二次創作小説「水平線の、その先へ」

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8章 きらめく星に 見守られ(6)

 7月15日(金) 南西の風 風力1 快晴

 きょうの三時間目が物理だった。僕がそうっとテストを開くと、「三十二点」という数字が見えた。ひどい点数だ。だが赤点でないことは、間違いない。これで全教科、超低空飛行ながら、残らず赤点を踏まずにクリアした。僕は思わずガッツポーズをしてしまったので、後でクラスメイトに百点でも取ったのかと、あらぬ勘繰りをされた。

 朋夏はというと、こちらを見て喜色満面、親指を上げた。これで我が部員に夏休み強制補習はなく、従って予選会の出場にも問題がなくなった。授業中の携帯メールは禁止だったが、僕は会長たちに「○」の一文字を送った。みんな気にしていたから、昼休みになれば受信してくれるだろう。

 その昼休み、期末テストの成績上位五十人の名簿が、掲示板に張り出された。今までは素通りだったが、学内に知り合いが増えた今回は朋夏と一緒に、少し背伸びして名前を探してみる。一年生では、湖景ちゃんの名前が上から七番目に入っていた。そして三年生の一位はもちろん、会長だ。

「すごい……名香野先輩、二位だよ」

 朋夏が呟いた。追試は他の生徒より遅く試験を受ける分、難しくなるのが普通だろう。体調不良まで抱えたハンデをものともしない名香野先輩の頭脳には恐れ入る……ただ会長ばかりは、相手が悪いとしか言いようがない。

 その時、朋夏が僕の袖を引っ張った。

「ねえねえ、見て! 二年の下の方」

「二年の下? ひょっとして、上村の成績が急落したか?」

 上村も毎回、上位十人の常連と聞いている。中央執行委員会騒ぎで成績が落ちたならお笑い草だが……と思っていたら、とんでもないものを見つけた。

「何だこれ……四十八位宮前朋夏って!」

 朋夏がはちきれんばかりの笑顔で、Vサインをした。確かにすごい。だが、すごいのは朋夏なのか、勉強を教えた会長なのか?

「これで名簿にないのは、空太だけだねー」

 まったくだ。悔しいが、まったくもって事実だ。何てことだ。予想外に周りが優秀すぎて、嫌気が差すとはこのことだ。

 僕は赤点脱出の感動も薄れ、すっかり重くなった心を抱えて、放課後の格納庫へと向かった。到着しても、誰もテストの話はしなかった。みんなが赤点脱出は当然と考えていたのか、僕に気を遣って僕にだけテストの話をしなかったのかは、よくわからない。まあ、今は目の前の作業に集中するだけだ。

 あれから名香野先輩は、委員会のことは一切触れず、放課後は真っ先に格納庫に顔を出して、精力的にモーターの調整作業を続けている。湖景ちゃんは名香野先輩のそんな姿を見て、元気を取り戻したようだ。ふだんと変わりない作業に見える。

 ただ名香野先輩の口数は、明らかに減っている。時折工具を手に持ったまま、ぼうっとして立っていることもある。以前の先輩では、考えられなかったことだ。 

 いくつかのギヤを調整した結果、きょうの段階で最適と思われるギヤを選択して、あすの第二回テストフライトで試すことにした。僕は狭いコックピットで長時間モーターの出力を調整していたので、すっかり体が硬くなってしまった。あすの輸送に備えて主翼を外す作業は、名香野先輩と湖景ちゃんの姉妹が買って出たので、僕は肩をばきばきと動かしながら、いったん気分転換のつもりで格納庫を出た。

 古びた校舎のガラスに夕陽が反射し、グラウンドに光の芸術を描いていた。夏至は過ぎたが、日はまだ長い。この夕焼けなら、明日も飛行日和になるだろう……そう思っていたら、旧校舎の前で、夕陽をバックに女子生徒らしき黒いシルエットが見えた。

 誰かと思ったが、すぐに正体が知れた。女子生徒は僕と目が合うと、頭を下げて猛然と、徹甲弾のように突っ込んできたからだ。

「ストップストップ! ぶつかる!」

「平山さん! 航空部との学内予選に向けた宇宙科学会の調整は、順調なのでしょうかっ!」

 そう叫ぶと、彼女は僕の前で急停車し、校庭の砂が激しい砂埃を上げた。

 報道委員会の、千鳥水面ちゃんだ。取材にかける一途な姿勢は見上げたものだが、質問するのは、せめてスピードを落としてからにしようよ。

「あ、この前の記事を書いた内浜タイムス十部です。どうぞ、もらっちゃってください!」

 どんと新聞を渡された。記事に乗るのはこそばゆいけど、学園新聞を十部ももらって、どうすればよいのだろう。親戚にでも配るべきなのか。

「で、飛行機なんですが、完成したって噂は本当ですかッ? 写真撮ってもいいですか?」

「まあ、完成しないと予選会で戦えないし……」

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  それから水面ちゃんは、僕から根掘り葉掘り、洗いざらいの話を聞いていった。この前は宇宙科学会の過去の活動内容とかLMG大会に挑んだ経緯とか、とても新聞に載せられない話も多かったのだが、今回は隠し立てする話はそれほどない。飛行機は中まで、花見にばっちり見せてしまっているし。

「それと最後に予選会に向けてのコメントを。航空部からは遊びで参加するなという批判もありますが?」

「ええと、僕たちも遊びのつもりじゃありません。航空部さんが相手ですが、なんとか五分五分の勝負に持ち込みたいと思って努力しています」

「少し長いですね……では『遊びじゃねえ。航空部なんざボコボコにしてやる』で、どうですか?」

「それ捏造だろ! ボコボコじゃなくてゴブゴブだよ!」

「わかりました。じゃあ、次の取材は予選会ですね、楽しみにしています。それではッ!」

「ちょっと待って待って!」

 また一目散に駆け出しそうになった水面ちゃんをあわてて呼び止めた。二、三歩走っただけなのに、止まる時に砂煙が上がった。スタートのダッシュ力だけだったら、高校総体に出られるレベルかもしれない。

「なんです? 何かすごい特ダネを教えてくれるとでも?」

「いや……中央執行委員会のクーデターの件なんだけど。報道委員会なら、何か知ってないかなーと思って」

 そう言うと、水面ちゃんが盛大なため息をついた。

「ああ、その件なら取材を申し込んでいるんですが……上村委員長代理になってから、委員会室が部外者立ち入り禁止になっちゃって。委員会の人に片っ端から突撃取材しているんだけど、みんな口が重くて、なかなか内情がつかめないんです」

 名香野先輩に聞いてみたら、と言いたいところなのだが、本人がショックを受けているから、僕から勧めるわけにもいかない。すると水面ちゃんが、「名香野先輩かわいそう……去年は報道委員長だったのに」と、ぽつりと呟いた。

「え、そうなの?」

 改めて名香野先輩の多才ぶりには、恐れ入る。そして水面ちゃんは、名香野先輩の部活の後輩でもあるわけだ。

「先輩からも取材したいんですが……さすがに声をかけられないんですよ」

 この子は弾丸のような突破力だけでなく、人の心を思いやる理性もある。本物のジャーナリストなら遠慮すべきではないのだろうけど、学園の報道委員会としては悪くないバランス感覚だと、僕は好感を持った。

「名香野先輩なら、いつかきちんと話してくれると思うよ」

「そうですよね……今は事実を書くことしかできないけど、そうなったら、きちんと特集してみます。学園のみんなが知りたいことですよね」

 水面ちゃんはそう言って、笑顔を見せてから踵を返した。この子なりに考えていることがいろいろとあるのだろう。グラウンドを元気に駆けてゆく後姿が印象的だった。すぐに砂煙で見えなくなったけど。

 後でもらった新聞の記事を読んだら、意外と言っては失礼だが、きちんとした記事になっていた。僕のやけに挑戦的なコメントを除いて、の話だけど。これでまた、航空部の連中が怒らなければよいのだが。