二次創作小説「水平線の、その先へ」

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7章 鎖を断ち切る 闘いは(10)

          10

 

 高級そうなスーツに身を包んだ男が扉を開け、一礼して入ってきた。僕たちも思わず立ち上がって、その大会役員という男にあいさつしようとして顔を上げ……言葉を失った。湖景ちゃんもそうだ。ぽかんと口を開けたまま、声が出そうで出ない。

「き……教官?」

「平山。息災か?」

 教官がにやりと笑った。スーツをびしっと着こなして、サングラスもしていないが、この鋭い眼光と鍛えられた肉体と野太い声、間違いない。いつも見ている作業服とは、似ても似つかないが。

「第一回純電気飛行大会実行委員会から派遣されてきました。よろしくお願いします」

 教官が表情を消すと、まるで初対面のように完璧にあいさつをした。これは一体……?

「教官……こんなところで、何やっているんですか?」

 思わず間抜けな質問をしてしまった。教官はぐいと僕に顔を寄せる。

「平山。世の中には、知らないふりをしていたほうが身のためだ、ということもあるのだぞ」

 思わず心臓が縮み上がった。それって、つまり脅しでしょうか?

「……冗談だ」

 教官のシリアスな声では、まったく冗談に聞こえない。早鐘のように暴れた心臓は、容易に収まりそうになかった。

「別に隠すことではない。つまりは平山、俺がこの大会の役員だということだ」

「役員……関係者だったんですか」

「実は今回の大会の企画を立てたのが、俺だ。大会の運営は、俺が所属している会社の関連会社が取り仕切っている」

「つまり……教官は、中島航空工業の技術者ということですか」

「その通り。バッテリーとモーターを開発したのも俺たちのグループだ。そして運営会社の協力要請を受けて、今回の打ち合わせを仕切ることになった。たまたま俺が内浜学園に派遣されていたのでな」

「教官さん。それって、運営会社さんが面倒くさがったってことと、どこが違うのですか」

「津屋崎。世の中わかっていても口に出さないことが身のためだ、ということもある」

 今度の声は、マジだった。湖景ちゃんは瞬時に、活動を停止した。

「大会を成功させるために、俺たちは参加を表明した団体に技術指導として赴いている。もっとも大会までに二、三回、飛行機のチェックをして、安全に飛べる機体であることを確認し、アドバイスする程度の仕事だが」

「すると、航空部にも同じように指導教官が派遣されているのですか?」

「ああ。ただし俺のように常時教官を務めるというのは、あくまで例外中の例外だ。一方で俺は、大会の実行委員会の人間として公平な大会を行う責務がある。だから俺が指導できる範囲は、あくまで安全に飛ばすための指導に限られる、というわけだ」

 つまり名香野先輩と似た微妙な立場なのだ。確かに大会の役員でバッテリーとモーターの開発者となれば、飛行機に詳しいことも、これまで必要以上に飛行機作りを教えてくれる様子がなかったことも、すべて合点がいく。しかし、そこには疑問がひとつ残る。

「あの、教官さん……例外とおっしゃいましたが、なぜ宇宙科学会が例外なのですか?」

「それはお前らが特別に素人の集団だからだ」

「教官、本当にそれだけでしょうか。会長と教官には、何か特別な関係がおありではないのですか」

 僕は思った疑問をぶつけてみた。そして、それは図星だったようだ。

「……うむ。俺たちの会社を束ねるグループ会社の総帥の娘さんが、古賀沙夜子さんだ」

「会長が……航空関連企業の総帥の令嬢?」

「航空だけではない。日本を代表する、総合商社だ」

 今度は、僕が活動を停止する番だった。

「ということは……簡単に言えば、会長は、中島の総帥の娘さんなんですね?」

 湖景ちゃんも混乱しているが、僕の頭もよく回らない。

「俺が古賀に会ったのは、もう十年も前のことだ。総帥に教育係として命令された。古賀の航空機の知識は、俺が教え込んだものだ」

 そんなに古くからの知己だとは、想像もしなかった。

「ただ……出会った頃に比べると、ずいぶん変わられたがな」

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「教官さんの会社は、確か内浜学園の出資企業の一つではありませんか?」

「その通りだ。それでこの大会にも、学園が有形無形の協力をしてくれている。内浜が会場になったのも、その縁だ」

「会長さんが大会に参加しようと言ったのは、ひょっとしてそのお父さんの意向なのでしょうか。教官さんが派遣されたのも?」

 そこで教官は、少し考えた。

「実は俺にも、真意はわからない。今回は古賀から俺に直接電話があり、協力の依頼があった。ほぼ十年ぶりの連絡だったから、俺も驚いた。念のため親会社にも確認したが、表立っては総帥の意向とは関係がないようだ」

 しかしグループの子会社としては、総帥の娘というだけで、何もなくとも配慮をせざるをえなかった。それで大会の公平性を崩さない最低限のラインで特別扱いが実現した、というのが真相だろう。

「すると、航空部に不利な戦いを挑んだのも、その線の話ですか?」

 ひょっとして、会長の勝利の自信の根拠はコネではないか……と疑ってみたが、教官はきっぱりと否定した。

「それは誤解だ。航空部と宇宙科学会のどちらが参加するかは、あくまで学園が決める問題だ。古賀が航空部に負けてなお出場をゴリ押しすれば、会社としては特例を検討するかもしれん……だが次世代型バッテリーのお披露目として、マスコミにも宣伝している第一回大会の公平性と信頼性を犠牲にしてまで、総帥の令嬢の都合を優遇するというビジネスの選択はありえないだろうな。何より俺が反対する。それに古賀には、そういう配慮を求めるそぶりもないし、その必要もないと思うがな」

 教官は少し上を向いて、目を閉じた。

「ここからは俺の想像だが、古賀は令嬢として、父親から人生のさまざまなものを押し付けられて生きてきた。学業然り、礼節然りだ。教育係となった俺の存在もそうだろう」

 だから自分は会長に好かれてはいないと思っていた、と教官は言った。ところが六月に突然、会長から学会の顧問就任を打診する連絡があり、教官も驚いたらしい。

「他者から見れば令嬢という生活は憧れに映るかもしれん。だがあれはあれで、息苦しい生活ではなかったかと、俺は思うのだ。古賀の行動は突飛に見えるかもしれんが、その行動の裏に、父親の教えた常識的な生き方に反発したいという気持ちがあったとしても不思議ではないだろう」 

 偉すぎる父親への反抗心か。そう考えると、確かに型破りな会長の行動が、少し理解できるような気がする。

「教官さんはそれでも、会長さんにあえて協力されたのですか?」

「俺は空を愛している。だから航空業界の発展に寄与することであれば、個人のわがままから始まった行動でも構わないと思っている」

 会長の行動に目を配ることも、教官の仕事には違いない。しかし教官はすべてを承知で、会長の父親の意向や会長自身の考えとも別の道を歩んでいる、ということだ。

 あの自由奔放な会長が、まるで教官の手のひらで躍らされているように見える。これが大人の力なのか。

「わかっているとは思うが、古賀の話は他言無用で願おう。さて、事務的な話を進めようか」

 打ち合わせはその後、二時間近くかかった。教官はそのまま会社に戻り、僕たち二人はファイルを委員会室に戻した後、肩を並べて校舎を出た。

「ふーっ。会議って、結構疲れるな。こんなにかかるとは思わなかった」

 昔なら座っている方が楽だと思っただろうが、今は体を動かしている分、デスクワークの方が苦痛になっている。

 会長の話は、少しショックだった。しかし、会長に真意を問うことは、僕にはできそうにない。会長が触れたくないと考えている一線を、超える恐れがある。宇宙科学会が長い僕と朋夏と会長の三人の間には、お互いの微妙な事情には踏み込まないという、暗黙の不文律があった。

 湖景ちゃんは、会長の事情は会長の私事として納得した様子で、きょうの交渉では別の感慨を持ったようだ。

「姉さんは毎日がんばっていたんですね……私には真似できそうにありません」

 そう言って、盛大なため息をついた。僕が会長には絶対かなわないと思っているのと同じように、湖景ちゃんにとって名香野先輩は、とても大きくて存在感があるのだろう。教官が会長以上の器らしいと思うと、僕は自分の小ささが嫌になるが、湖景ちゃんもそんな思いを抱いているのだろうか。

「私、姉さんをもっと支えます」

 湖景ちゃんが珍しく、拳に力をこめて言った。どうやらきょうの段階では、大きな姉の存在をプラスに考えてくれたようだった。