二次創作小説「水平線の、その先へ」

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17章 夢をみんなで 追う路は(7)

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 8月7日(日) 西の風 風力3 快晴

 この夏のすべてを費やして取り組んできた、大会の日を迎えた。

 教官のトラックで会場に飛行機を運んだ時には、すでに三十機以上の機体が砂浜に並んでいた。参加チームは全国から集まり、ほとんどが昨日のうちに、内浜海岸への搬入を終えていた。

 海に向かって特設の滑走路が設けられた内浜海岸には、盛夏でさえこれほど海水浴客は来ないだろうと思わせるくらいの人で、ごった返している。恐らく半数は一般の海水浴で、残りがこの飛行大会の見物人だろう。

 飛行機が海水浴客に突っ込まないよう、滑走路は海水浴場とは反対向きになっているが、フライトは十分に見ることができる。主催者は、その宣伝効果も期待しているに違いない。

「なんだか人がいっぱいいますね……」

 湖景ちゃんが、少し不安そうな顔を覗かせている。そういえば学内予選だって航空部の関係者と審判団を除けば、ギャラリーは実質水面ちゃんしかいなかった。僕たちはすごく場違いなところに来た気がしていた。

「第一回大会とはいえ、これほど注目を集めるとはね」

 名香野先輩まで珍しく緊張気味だ。

「こんなものさ。僕たちは彼らに恥じないくらいの努力をしたんだから、胸を張っていればいい」

 そうアドバイスしたのは花見だ。大学生や大人に混じって大会で優勝を重ねてきた男だ。その落ち着き払った言葉は、心細くなっていた僕たちを勇気つける力があった。経験の差は、やはり大きい。それだけでも花見がチームに加わってくれた価値があったと思う。

 各チームは機体の最終調整に余念がない。明らかに僕たちよりも年上で、中には教官と同じ世代と思われる中年チームもあった。横断幕を掲げていたり、全員が同じユニフォームを着て円陣を組んでいたりするチームもある。

 審査委員の機体チェックが、各団体の飛行機のお披露目を兼ねていた。湖景ちゃんが珍しそうに他の飛行機を眺め、花見が解説をした。

「あれは無尾翼機だ。水平尾翼と胴体をなくすことで軽量化を狙っている」

「胴体がなくて、飛行機が飛ぶんですか?」

「胴体は揚力の向上にほとんど貢献しない。飛行機の胴体は前後の重量調整と貨客用のスペースが主で、胴体がなくても飛行機は飛ぶんだ。もちろん欠点もあるけどね」

「はあ。なんか、あの飛行機の周りに人が集まっていますねー」

「注目という点では、私たちの機体も目立っているよー」

 会長が指差した先に、僕らの「白鳥」がある。きのう気の利いた名前を考えようと提案したが、みんなそれしか思いつかなかった。その白鳥をなめるように見ながら、携帯電話で写真を撮ったり、メモをしたりする人が多い。

「さすがにこの手の大会となると目ざとい人が多いな」

 花見が笑う。

「二十年前の幻の世界記録機の改良版であることは、もうバレバレだと思うよ。きょうの午後には画像がネットにアップロードされるだろうね。そうなったら、これから問い合わせへの対応が大変だ」

「大丈夫だよー。そのあたりは全部ソラくんに頼んでるからね?」

「会長、僕は頼まれた覚えはないのですが」

「そう? じゃ、今頼むよー。取材対応よろしくねー」

 相変わらず自分勝手な人であることに、僕は少し安心した。

「先に機体の周りにロープを張ったほうがいい」

 花見がアドバイスする。

「ここでギャラリーに下手にいじられて壊したら元も子もないからね」

「確かに」

 花見の指示はいつも的確だった。航空部に勝って僕らが大会に臨むというのは、やはり奇跡という気がする。

「ほら、遊んでいる暇はないわよ」

 感慨にふけっている僕の背中を、名香野先輩が押した。

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「先輩は、いつも真面目ですね」

「あなたたちみたいないい加減な人たちと一緒にいると、自分がしっかりしないといけないと強く思うわね」

「うわっ、手厳しいなあ。ご迷惑をかけて悪うございました」

「わかっているならいいわ」

 そこをさらっと流されると精神的なダメージが大きいんですが。

「でもここまでくると、やっぱり感無量ね」

 名香野先輩は、機体の翼をそっとなでている。機械に強い先輩の助力を抜きにして、この舞台にたどりつくことはなかった。

「手のかかる子どもだったけど、だからこそ愛情がわくのかしらね」

「その年にして子持ちの心境で語るヒナちゃんもすごいけどねー」

 名香野先輩のこめかみが、ぴくぴくと引きつっている。会長、なぜあなたは本番直前にチームが崩壊しかねない台詞を吐くのでしょうか?

「あれ、ヒナちゃん怒っている? リラックスさせてあげようと思ったんだけどなー」

 あ、青筋が立った。こういう時に「冗談でしょう」と軽くかわせないのが、名香野先輩のいいところというか、致命的な弱点なのだ。

「会長、変なこと言わないでくださいよ。名香野先輩、本当にがんばってくれたんですから」

 僕のフォローで、ようやく名香野先輩が振り上げかけた拳を下ろした。

「先輩、まだ終わってませんからね。僕たち、これから飛ぶんです」

 それもわかっているわ、と名香野先輩は笑った。宇宙科学会の飛行機作りで、多くの大事なものを失ったのが先輩だ。僕たちはその犠牲に値する成果を出すことで、先輩の努力に応えなければいけない。

「姉さん、少し手を貸していただけませんか?」

「すぐ行くわ、湖景」

 名香野先輩が機体の裏側に回る。ギャラリーに囲まれた先輩の返事がいつもより勇ましい感じで、先輩なりに心高ぶっているのが、よくわかった。

 朋夏はきのうの試験フライトの前と同じように、僕たちと少し離れた砂浜の上で、一人で集中するかのように海を向いて座っていた。その後姿を見ながら、花見は複雑な表情をしていた。

「正直、僕がここにいていいのかって気がする。僕は負けた人間なのに」

 花見は呟く。そう、僕は薄々気づいていた。花見はいつだってスポーツマンシップを大事にして、仲間の和を大事にして、礼儀正しかった。弱音を吐かず、僕らに向かって誰にも非難できない笑顔を絶やさなかった。

「花見。僕は今、お前が朋夏に負けた理由がわかったと思う」

「え?」

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「最後のチャンスだ。朋夏に本当のことを言え。僕が誰よりもこの機体に乗りたかった。僕がこの手でこの大会で優勝したかったんだ、と」

 花見の表情は変わらない。ただ、薄い唇をかみしめていた。

「飛行機のど素人に負けて苦しかったと言え。ランニングでいつも負けて悔しかったと言え。憧れの機体を壊されるのが我慢できないと言え」

 花見の湖面のような瞳に、さざ波が走る。

「朋夏はお前が決して本音を言わないことを知っている。そのことが最後まであいつの心に引っかかっているんだ。だから朋夏はお前のことを信じきれていない。それがあいつの最後の不安なんだ」

「宮前君が?」

 僕は、呆然とする花見の肩をたたいてやった。

「朋夏の闘志に火をつけられるのは花見、お前だ。この夏のすべての悔しさを朋夏にぶちまけろ。そして最後に言え。絶対に優勝しろと」

 花見はしばらく、うつむいて頬を震わせていた。そして顔を上げた時には、確かな決意を秘めた精悍な顔になっていた。

「わかった。宮前君と話してくる」

「一発くらい殴ってもいいぞ。幼馴染みが許したって言えばいいから」

「ああ、そうするかな……ありがとう、平山君」

「礼を言うなよ。僕はたぶん美人そろいの宇宙科学会で、花見一人が最後までいい人間のふりをしているのが我慢できなかっただけなんだから」

 花見は一瞬笑い、そして真面目な表情になった。

「宮前君の機首上げのタイミングは平山君の指示にかかっている。僕も横につくが、一瞬も油断するなよ」

「わかっている。昨日あれだけ特訓したからな」

 花見は朋夏の方へ歩いていった。あとは二人に任せようと思う。朋夏なら花見の強い思いを、きっと正面から受け止められるはずだ。

 その時、花見とすれ違いに、一人の見知った顔の男が僕に近づいてきた。

「上村……」

「平山、取り込み中のところ誠に恐縮だが、少し話がある。つきあってくれないか?」

 正直、上村にはまだ心を許せる気持ちはない。だが、こちらから聞きたい話もある。名香野先輩は湖景ちゃんと話していて、こちらに気づいていない。

「わかった。手短にしてくれ」