二次創作小説「水平線の、その先へ」

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9章 想いは一つの 羽となり(8)

 まず名香野先輩のとったデータを、湖景ちゃんのミニコンにダウンロードした。すぐにスクリーン画面に映し出す。

「まず、データを整理すべきですね」

 湖景ちゃんがてきぱきと作業を進める。十分ほどで問題のあるデータだけを抜き出した表を作り、印刷して全員に配った。

「湖景、すごいのね」

 その手さばきを見ていた名香野先輩が、感心していた。

「私には、これしかできませんから。ずっとデータを取り続けた姉さんの努力は、私には真似できません」

 そう言って、湖景ちゃんが笑った。

「これを見てわかるのは、エラーはエレベーター四、ラダー六の割合で発生していること。不具合は異常な挙動、逆にまったく動かないケースとありますが、あまり分類に意味はないように見えます。シミュレーション上で言うと、機体を上昇させた時にエラーが多い気がしますが、統計的に集中しているとはいい難いですね」

「コカゲちゃん、これ、ほとんどトモちゃんが乗った模擬フライトのデータだけのようだけど。計器テストでの不具合は、これだけ?」

「二日間みっちり検証したけど、テストではこの四回だけよ。だから苦労しているの」

 名香野先輩が、ため息をついた。

「姉さん、それは模擬フライトのエラーが計器テストで検証できないってことですか?」

「あるにはあるんだけど、数が少なくて……共通点を探しているんだけど、どうにも手詰まりなの」

「……ヒナちゃん。テストは全部でどれくらい?」

「部品別だと……そうね、二百回くらいはやっているはずだわ」

 すさまじい数だ。名香野先輩の執念と責任感には、改めて恐れ入る。

「するとエラーは、多く見ても五十回に一回か……」

 会長が、じっとデータを見つめ、そして呟いた。

「テストデータのエラーは、たまたまじゃないかな」

「……たまたま?」

「たった四回だし、傾向も関連性もなさそうだよね。だから、これは偶発的なエラーじゃないのかなって。本質的な問題は、トモちゃんがコックピットに座って、実際の白鳥を操縦する時だけ、構造的な原因の不具合が頻発する……そっちの究明じゃないかな」

「なるほど……」

 名香野先輩が、うなずいている。実機でエラーが頻発し、テストデータもエラーが出た。名香野先輩はデータを取りやすいテストデータからエラーのパターンを引き出そうとしたが、そのエラーが偶然だとすれば、いくら追求しても糸口がつかめないわけだ。

「わかった。つまり、朋夏からなんか悪い電波が飛んでるってことか」

 さっきまでヘッドロックで痛めつけられていた後頭部に後ろ回し蹴りが炸裂し、僕はあっけなくカウント三を取られた。

「馬鹿は、ほっとこうよ。でも実機訓練だけエラーが出るっていうのは気になるなー。あたしが安心して飛べないってことじゃない」

「どうやら問題点はそこだな」

 腕組みをしたまま立っていた教官が、初めて声を出した。

「テストデータのエラーは無視して、原因として何が考えられるのか、もう一度全員でチェックしてみたらどうだ?」

「でも、その観点でも何度もチェックをしたつもりなんです。これ以上、何があるかというと……」

「ヒナちゃん、バッテリーはどうなの? テストで毎回バッテリーを使っているわけじゃないでしょ?」

 会長が論点を変えてきた。

「ええ、基本的に計器テストはコンセントからの電源を使います。バッテリーを使って、いちいち充電するのは無駄なので」

「ふうん。バッテリーの影響試験はしたんだね?」

「しました。というより、二度目のテストはバッテリーでなく燃料エンジンで起動したんです。それでも不具合が出ました」

 バッテリーは主犯ではない。それは二日前にわかっていたことだ。

「テストでは電波はきちんと受信するんでしょ? じゃあ受信器の故障はないよね」

 朋夏が確認し、湖景ちゃんが答える。

「電波の送受信機能は、通信ログを見る限り異常がないようです。後は機械内部の電気系統を疑うくらいしかありませんね」

 そこで沈黙が降りる。これで最初に戻った。原因は簡単には見つからない……そう思っていたら、会長が小首を傾げた。 

「ちょっと待ってヒナちゃん。それで終わり?」

「終わりって……他に、何か?」

「モーターはどうしたの?」

「モーターは初めからラジオシステムと接続していません。影響はないはずです」

「違うよ、モーターの磁界だよ。飛行機を飛ばす特大のモーターを、これだけ高電流で回しているんだよ。磁界の影響は? ジャミングはないの?」

 名香野先輩の顔が、みるみる青ざめていった。会長が立ち上がる。

「ソラくん、すぐテストの準備。ヒナちゃん、機体に受信機はついてる?」

「え?……ええ、さっきまた付け直したから」

「コカゲちゃん、磁界の計測と通信ログの再確認の準備を。今回は受信だけじゃなくて通信速度も拾ってね。トモちゃん、コックピットに乗って。ソラくんは電源を準備」

「電源? バッテリーですか、燃料エンジンですか?」

「どっちでもいいよ、モーターが回ればいいんだから。早い方!」

 会長ができぱきと指示をし、急に全員が動き始めた。名香野先輩が青ざめた顔のまま「まさか……いえ、それしか……」と呟いている。

「みんな、準備はいい? トモちゃん、回して!」

 朋夏がキーを挿し、モーターを回す。すぐに湖景ちゃんがエンジンルームに近寄り、何やら機械を使って計測を始めた。

「いいよ、トモちゃん。ストップ!」

 モニターを見ていた会長は一分ほどで作業の中止を命じた。そしてニコニコしながら、みんなを集めた。

「もうわかったね、ヒナちゃん」

「はい……モーターから出る電磁ノイズで通信電波がかく乱しています……こんな簡単なこと……すみません……」

 名香野先輩が自分を責めるように拳を震わせ、唇をかんだ。その肩を会長が「よしよし」と支えていた。

「すぐにわかったのは、ヒナちゃんが他のすべての問題点をチェックして、洗い直していたからだよ。だからヒナちゃんは、よくがんばった」

「私が最初にモーターの可能性を排除していなければ……平山君が言ってくれたのに、私が頭ごなしに……本当にごめんなさい」

「それより解決策を考えようよ。ヒナちゃんも知恵を貸してくれる?」

 問題点が見つかったのはいいものの、これは難題だ。相手がプロペラを回すモーターでは、止めるわけにいかない。

「会長、回転数とかで調整できないんですか?」

「回転数を落としてもモーターが回る限り磁界は発生するねー。磁場を遮蔽するしかないんじゃないかなー」

 そこで湖景ちゃんが難色を示す。

「遮蔽物ですか? それをエンジンルームに仕込んだら、また重量が重くなるのではないでしょうか」

 確かに、磁場対策で重量が増えるのは、本末転倒だ。

「ならばいっそフライ・バイ・ワイヤに戻ったらどうだ? この際、有線の重量分は妥協せざるを得ないだろう」

 そう提案したのは、教官だ。

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「教官。わがままを言ってすみませんが、できればそこは妥協したくないんです」

 名香野先輩が、きっぱりと言った。援護射撃をしたのは湖景ちゃんだ。

「それにこれだけ高磁場だと有線にしても影響を完全に排除できるかわかりません。それにたった四回ですが、モーターを回さない時にもエラーが出ましたよね? あれが飛行中の舵操作だったら、やはり致命的です。結果的にノイズ対策が必要になるのではないでしょうか」

「安全第一に考えるなら、そうなるな」

「それで重量が増えるなら……やはり無理かと」

「俺が言っているのは、あくまで力学系との重量の比較だ。フライ・バイ・ワイヤでさらに安全策を講じても、無駄な燃料タンクを外せるくらいは軽量化できるだろう。それだけでも十分大きいとは思わないか」

 再び沈黙が支配する。教官の言うことが、恐らく正しい。教官はずいぶん前から正解にたどりついていたのだろう。

 だが、誰も賛成の声を上げなかった。なぜなら、それは名香野先輩のアイデアであるフライ・バイ・ラジオを換骨奪胎するに等しいからだ。名香野先輩のアイデアを残す――これは名香野先輩の意を曲げてまで情報共有を迫った僕たちに課せられた責任だと、この時、誰もが思っていたのだ。

 その時、手を上げたのは、この手の話題に僕以上についていけないはずの朋夏だった。

「あのさ……要約すると、携帯の電波が届かないようなもの、なんでしょ?」

 会長が、うなずく。

「だったらさあ……ウチの電話みたいに、光通信にすれば?」