二次創作小説「水平線の、その先へ」

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10章 大地を離れて 天翔ける(5)

 航空部と僕たちが、滑空場の端で向かい合って並んだ。部員数の差は圧倒的で、航空部は二十人に近い。

 審判団に促され、古賀会長と花見が握手をする。その後に、コイントスだ。会長が勝ち、後手を選んだ。後から飛ぶ方が相手の距離を見た上で飛行できる分、有利だ。飛ぶ前から圧倒される心配もあるのだが。

 花見が言っていた、風が気になる。滑空場の気流を示す吹流しは、それほど強くなびいていない。ただ、さっきも会長の髪をつむじ風が巻き上げる場面があった。このまま勝負が終わるまで、落ち着いてくれればいいが。

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 航空部が機体を滑走路の端に移し、花見がコックピットに乗り込む。今回はモーターの起動からバッテリーで行う、純電気飛行だ。バッテリー残量で公平を期すため、計器のチェック時間は一分と決められており、異常があればいったん離陸を中止して、充電と再整備ができる。花見は五十秒で親指を上げ、ぴたり一分で離陸を開始した。

 花見の機体がぐんぐん速度を増す。機体が大きいためか、滑走距離は僕らよりも長い。競技は両輪が離陸してから着地までだから、滑走距離が短い方が、バッテリー上のアドバンテージになる。

 花見の機体が浮いた。その時、横風が一瞬、滑空場を吹き向けた。花見の機体は軽く右に傾いたが、声を上げる間もなく一瞬で元に戻す。滑走時間は僕らが短いはずだが、花見の腕前なら、この程度のリードは心許ない。

 それを見守る航空部員にも、高揚した様子はない。彼らにとって、花見が飛ぶのは当たり前なのだろう。機体は順調に、高度を取っていく。滑らかな姿勢で、無理に高度を引き上げる動作もない。背景の色が青しかなく、機体のぶれもないので、まるでコンピューターで制御しているような航跡だった。やがてモーター音が消え、滑空に入る。

「ここまでなら機体のアドバンテージ分、宮前が有利だ」

 双眼鏡を片手に、教官が呟く。

「問題は、滑空の技術だ。花見の飛行機は、落ちないぞ」

 機体は西に、機首は少し東に向いている。距離は着陸までの直線で測るので、曲がるのは不利だが、風向きを考慮したコントロールだろう。花見の飛行機は、まるで羽毛のように、空中にとどまっていた。時計の秒針ばかりが早く回る気がして、心臓の動悸が激しくなる。

 隣で名香野先輩が礼拝所で祈るように、両手を前で組んでいる。だが何を祈ればいいのか。早く落ちてくれとか、失敗しろとは祈れない。願わくば重力がもう少し、花見の機体を早めに引きつけてくれますように。

 途中で二回ほど風が吹き、花見の機体が高度を下げる場面があった。だが機体は地上に近づいても、いつまでもなめるように飛ぶばかりで、接地する気配がなかった。滑空だけで飛距離を伸ばす技術は、見事としか言いようがない。接地した瞬間、僕たちはいっせいに「ふう」とため息を漏らし、教官は無言で席を立って、審判団のいるテントへと向かった。

 停止した花見の機体に、整備担当の航空部員がばらばらと駆け寄っていく。機体に問題はなく、花見も無事にコックピットを降りた。審判団の一人が、機体に近い滑走路上で白旗をかざす。それを双眼鏡で覗いた審判団が、飛行距離を計算する。

「航空部の記録が出た。九百四十二メートル」

 教官が戻ってきて、最後の準備を進める僕たちに結果を伝えた。僕たちの二回目のテストフライトが八百メートル超だったから、はるかに遠い。

「今回のバッテリーでは、陸上での離着陸なら一キロが限界と推定している。高校生があのモグラで八百メートル越えは予想外だ」

 教官は花見の腕前に、あっさりと兜を脱いだ。これでは戦う前から勝敗は決まったようなものなのか。

「だが俺たちには白鳥とフライ・バイ・ライトがある。機体の条件が違うのだから負けと決まったわけではない……あとは宮前」

「はい」

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 朋夏の声が違う。負けん気だけは売るほどある女だ。返事も、いつもの「オス」ではない。

「上空の風が巻いている。色気を出して、無理に風に乗ろうとするな。機体をまっすぐに制御することを、第一に考えろ。安全が最優先だ」

「了解。行ってきます」

 審判団が、僕たちに準備を命じた。僕と会長、名香野先輩、湖景ちゃんの四人で協力して機体を滑走路の端に押し出し、中心線にまっすぐにそろえる。予選会で僕たちにできることは、ここまでだ。機体の飛行データは一応トレースするが、負ければそれも不要になる。

 風は今のところ、落ち着いている。朋夏が満を持した表情でコックピットに乗り込むと、僕らは機体を離れた。風防を閉じてエンジンキーを回し、白鳥のモーターが静かな咆哮を上げた。計器を一つ一つチェックする朋夏の顔は、真剣そのものだ。そしてきっちり五十秒、朋夏はいつものように親指を立てた。

「トモちゃん、がんばって!」

「宮前さん、あなたならやれるわ」

「宮前先輩、お願いします」

「朋夏……頼む」

 声援は四人四様だったが、心は一つだ。朋夏は一瞬にっこりとすると、笑顔を消して正面を見据え、モーターの出力を上げた。

 僕らと航空部員が注視する中、機体はするすると滑走路を滑る。初フライトの時のような揺れもなく、助走は順調だ。朋夏は焦らず、じっくりと機首を上げた。それでも助走距離は、航空部の機体よりずっと短い。

 離陸はスムーズだった。このまま、いけば……と思った瞬間、僕たちの周りを突風が吹きぬけた。

 白鳥が、大きく左に傾いてから、すうっと横滑りを始め、湖景ちゃんが軽い悲鳴を上げた。だが、朋夏は落ち着いて、傾いた機体を立て直した。機体はそのまま上昇を続ける。ただし機体は、滑走路からかなり、西側にずれた。 

「距離のロスが心配だわ」

「ヒナちゃん、トモちゃんを信頼しよう。離陸直後にあの風で、機体を制御できただけでも、たいしたものだよ」

 肝が冷えた。しかし、今は何事もなかったかのように、白鳥は上昇する。花見に比べて安定しているとは言い難いが、こちらはキャリア一月のパイロットだ。上出来には違いない。

「まもなくバッテリーが切れます!」

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 湖景ちゃんが叫んだ。航空部より距離は稼いでいるように見えるが、やや航路が西に曲がっているだけに、安心はできない。

 やがてモーター音が聞こえなくなり、機体は滑空を始めた。ここからが、本当の勝負だ。ここで初めて、朋夏は機首を東に向けた。

「あいつ……色気を出すな、と言ったのに」

 教官が、険しい表情をしている。朋夏は花見同様、東風を利用して、滑空時の距離を伸ばす腹なのだ。無線はあるが、今さらやめろとは言えない。いずれにしろ、着陸までに機体を東にずらし、滑走路に合わせる必要がある。

 時折、東から横風が吹き、そのたびに機体は左に傾き、立て直しのたびに高度が落ちる。花見の安定した飛行とは、やはり大きく違う。高度は稼いでいたが、地上に近づく速度はずっと早く感じる。白鳥はまるで、重い体を早く滑走路につけたがっているかのようだ。

「トモちゃん……ちょっと、足りないかも」

 会長が表情を曇らせた瞬間、目の前に渦を巻いた砂が舞い上がり、僕たちの視界を奪った。

「危ない!」

 僕は思わず叫んだ。まさに接地しようという時、機体がまた大きく左に傾き、横滑りをした。

 その瞬間、信じられないことが起きた。朋夏が一瞬で機体を立て直し、その後で白鳥がふわりと、浮き上がった。軽い機体を風に乗せ、失った高度を回復させた。

 航空部の方から、失望とも聞こえるうなり声が上がった。どれくれいの距離と時間を稼いだのか。このままいって、勝てるかどうか……

「いかん」

 今度は教官の声だ。再び風が抜ける。今度はさっきより緩い……と思った瞬間、事態の深刻さを悟った。

 西風じゃないか。なぜ、ここで西風なんだ。

「湖景ちゃん、無線!」

「やめろ、間に合わん」

 再び、白鳥が揺れた。機体は今度は、右に大きく傾いた。そしてそのまま、あおられた。翼が完全に、垂直に立った。気がつくと僕の体は、滑走路に向かって駆け出していた。

 いくつかの悲鳴と、轟音と、僕の叫び声が重なった。