1章 果てない海と 空の青(4)
6月2日(木) 南東の風 風力1 晴れ
きょうも朝から、初夏のような力強い陽光が差した。校門をくぐり玄関を抜け靴箱に外靴をしまい、教室に向かおうとした時、不意に呼び止められた。
「おーい、平山!」
クラスメイトの上村実が、手を振って追ってきた。
上村は今のところ、学園で一番の親友だ。一年生から同じクラスで、話す機会が抜群に多い。
長身で細面、秀才、鋭利な視線が特徴で、イケメンのメガネ君と呼べなくもない。学内の情報通で知られているが、「俺は歴史の傍観者でありたい」が口癖で、自分のことは必要以上に話さない男だ。
「平山。単刀直入に聞くが、宇宙科学会は平気なのかね?」
こういう妙にキザな言い方が、不思議に似合う男ではある。
「いきなり何だよ。平気も何も、昨日はちゃんと部活をしたぞ」
活動内容は、もちろん秘密だ。
「ふむ。その活動とやらの間に宇宙科学会の解散命令が掲示板に張られたことを、まだ知らんのか?」
寝耳に水、という言葉を生まれて初めて体験した気がした。
「いつ、張り出されったって?」
「昨日の放課後。執行委員会が放課後に設けた最終弁明の会議を、すっぽかしたではないか」
最終弁明だと? そんなこと、一言も聞いていない。
内浜学園は生徒の自主性を尊重する校風で名高いが、生徒の自由を規制する数少ない学校規則に、部活動参加の義務がある。
学業だけの人間になるな、という学校の教育方針だが、特にやりたい活動が見つからない生徒にとっては、なかなかに厳しい選択だ。もっともこの校則は有名だけに、知らずに学校に入る人間のほうが少ない。
その分、活動は盛んで、他の高校より部の選択肢が多く、インターハイや全国大会に参加する活動も多い。文化部は学園独特の慣習で、「学会」という名前がつくのが特徴だ。しかし数が多い分、何の活動をしているのかよくわからない学会もあれば、中心メンバーの卒業と同時に人数ゼロになる休眠学会もある。
宇宙科学会は昨年、数ある休眠学会の中から会長が復活させたと聞いている。そして会長は、部活動を決める期限の四月末が近づいても所属を決めていなかった一年生の僕を、部員にスカウトした。
ところが部室はあったものの、当初の部員は会長と僕だけ。しかも宇宙科学と名のつきそうな活動は一切なく、そのいい加減さが僕のお気に入りでもあった。
「宇宙科学会らしいといえばらしいが、部員が知らないとは、暢気にも程があるぞ。卒業による休会はあっても、お取り潰しは少なくとも十年はないはずだ。学内は昨日から大騒ぎだ。わが友人ながら、この無関心さはどうしたことか」
やれやれ、と言いながら肩をすくめるポーズが、また様になっているところが癪に障る。ちなみに上村は運動部でないことは確かだが、自分のことを話さないのにこちらから詮索するのも嫌なので、一度も聞いたことがない。
そのため一年以上のつきあいにもかかわらず、こいつがどこの学会に所属して、放課後どこに姿を消すのか、僕は未だに知らなかった。
「解散の話は、中央執行委員会から二週間前に、学内メールで古賀会長に通告してあった」
それも初耳だ。中央執行委員会とは、つまり生徒会だ。
学生活動は自主独立が原則の学園にあって、執行委員会も大きな意味での学会の一つではあるが、学園理事との交渉、学園祭の主催団体として外部との折衝にも当たり、生徒の風紀から部活動まで管理する執行委員会の権限は大きい。
「しかし、執行委員会に解散の権限なんかあるのか」
「ある。解散が明文化されているわけではないが、学校に休眠状態の部活動の取り消しを申請するのは委員会だ。そうなれば部室を追い出されるだけでなく、部員は一か月以内に所属学会を決めなければならない」
やれやれ、厄介なことになったものだ。解散なら解散でも一向にかまわないのだが、新しい学会探しとか、面倒ごとはできるだけ避けたい。
「もっとも、俺は解散命令は委員長の本心ではない、と思うがね」
上村がにやりとした。
「委員長は学園の意向確認も含めて、裏でいろいろと手を回していた。その上で最終通告の上、最終弁明の日まで調整してあったのに、十分待っても誰も来ないから、委員長閣下が直々に出向いたら、部室はもぬけの殻。全校放送で呼び出し、三十分あまり校内を探し回ったあげく、名ばかりの顧問の先生に念のため確認に行ったら、珍しく学外での活動申請が出ていたそうな。あの強気の委員長が職員室にぺたりと座り込んだ姿、なかなか見物だった……いや、全部聞いた話だが」
「お前、本当は全部見ていたんじゃないのか?」
「そんなことは、どうでもいいじゃないか。その後、委員長の頭から、文字通り湯気が立った。ここまで活動をないがしろにしながら、最後の弁明をすっぽかして活動のフリをするなど言語道断、罰当たり、○×△、許しがたい……と一分あまり職員室で一人でまくしたてた挙句、委員会室に戻って解散命令を決議した。それで貼り紙と相成ったわけさ」
会長が昨日の昼休みに突然活動を「命令」した理由が、ようやく読めた。
会長は変な人だが、困ったことに人も悪い。その生真面目な委員長さんとやらが、学内を奔走することまで見越して、悠々サボリを決め込んだ可能性がある……僕たちを共犯者として巻き込んで。
「で、いい加減にそっちの話をしろ。昨日は、どこに行ってたんだ?」
眼鏡の奥に、心を見透かそうとする眼光がある。ここは一応かわすべきだろう、と瞬時に判断した。
「旧校舎。会長の命令でさ、あー、太陽と海風の観測。きのうから、六月だろ? この夏はデータをとっておこうと、最初の観測会となったわけさ」
「何も最終弁明の日に、あわてて着手することもあるまい。しかし学会として活動する以上、データは毎日取るんだろうな?」
「え? ああ、もちろん。そのつもりだが」
「すると夏休みまで毎日、午後の授業免除の申請をするわけか。大会以外で授業免除ができる学会活動が年間何日あるのか、平山は知っているか?」
無駄な抵抗だった。考えてみれば、どう取り繕ってもバレる。
なぜなら、会長の真意は不明だが、その行動は明らかに弁明の意思がない。今から部員に口裏あわせをして活動実績を偽装するような姑息な真似は、しない人だ。
「ま、それ以上は推測に任せるよ。ただ僕には、会長の意図はわからない。会を潰す気なのか、逆転技があるのか。きっと何かを考えているんだろう、それしかわからない」
「本当に?」
「こう見えても、会長とは一年のつきあいだ。会長の破天荒な行動には、いつも理由がある。しかし後になってみないと、本当の理由はわからない。いつものことさ」
内心、深夜の焼き肉パーティーは今もって意図不明だと気づいたが、口には出さないことにした。
「平山は、えらく会長の肩を持つな。惚れたか?」
「一応は会長だからさ。でも手を出したらきっと、全身炎上じゃ済まない被害だよ。恋愛方面の希望は、部に入って一週間で捨てた」
上村が、くくくと笑った。
「確かに古賀譲にアタックして沈没した三年生は二十人を下らないと聞く。平山と古賀嬢という組み合わせも奇妙だが、お前のそういうさっぱりした部分が、会長のお気に入りなのかもしれん……ただ、異性として惚れるだけではあるまい。人間として惚れることだってある」
「人格を理解できない人間を、か?」
「惚れるのは理屈じゃない。何かお互いに共通項があって惹かれあう、そんなこともある」
僕と会長に共通項? ますますもってわからない。ただ、振り回されるのは迷惑だが、何となく嫌じゃない。それだけだ。
上村は相変わらず、隣で意味深な笑みを浮かべていた。