僕も、時間を置かずに行き詰まった。ふと見回すと、湖景ちゃんも会長も名香野先輩も、今は問題に集中している。

 このタイミングで聞けそうなのは、頭を抱えている朋夏だけだ……とりあえず、聞くだけ聞いてみるか。人は溺れる時に藁をもつかむと言う。ここには大木も船もあるのに、あえて藁を選ぶ自分に乾杯したいくらいだ。

「なあ、わからないか、これ」

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「わからないよ」

 朋夏は問題も見ずに即答した。

「そう言わずに、何か考えてくれないかな」 

「そんなことはどーでもいいからさ、あたしの問題を解いてくれない?」

 どーでもよくないぞ。

「じゃあ、見せてみ。そっちがわかったら、こっちも協力してくれるな?」

「ち、力の限り……」

 自信のなさそうな顔を見ていると、こっちまで情けない気分になってくる。

 だが朋夏のつまずいた英語の問題は、先に僕が解いていた問題だった。

「これ過去完了形だろ? だから訳す時はさ……」

「ふんふん……」

 朋夏は真面目にやる気だけはある。それが僕との大きな違いだ。だが、肝心な結果がついてこない。

「うわー、空太すごい! ちゃんとできんじゃん!」

「それ、まだ難しくないぞ」

「あたしには難しいんだって」

 そう口を尖らされて、すねられても困る。朋夏は勉強に限って、すぐにあきらめてしまうのだ。運動の時の集中力がなぜ発揮できないのだろう。

「教科書の前を見るとか、集中すればできるんじゃないか? 操縦教本だって、真剣に読んでるじゃないか。運動の時も集中しているし」

「運動と勉強は別だもん。教本も、頭で体のイメージをしながら読めるし。でも体を動かしていると、頭が真っ白になるんだよね」

「つまりそれだけ集中できるってことだろ? それが勉強でもできればいいことじゃないか」

 うーん、ちょっと違うなー、と朋夏が唸った。

「運動だって、やるぞーって思うと集中しないか?」

「別に。体操の演技する時は、なんていうかな……カチっとスイッチが入る感じ? で、演技が終わるとスイッチが切れるから、あんまり覚えていないんだ」

 そういうものか。そういえば僕の時は、どうだったろう。

「じゃあ、こっちの問題考えてくれる?」

「オッケー」

 朋夏が僕の問題を読んでくれた。視線がゆるゆると動いて、まったく定まっていなかった。

「どう?」

「難問ですな……」

 やっぱり前に進まない。まあ、最初から覚悟していたことだが。

「はあ。見ていられないわ」

 口を出してきたのは、名香野先輩だった。

「構文が複雑だけど、まず主語と述語の動詞を確定させるの。ここは主語に見えるけど引っかけで、関係代名詞が省略されているから……」

 名香野先輩が構文にカッコや矢印を書き込んでいく。さすがに優秀な三年生は頭が整理されているのか、教え方も上手だった。これまで何となく訳していたけど、英語という言語の構造が、初めてわかった気がする。

 それからも勉強会は続いた。僕は名香野先輩の再三の指導で、少しずつコツをつかんだような気になってきた。もっとも一年の時の構文で記憶にないものが多いので、その辺りは湖景ちゃんに頼るのが情けないところだ。

「あ、そこは一年の教科書後半なんですが……」

 僕は湖景ちゃんの頭の良さより、一年の内容をほとんど予習していることに驚いた。しかし、感心している時間はない。教科書や辞書を見ながらの勉強なので、テストに応用できるとは限らないが、必要なところを上手に引ければ、問題は何とかなる。それで重要な部分を覚えてしまえば、赤点は脱出できるだろう。

「すごいなあ、湖景ちゃん。湖景ちゃんみたいにすらすら勉強を進めるには、どうすればいいんだい?」

「それはですね、普段から予習、復習を欠かさないことです!」

 湖景ちゃんのかわいいところは、こういう罪深さに罪意識がないことだ。

「……手遅れ」

 ぼそっと朋夏が呟いて、湖景ちゃんは自分の失言を悟った。

「は、はうう、宮前先輩……」

「……空太、順調だね」

 うらめしそうな視線が、僕に注がれていた。

「お前、体を動かすのは飲み込みが早いのにな」

「どうも学校の勉強は、あたしに向いてないなー」

「宮前先輩、今回は向かないでは済まされません。がんばってください!」

 湖景ちゃんなりに励ましたつもりだろうが、上級生としては下級生にそう言われると、落ち込むしかない。

「朋夏、授業を受けるだけじゃだめだぞ。内容を理解しながら受けないと」

「平山君、あなたは授業を受けているの?」

「……すいません、出すぎたことを申しました」

 二人が沈没していると、会長が笑った。

「コツをつかむと、ソラくんは速いんだけどねー。やればできるんだけど、九九を覚えずに割り算に挑戦するタイプかなー」

「ええ、プラモを作った程度で飛行機を作るくらい無謀ですよ」

「あららー、助けてあげたのに、反抗? ソラくん、一年の時はかわいかったのに、最近かわいくなくなったなー」

「納得いかない。空太の要領がほめられるなんて。あたしの方が真面目に授業に出ているのに」

 いや、別にほめられてはいないと思うぞ。

「宮前さんは、練習が足りないのよ。あなたは問題集をぱっと開いて、目に入った問題を解こうとするでしょ?」

「……なんか順番にやるって、かったるくて」

 さすがは博打の朋夏である。

「だって、最初の問題ができて、飛ばして途中の問題ができたら、それまでの問題は全部できたってことじゃないですか?」

「問題集はオセロゲームじゃありません」

 名香野先輩がぴしゃりと言った。

「体操の練習だって、基本から順々にやって、途中は飛ばさないでしょ?」

「あたしは結構、飛ばしながらやってきたから……あはは」

 みんなの視線が、朋夏に集まった。そういえば、こいつは中学から体操を始めたから、先輩に追いつくのが大変だったんだ。体操で途中を飛ばして高度な技に挑戦するなんて、怖い芸当ができたのも、朋夏の才能が抜きん出ていたお陰だろう。

「勉強に関しては、わかるところを徹底的に反復練習して、少しずつ難しいものをこなしていく方が、宮前さんには合っているわ。基本問題が確実に取れれば、赤点にはならないはずよ」

 名香野先輩が、そう言った。三年生は単に勉強を教えるだけでなく、僕と朋夏の特性をよく見て、アドバイスしてくれた。それは僕ら二人にとって、知識以上にありがたい、勉強会の収穫だった。