6章 仲間と試練を 乗り越えて(4)
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7月1日(金) 北東の風 風力1 曇り
昨日の作業が気になって、授業はあまり覚えていない。
教官は、このままでは飛行機は飛ばせない、と断言した。名香野先輩も、何かに気づいている。だが、手がかりがない。
いや、待て。
名香野先輩は、飛行機を外からじっとみていた。教官も、飛行機の中を覗きもせずに、飛ばせないと言い切った。ということは、外見上に大きな欠陥があることに他ならない。だがいくら設計図と飛行機を思い浮かべても、足りない部品や目に見えるゆがみがあるようにも思えない。あるいは飛行機の繊細な部品の一部に、異常があるのだろうか。
放課後になるのももどかしく、駅へと向かった。朋夏も僕も無言だ。朋夏には昨日の顛末について話してあるが、ふだんは作業に携わっていないだけに、どんな問題なのか理解しにくいはずだ。ただ、深刻な問題が生じたらしい、ということは理解していた。
もちろん、最後は教官が答えを明かしてくれるだろうから、思いつめる必要はないのかもしれない。それでもここまで来た以上は、飛行機の形ができあがるまでは自分たちの手で解決したい。
格納庫に着いてまもなく、名香野先輩と湖景ちゃんも姿を現した。名香野先輩が、やはり難しい顔をしている。解決策は見つからなかったようだ。
「違和感の原因は、きっと外観にあるはずなんだけど……」
「でも姉さん、外側で替えた部品はありません。目立った変更はエンジンをモーターに付け替えたのと、計器の一部を外していますが」
うーん、と二人は考え込む。機体の完成まで、あとわずかだというのに。
「みんな元気ー? きょうは飛行機が完成するかなー?」
お気楽な声で遅れて入ってきたのは、会長だ。正直、冗談に答える気にもなれない。
「あらあら、みんな暗いよー。どうしたのかなー?」
「会長、教官がこのままじゃこの飛行機は飛ばせないって。その原因がわからないんですよ」
「教官に聞いてみた?」
「ええ……でも、名香野先輩が気づきそうだから、自分達で気づけって」
ふーん、と言った会長は、あごに手を当てて機体を数秒、眺めた。それからぱんと一つ手をたたくと、木箱を探り、飛行機のカタログを取り出した。
「ヒナちゃん、これ完成写真」
「え?」
「説明書についている奴だよー。キットの写真は飛んでいる姿だから、よくわからないんじゃないかと思ってねー」
カタログの写真は、どこかの飛行場で停止している写真だ。名香野先輩はそのカタログの写真をじっと見つめると、立っていた場所を変えて、飛行機から少し離れた。どうやら、カタログと同じ角度と距離から飛行機を見ようとしているらしい。
「……わかった」
航空機の写真と見比べていた名香野先輩が、そう呟いた。
「何がですか?」
「湖景、悪いけどコックピットに座ってくれる?」
湖景ちゃんがあわてて飛行機によじのぼり、コックピットに体を埋める。
「平山君、この車輪を見て」
名香野先輩が、操縦席の下にある二つの車輪を指差した。
「車輪が……どうかしましたか」
「写真より、明らかに沈んでいる。逆に機体の最後尾の位置が高いわ。だから正面から見ると、翼の見える高さとかが違っているのよ」
言われて写真と見比べると、確かに僕たちが作った機体の方が、機首がやや下向いている気がする。それほど大きな差ではないと思うが、なぜ……?
「あっ、油槽タンクだ」
僕と同時に、湖景ちゃんも悟った。
キットの油槽タンクは操縦席の後ろの胴体部分に積まれていて、パイプで燃料を前のエンジンに運ぶ構造になっている。電気モーターでは当然タンクは不要だから、胴体を作る作業では積んでいない。タンクがいらないお陰で舵を動かす金属索の作業はやりやすかった。そして胴体のシートを張ったので、タンクがないことをすっかり忘れていた。
「前が重過ぎるんだ……機体バランスは一番、慎重に考えなきゃいけなかったのに」
名香野先輩が唇をかんだ。
「バッテリーの設置に気をとられて、最も大事な部分を失念していたわ。これじゃ下手すると飛んですぐに、機体が前につんのめる」
「しかし姉さん、どうすればいいんでしょう?」
これは大問題だ。解決するには後ろを重くするか、前を軽くするしかない。しかしモーターの位置は大きく動かせない。
「あとは機体の強度補強を削って軽量化することくらいでしょうか」
「大丈夫なのか、湖景ちゃん?」
「ULPに比べて飛行速度は出ませんから、それほど強度は重要ではないかもしれません……ただ削るにしても、さじ加減が難しいですよね」
「それに一度強度を削ったら、後戻りはできなくなるわ。それは最後の手段として考えましょう」
名香野先輩の意見だ。しかしそうすると、どうすればいいのか。
「とりあえず、タンクを積んでみるっていうのはどうかなー」
ひとしきり思案している様子を見て、会長が声をかけてきた。
「要は大会までに解決すればいいんだよー。まずは飛行機を完成させて、テスト飛行して、学内予選に間に合わせること。それが先じゃないかなー」
言われてみれば、僕たちに一番足りないのは時間だ。飛行機を飛ばせなければ、話にならない。
「古賀さん、重量を無意味に増やすっていうのは、あまり賛成できないわ。航空部に勝てるかもわからないのに」
「大丈夫だよー。そのくらいのハンデをあげても、いいんじゃないかな?」
全国大会優勝の航空部にハンデとは、会長は思い切ったことを言う。しかし、他に選択肢が浮かばないのも事実だ。
「……仕方ない。重量問題はペンディングにして、タンクを積んでみましょう」
小一時間ほど逡巡して、名香野先輩が決断した。表情は相変わらず冴えなかった。
訓練を早めに切り上げた朋夏も作業に加わり、胴体のシートを慎重に外した。そしてタンクを積んでシートを貼り直すと、この日の作業は時間切れとなった。僕たち五人は肩を並べて、夕闇の迫る旧校舎を出た。
何となく全員の表情が冴えないので、少し元気をつけることにした。
「あすの作業で、飛行機を完成させましょう。うまくいけば、日曜日には朋夏が乗って走ることくらいはできるかもしれない」
「そだね。あたしも明日はみっちり飛んで、鍛えておくよ」
朋夏が、おどけたようなガッツポーズをした。それを見た名香野先輩と湖景ちゃんの足が止まった。
「平山君、何を言っているの? この週末は、部活動はお休みよ」
「……へ? 何で?」
「何でって……」と呟いた名香野先輩は、あっけにとられる僕と朋夏を見て、急に顔色が変わった。
「来週から期末テストよ。週末の部活動は全校禁止。掲示板にも一週間前から張ってあったはずだけど。勉強は順調に進んでいるんでしょうね?」
「……あ!」
僕は思わず声を上げた。部活に夢中になって、すっかり忘れていた。
「わかっていると思うけど、会のメンバーが一人一教科でも赤点を取ったら、その時点で活動は中止になります」
「ちょっと、その辺は……」
「中央執行委員会にできることは何もありません」と、先輩は先に釘を刺した。
「これは学園の規則なので……ごめんなさい」
本当にすまなそうなのだが、テストを忘れていたのはこちらの責任だから、謝られる理由はない。
「だから絶対に赤点を出さないように、しっかり最後の追い込みの勉強をして欲しいの。いいわね?」
最後の追い込みって、あの……最初から走ってなかった人間は、どうすればいいんでしょうか?
「大丈夫でしょ。ねー?」
会長がにっこり笑いかける視線の先に、僕がいる。そして、みんなの視線が僕に集まる。つまり、僕の存在が不安要因であるという認識を、ほぼ全員がしているということだ。僕の内心の動揺は、すぐに湖景ちゃんに伝わった。
「なんとか、なるよね、湖景ちゃん?」
「あの……私に聞かれても、困ります……」
湖景ちゃんが後ずさりして、僕から二メートルほどの距離を置いた。
「それはまったく準備してませんっていう顔だねー、ソラくん?」
「まったく……って、どういう意味かしら」
名香野先輩が本気で「わからない」という顔をしている。ああ、こういう人には、何をどう説明すればいいのだろう。
「ひょっとして、何もやってないんですか……先輩?」
そう、湖景ちゃん! そう説明すればよかったんだ。ああ、簡単なことじゃないか。悩むんじゃなかった。
「はうう……まったく?」
ああ、まったくもって、まったくだ。
しかし一つだけ、大きな誤解は解かねばならない。
本当の不安要因は僕ではなく、今の議論にまったく参加していない人間こそが、宇宙科学会の最大の不安要因ではないのか?
「あははは、あたしはいつもこのくらいから猛ダッシュなんですけど……」
空笑いが、夕焼けの空に広がっていく。朋夏の顔は、夕陽に照らされても青かった。名香野先輩の視線が、出来の悪い生徒を見る教師のようになった。
「素晴らしいわ、宮前さん。ということは、過去の試験で成果は着実に出ているのね?」
「いやその、成果と言われますと、これがなかなかというか……」
あ、委員長の眉が上がってきた。
「ど、どうしよう、空太ー」
わかっては、いた。スケジュール表に、ばっちり「テスト」と書いたのは僕だ。そして毎週のように、そのスケジュール表と格闘してきたのだ。しかし、テストという文字は、その間は部活ができないという意味でしかなく、テストの準備をするという視点が、なぜかすっぽり抜けていた。迂闊としか言いようがない。それに機体作業だけで毎日目一杯だったのに、この上で試験までも通らないとダメなのか。
名香野先輩が思いっきり、ため息をついてくれた。
「ふだんから予習・復習をやっていれば、こんなことにはならないでしょう?」
「まったくもって、おっしゃる通りでございます」
僕と朋夏が同時に頭を下げた。誠に正論だ。だが事ここに至っては、そのアドバイスは何の役にも立たない。
「今からでもしっかり準備してね。ここまでの作業がすべて無駄になるのよ? 私もここまでがんばってきた以上、途中で投げ出したくないのよ」
名香野先輩の顔が、真剣だった。それだけ宇宙科学会に賭けてくれている、という証拠だろう。今度は僕たちが、その期待にこたえなければいけない……しかし、どうやって?
「ていあーん」
会長が、またすっとぼけた声を上げた。
「みんなで勉強会、しよっか」
「勉強会?」
すぐに反応したのは、朋夏と僕だ。
「そ。明日の午後、このメンバーで集まって、みんなで教えあったりしながら試験対策。三年は過去問も提供するよ。トモちゃんとソラくんは、うれしいんじゃないかな?」
「はい! あたしは大賛成です!」
朋夏がすぐに手を上げた。
「あの……私も参加したいです」
唯一の一年生である湖景ちゃんも、乗り気だった。しかし、名香野先輩はどうなんだろう。
「向学心が垣間見える高校生らしい集まりで、いいと思うわ」
もっともらしい理由はつけたが、たぶんこのメンバーで集まるのが、楽しくなってきているのではないだろうか。
「もちろん、僕も賛成です」
「じゃ、決定。放課後はみんな部室に集まるといいよー」
会長がうれしそうに言った。この人は人から教わることは何もないはずだから、単純にみんなが集まるのが楽しいのに違いない……そう思っていたら、会長が耳打ちしてきた。
「やる気、出てきたでしょ?」
「え?……勉強ですか?」
「飛行機も、勉強も。ソラくんって、本当は好きなことに打ち込める人、なんでしょ?」
会長が、面白そうな目でこちらを見ている。
「まあ、どっちも少し、目算が出てきたので……」
会長はそれを聞いてあはは、と笑った。言葉を濁したのは男のプライドだが、それさえも見抜かれているのは確実だ。だが、悪い気はなしない。僕はまったく、会長の意のままに乗せられていた。