二次創作小説「水平線の、その先へ」

当ブログは二次創作小説(原作:水平線まで何マイル?)を掲載しています。最初から読みたい方は1章をクリックしてください。

8章 きらめく星に 見守られ(10)

 7月20日(水) 北西の風 風力1 晴れ

 きょうは終業式だ。いつもより長めの朝礼が行われ、ホームルームで成績表と、休み中の注意事項が伝達される。全員で教室の掃除をし、午前中ですべての作業が終わると、僕は朋夏と一緒に旧校舎へと向かった。

 きのうはあの後、二度目のテストをしたが、やはり翼の動作不良は起きた。エレベーターよりも、ラダーの方が安定しないように見える。とにかく、このままでは飛行機を飛ばすことは不可能だ。解決の糸口が見えず、作業はペンディングとなった。

 航空部との決戦は土曜日だ。使える時間はきょうも含めて、あと三日しかない。しかし夏休みになったことで、今日の午後と、明日、明後日はほぼ一日、時間を使うことができる。学園や顧問の先生と夏休み中の部活動の調整をするために学園に残った会長を除く全員で、まずミーティングを行った。

「通信系の機器に、初期不良があったんじゃないかな?」

 これは朋夏の意見だ。

「三つ全部ですか? さすがに考えにくいところです。しかし結論を出すには、ステップ情報の電波を正常に受信しているかのデータが欲しいのですが、今の通信機器は受けるだけで、データを出力する機能がありません。せめてステップ情報を表示させる機能を早く作りたいところですが……」

 湖景ちゃんが、ため息をついた。湖景ちゃんにはまだ、朋夏の訓練用に簡易シミュレーターを完成させるという大仕事が残っている。シミュレーターでの訓練なしに飛ばすことは危険だが、動作不良の原因がわからずにフライ・バイ・ラジオ・システムをあきらめるとなれば、そのシミュレーター作りも、無駄になる可能性が出てきたわけだ。

 みんなの視線が、教官に集まった。だが教官からは、期待していた回答はなかった。

「俺ができるアドバイスは、決断する時期を決めろ、ということまでだ。今のままフライ・バイ・ラジオの改良と不具合の発見を続けたいなら、それでもいい。ただしタイムリミットは決めねばらない。金属索に戻す作業にかかる時間から、逆算すべきだな」

 予選会は、土曜日の午前中だ。夜は照明がなく作業ができないことを考えると、前日の夕方には作業を完了しなければならない。機体の調整にも、万全を期す必要がある。すると、どんなに引っ張っても、金曜日の午後三時頃には決断しないと、間に合わないだろう。

「湖景は、すぐにシミュレーターにかかってちょうだい。今日中には完成するわね? そうしたら宮前さんの訓練はできるようになるし」

 ずっと沈黙していた名香野先輩が、重い口を開いた。

「でも姉さん、動作不良の原因を突き止めないと」

「データを頂戴。私がチェックする。予選会までに必ず、原因を突き止めてみせるわ。宮前さん、安心して訓練して」

「はい……じゃあ、あたしはそのつもりで準備します」

「任せといて。こういうのは、意外に簡単にカタがつくこともあるからね」

 名香野先輩はウインクをしたが、やはり表情は硬いように見える。

「平山君は、湖景の作業を手伝って頂戴」

「先輩を手伝わなくて、いいんですか?」

「シミュレーター作りも大事よ。フライ・バイ・ラジオでいくなら、ね」

 名香野先輩は、自分が発案したアイデアを捨てる気は、毛頭ないようだ。

「じゃあ、きょうの夕方まで、あたしは滑空場で操縦訓練をします。教官、指導を願えますか?」

「了解した。名香野、津屋崎、平山、後はしっかり頼むぞ」

 先は見えないが、とりあえず方針は決まった。教官と朋夏は、さっそく車に乗りこんで滑空場に向かった。

「じゃあ平山先輩、データの受け渡しが終わったら、さっそくシミュレーター作りの作業をします」

「それはいいんだけど……フライトシミュレーターって、すごい高度な画像処理とか使うんじゃないの?」

 湖景ちゃんが笑った。

「今回は、飛行画像は使いません。操縦の感覚をつかむだけですから。平山先輩には、床板代わりのベニヤに、操縦席と操縦桿、ペダル、油圧ピストンを固定する作業をお願いします。私がプログラミングをしますが、基本は白鳥のコンピューターと同じプログラムですから、移植を含めて半日あれば十分です。操縦すると、腕や足にそっくりの負荷がかかると同時に、操縦の結果が飛行姿勢の簡単なグラフィックと数字で、正面のモニターにリアルタイムで出せるようにするだけですよ」

 最終的には飛行画像つきのシミュレーターも考えている、と湖景ちゃんは言った。教官から、リクエストがあったらしい。今では飛行シミュレーターも移植可能な汎用プログラムがあり、地図情報を検索ソフトで読み込めば、三次元の地形画像も簡単に再現できるそうだ。汎用プログラムは教官が提供したので、お金もかからずに済んだ。

「そういえば、油圧ピストンとかの費用って部費で賄える範囲なのかな?」

「さあ……さすがに個別の部品の値段や、会長さんのフトコロの具合はよくわかりません。全部終わったら、全員に請求書が来るかもしれませんね」

 資金の問題は会長に任せるとして、僕は自分の仕事を開始した。中古の操縦桿もペダルも、白鳥の部品とは形も大きさも異なっているが、操縦桿は前後に倒すだけだし、ペダルも踏むだけなので、朋夏には我慢してもらうしかない。

 椅子は旧校舎に捨てられていたもので、元は応接室にあったらしく、表面のビニール革はあちこち破れているが、一応背もたれが動くタイプだ。そして会長の作った設計図と、必要な工具が一通りそろっている。

 マニュアルつきの飛行機と比べると、こちらの方がはるかに日曜大工の気分だった。慣れない作業は、たっぷり二時間はかかった。湖景ちゃんに声をかけると、プログラミングはもう少し続くという。いつ見てもほれぼれとする、ブラインドタッチだった。手の空いた僕は、名香野先輩の様子を見に行った。

 先輩は僕の姿を見ると、ため息をついて、テストデータを映し出していたミニコンを閉じた。

「これまでのデータを検証した限りだと、機首上げの直後にトラブルが多い気がするわ。まったく動かない場合もあれば、動作の開始が遅れて、一気に動く場合もある。パイロットからすると、動作が不安定で、かなりストレスを感じるはずですよ」

「いったん、駆動装置を機体から外してテストしてみましょうか」

「そうね。すべての機械が正常に動くのか、最初に確認すべきだったわ。バッテリーは充電中だから、外部電源で駆動させましょう」

f:id:saratogacv-3:20210104233536j:plain

 僕たちは、きのう苦労してつけた翼の駆動装置をすべて外し、ミニコンから直接、電力と命令の電波を飛ばしてみたが、すべての機械が問題なく動いた。どうやら駆動側の受信装置やモーターに、欠陥はなさそうだ。

「すると、発信側の問題かな。平山君、コックピットで操縦桿とペダルで操作してみてくれない? 今、回路をオンにするから」

「了解しました」

 僕はコックピットに体を無理に押し込めて、名香野先輩の指示で操縦桿とペダルを動かした。チェックは念入りに、何十回も繰り返しで行い、データを取った。

「そろそろ、どうですか?」

「今のところ、まったく問題なし。……すると白鳥に宮前さんが乗って、実際に動かす時だけ、問題が起きるのかしら」

「問題が部品やプログラムではなく、白鳥自体にあるとすると厄介ですね。ただ、昨日は初めてのテストだったし、気づかない接続不良とかがあったのかもしれません」

「そうね、機械は信頼性が高いように見えて、そういうこともあるから。平山君、ご苦労だけど、もう一度機体を組み直してくれる? きょう中に白鳥でもう一度テストしてみたいの」

「わかりました」

 また、尾翼に駆動装置を取りつける作業にかかった。今回は慎重に電波受信機の方向を確認し、機械を翼にセットした。

「……そうか、バッテリーの電圧の変位が原因かもしれない」

 僕の作業が終わった時に、名香野先輩が呟いた。その時、ちょうど滑空場での訓練を終えた朋夏が、戻ってきた。

「ただいまー、みんな。機体の方は、どう?」

「ちょうどよかった、朋夏。これからまたテストをするから、もう一度コックピットに座って操作してみてくれ」

「了解」

 朋夏が軽やかに身を翻し、コクピットに体を納めた。飛行機に乗る姿が、すっかり様になっていた。こんなにパイロットが、似合う奴だったのか。

「平山君、今回は燃料エンジンで給電して頂戴」

「さっき言ってた、バッテリーの問題ですか?」

「そうよ。これで正常に動けば、問題は恐らくバッテリーの給電の不安定性にあるわ。それなら教官に頼めば、解決策を教えてくれるかもしれない」

「でも新型バッテリーだから、未解決の問題という可能性もあるのでは?」

「そうなったら、お手上げね。少し重量が増えるけど、ラジオシステムをあきらめて電線で給電するフライ・バイ・ワイヤでいくしかないかも。いずれにせよ、これで解決策が見えると思うわ」

 シミュレーターの作業が終わった湖景ちゃんも、作業に参加した。朋夏がモーターを回し、操縦を始める。エンジンルームには給電線がつながれ、燃料エンジンから電力を供給する。プロペラを外した白鳥で、朋夏が離陸から着陸まで、旋回を交えながら一通りの操縦操作を行った。

「どうですか、先輩?」

「……ダメ」

 名香野先輩の声を、はっきりと失望感が覆った。ミニコンでトレースしたデータを覗くと、それまで一度も不具合がなかったラダーやエレベーターの駆動装置が何度か、動作異常を起こしている。前回よりも頻度が少ない気はするが、一度でも起きれば飛行機が墜落しかねない問題だ。しかも原因が、新型バッテリーにないことは明らかになった。

「モーターに問題があるのでは?」

 僕は少ない知識を動員して、聞いてみた。

「ラジオシステムは、モーターとはまったくリンクしていない。計器からのモーターの出力制御は、従来どおり有線だもの」

「すると機体の中に伝達不良の原因があるのでしょうか。振動とか翼の自重とか、物理的な理由は?」

「わからない……こうなると、プログラムを疑うしかないのかも」

 最後の声は、聞き取れないほど低くなった。視線の先に、不安そうに名香野先輩をみつめる、妹の姿があった。

 その時、カンカンという屋根をたたく断続的な音が、僕たちを包み込み始めた。それが連続的な金属音に変わるまで、時間はかからなかった。

「雨、ね」

 格納庫の天井にぶつかって弾ける雨だれの音が、僕たちの間を抜けていく。空はいつの間にか、雨雲に覆われていた。どうやら、本格的に天候が崩れだしたようだ。

「夕立、ですね」

 遠くで雷鳴が聞こえる。まるで僕たちの心情を映したような、湿った時間が過ぎていった。