二次創作小説「水平線の、その先へ」

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15章 折れた翼が 痛んでも(2)

 8月2日(火) 西の風 風力4 晴れ

 教官が実行委員会の準備のため、午前中は旧校舎を離れた。大会が近づいていることを実感する。朋夏はシミュレーターでの操縦トレーニングとなった。だが墜落を繰り返し、花火の時の元気はすでになくなっている。

「大丈夫か」

「平気」

 コックピットを降りた朋夏の顔色が悪い。おまけに返事にも愛想がない。

「少し無理しすぎじゃないのか。休憩をとれよ」

「昨日も一昨日もその前も休んでる。もう休んでる暇はないよ」

 花見がどうしたものか、という顔をする。花火で気分転換を図ったものの、技術は一日にして成らず、というわけだ。

「体調管理もパイロットの重要な仕事だろ?」

「CGに酔っただけだから」

 それを聞いて、湖景ちゃんが小さく肩を落とす。みんなそれなりに責任を感じながら仕事をしているのだ。

「あ……ごめん。そういうつもりじゃないんだよ、湖景ちゃん……じゃあ、あたしは三十分だけ休むわ」

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  朋夏は格納庫の隅に座り込むと、そのまま壁に体をもたせかけてまぶたを閉じてしまった。僕はその頭に濡れタオルを置いてやった。

「気を遣ってくれなくていいから」

「わかったわかった。それで熱を下げたら再チャレンジだぞ。OK?」

「りょーかい」

 いつもの切符のいい言葉ではなく、間延びした「了解」だった。

 ふだんから元気が他人の五倍はある朋夏が静かだと、格納庫の中もずいぶんと落ち着いた空気になる。

「花見、ちょっといいか?」

 花見が僕に近寄る。朋夏は頭を壁にもたせかけ、眠ったように動かない。

「何か代替の飛行プランはないのか」

「この前も言ったけど、それはこの学会の目標による。あくまで優勝を狙うというなら、この飛び方しかない」

「だけど残りの時間で間に合うのか」

 大会は今週の日曜日だ。いくら優れた方法でも、パイロットが習得できなければ意味がない。

「難度が高いのは初めからわかっていたこと。がんばってもらうしかない」

 花見の返答は、つれない。目標が高いほど、困難は大きくなる。

「だが正直、宮前君がここまでできないのは意外だ。飛行機の操縦にしろ、この前の海でのバランス訓練にしろ、宮前君は熱心に取り組んできたことは何であれ、ある程度の時間があればマスターしてきただろ?」

 確かに、朋夏は少しおかしい。やはり朋夏がうまくいかない原因に触れなければ、先に進めないのだろうか。そうなれば朋夏の幼馴染みである僕が聞き出すのが適任だろうが、僕はそれは最後の手段、と心に決めている。

「違う飛び方とは言わないが、もう少し難度を下げられないか」

「水面飛行をするには低空飛行は必須だ。極限までスピードを出す必要があるのも前に言った通り。選択肢があるなら機体を替えることだ」

「そんなに大会のレベルが高いのか」

「宇宙科学会はもともと素人の集団だろ? 企業や大学のチームは、知識はもちろん、単純な経験値でも僕たちのずっと先を走っているんだよ。本当は高校生が優勝を望むこと自体、最初から無理がある。その夢を見させてくれるのがこの機体の魔力だが、夢を実現する気なら相応の代償は払わないといけない」

 花見は冷静に現実を分析する。

「僕も競技に出る以上は勝ちたい。もちろん宮前君の体調は最優先だけど、できるものなら実現して欲しい。それがダメだとなったら……」

「ハナくんが操縦桿を握ればいい、じゃないかな」

 僕たちが振り向くと、そこに会長がいた。

「トモちゃん、そろそろ限界じゃないかな。パイロットを変更するなら早めに決めたほうがいいよ」

「古賀会長は、優勝を狙うという基本方針は変えないわけですね?」

 花見の確認に、会長はうなずく。この人はなぜ優勝にこだわるのか。

 その時、これまで微動だにしなかった朋夏が立ち上がった。額に乗せたタオルが落ちたのも気づかない様子で、ふらふらと機体に近づく。

「朋夏、まだ三十分経ってないぞ」

「平気だよ。もう休んだ。あたしがんばる」

「もう少し休んだほうが」

「大丈夫だってば!」

 思わず言葉に詰まるほど、朋夏が語気を荒げた。そしてきっとした表情で、花見をにらんだ。

「あたし……絶対に、飛ぶんだから」

 コックピットに手をかけ、翼に上ろうとした朋夏が、手を滑らせて地面にひざをついた。これまであんなに軽々とコックピットに乗っていた朋夏のカモシカのような足が、ひざを持ち上げることさえ苦労していた。

「宮前さん!」

「宮前先輩!」

 名香野先輩と湖景ちゃんが駆け寄って、抱き起こそうとする。朋夏はその手を振り払った。

「どいてよ! 席に戻ってよ! 私、訓練するんだから!」

「仕方ないなー。じゃ、会長権限発動」

 会長が腕を組んだまま、朋夏の前に立つ。

「トモちゃん、クビ」

「……は?」

「もう何度やっても無駄だから。パイロット、クビ。ハナくんに変更ね。トモちゃんはバックアップに回って」

「そんな……できます! 絶対にやってみせます! 努力と根性があれば不可能だって可能になります。奇跡だって起きるんです!」

 会長は朋夏の必死の懇願にも、鼻で笑っただけだった。

「努力と根性? 笑わせないでよ。あなたに必要なのは休憩。でも時間もないし、私たちももう待てないの。だからクビ」

「な……」

 朋夏の瞳が、失望で揺れた。口元が何かを言おうとして動き、それでも言葉が出てこない。

「会長、少し朋夏を休ませてください」

 僕が割って入った。

「待てない。ソラくん、パイロットの変更は人を換えれば済む話じゃないんだよ? 重量バランスが変わるから、モーターや座席シートの位置、飛行機の重量配分も見直さないとダメ。しかもピッチシステムのソフトも完成していない。湖景ちゃんにはそっちの作業に専従してほしいし、いい加減に機体を決めないとダメなんだよ」

「ちょっと待ってください。優勝をめざすから万事無理が来るんでしょう。花見に変えたって優勝するなんて保証はどこにもない……それなのに会長はどうしてそこまで優勝にこだわるんですか? 朋夏をクビにしてまで」

 今度は会長が、僕をにらみつけた。

「勝つ気がないの? じゃ、ソラくんもいらない。クビ。とっとと出てって」

「待って、古賀さん。それはあんまりだわ」

「そうですよ、会長さん」

「あー、うるさいウルサイ。どうしてこんな間際になって、そんな当たり前のことを言わなきゃいけないのよ!」

 会長が、僕の記憶のある限り始めてキレた。

「イヤなら、みんな出てって。もともと私のわがままで始めたことでしょう? 無理に協力してくれなくったっていいのよ! これは私の問題なんだから。私が操縦するから。もう、みんな出てって!」

「そんな馬鹿な!」

 僕たちが一斉に会長に詰め寄った。その姿に会長が、珍しくひるんだ。そしてそのまま、何も言わずに格納庫を出ていってしまった。