二次創作小説「水平線の、その先へ」

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16章 輝く未来の 懸け橋に(2)

 

「もう……どうなっちゃうのかしら」

 聡明で知られる名香野先輩が、深刻な事態を明らかに持て余している。事務処理の遅れならともかく、ことが人間関係だけに打つ手なしという状態だ。湖景ちゃんは、ますますミニコンの世界にのめり込んでいた。

 航空部はその方向性をめぐって内部対立を起こし、一年の花見を強引に部長に担ぎ上げたあげく、僕らとの予選会に敗れて崩壊した。

 宇宙科学会もこの段階での分裂は、避けなければならない。だが互いに本音をぶつけ合う場面は、あるべきだった。信頼しあう仲間同士、と叫ぶのであれば。

 飛行機に近づき、部品を外して調整を始めたのは花見だ。会長と朋夏、どちらを追うべきかと考えている僕に、花見が意外な話題を振ってきた。

「宮前君って、機体を軽量化するためにあの髪、切ったんだろう?」

「あ? まあな。名香野先輩がフライ・バイ・ライトで軽量化に格闘しているのを見かねて、予選会の前日に切っちゃったんだよ」

 横で聞いていた名香野先輩が、少しバツの悪そうな顔をする。

「朋夏は短絡志向なんだ。考えるより先に体が動くってタイプだからな」

「宮前君は髪のこと、その後で何か言ってたか?」

「いや……似合うか、とかは聞いてきたけど」

「ふうん」

 花見は少しの間、考えていた。

「勝つために、為すべきことを為す。それで負けても、後悔しない。その強い意志こそが、勝負に勝つために必要なことだ。僕には真似ができない」

 花見は「だから宇宙科学会のパイロットは宮前君がいい」と、言い切った。

「航空部に負けていたら、朋夏も後悔したんじゃないか?」

「平山君は、そう思うのか?」

 思わない。

 自分で言ったことなのに、聞かれたら即答できた。朋夏なら口の端に上らせることもしない。朋夏は負けず嫌いだが、終わったあとから愚痴ったことは一度もない。勝負事は、白黒はっきりさせる奴なのだ。

「たぶん、そうだと思った。僕はダメだな。君たちと望んで戦って、負けて、航空部をやめて、少し後悔している自分がいる。つまり僕は甘いんだ」

 花見が翼に背を持たせかけて、天井を仰いだ。僕たちとの予選会について、花見が初めて本音を見せていた。

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「正直もう少し慰留されるかと思った。でもなんだか、お前がそう言うならしょうがないって、あっさり受け入れられちゃってね。ははは」

 笑いが乾いていた。花見は傷ついている。天才だの神童だの、航空部でさんざん神輿に乗せられた上で、あっさり梯子を外されたことに。

「でも宮前君ならたぶん、体操部をやめたことを後悔していない。やめた理由は知らないけど、自分で決めたこと、それを信じることができる強い娘だと思う。内心で慰留されたらどうしよう、なんて心の隅で考えていた僕は、部長をやめる決意も、結局カッコつけだったんだ。髪を切って一切後悔しない、その時点で勝負に負けたってことさ」

 勝負に生きる人間は厳しい。もっと楽な、肩ひじ張らない生き方があってもいいと思う。でも大会をめざしている今、僕は花見の考え方に素直に共感できる。そして天才花見も、弱い人間の一人なのだ。

「だが航空部をやめたからこそ、結果として宇宙科学会の活動に参加し、この幻の飛行機に触れられたんだ。だから人生はわからない」

 花見は微笑んだ。

「今の僕には、それで十分だ。君はまず宮前君のことを考えてほしい。少なくとも飛行機は……僕と名香野先輩が責任を持って完璧にするから」

 花見の一言は心強かった。名香野先輩も僕に向かってうなずく。僕は格納庫を出て、朋夏の姿を探した。

 朋夏はグラウンドに下りて、水道で頭からばしゃばしゃと水をかぶっていた。ポニーテールの時にはできない芸当だったが、今は丸刈りの頭に、ようやく少し長めの髪が生えてきたところだ。

「空太……あたしって、感じ悪いかな」

 タオルで頭をふきながら、朋夏がぽつりと言った。一度も振り返らなかったが、僕が後ろに近づいたことは気づいていた。

「きのうのこと思い出したら、急に腹が立っちゃって……ダメだよね、あたし。素直にパイロット降りますって言えれば、みんなに迷惑をかけなくて済むのに」

 朋夏はグラウンドに座り込んだ。朋夏の背は高くなかったが、こんなに背中が小さいとは思わなかった。僕は、その隣に腰を下ろす。

「しかたないよね……がんばっても、できないんだもん。できない理由も、わからないんだもん」

「朋夏、少し落ち着け」

「あたしはあたしなりに考えているもん。でもあたしはデキが悪い子だもん。失敗を繰り返さないと、前に進めないんだもん。だから仕方ないじゃん」

 朋夏が怯えるように、小さく肩を震わせた。長いつきあいで、こんな朋夏を見るのは初めてだった。

 朋夏が運動に関して、自分を「デキが悪い」と言ったのは初めてだ。そのことに僕は、ショックを受けた。朋夏は、運動の天才じゃなかった。こいつなりに猛特訓を積みながら、高いハードルをクリアしてきたのだ。

「会長のこと、嫌いか?」

「ううん……空太の件は許せないと思うけど、でもそれはそれ。きっと会長なりに空太のことを考えて言ったんだと思う」

 朋夏の話だと、僕が気を失った後、朋夏は会長と二人きりで、事情を追及したらしい。会長は落ち込んでいたらしく、ぽつりぽつりと話をした。しかし僕にあの日の話をしたと知って、朋夏は激昂したという。何があったか知らなくても、あの日に何かあったことを知っていて、僕に何も聞かなかったのが朋夏だった。

「空太が一番、触れたくなかった話だもんね。それで、つい我慢できなくなって。でもあの後、あたしが様子を見にいくまで、会長は夕食も取らずに空太の看病をしていたんだよ」

 それは知らなかった。

「会長にはこの一年、迷惑をかけてばっかりだったからさ。いきなり空太の友達だからって、学会に転がり込んじゃって。寄り辺のないあたしを拾って、面倒を見てくれたのが会長なんだ。会長が大変な時は、本当は力になってあげたいと思う」

 朋夏は一時的に怒ることがあっても、人を恨んだり、根に持ったりはしない。基本的に、まっすぐな奴なのだ。

「きのうの会長の姿見て、やっぱり悪い人じゃないんだって思ったよ。だからきっと、大会のことも、何かどうしても勝ちたい事情があるんだよ……そろそろ、あたしも意地を張るのをやめる時期なのかな」

 朋夏が寂しそうに呟く。ここまでがんばってきたのに、あと数日でパイロットの座を明け渡すのは、そんな朋夏であっても簡単には、心の整理がつかないのだろう。それが会長に対して、珍しく素直になれない理由なのだ。

「朋夏がそう考えるなら仕方がない……だがその前に一つ、本当の話をしてくれ」

「……え?」

 朋夏の瞳に不安の影がよぎる。それが朋夏に、僕に聞いて欲しくない弱みがあることを、雄弁に語っていた。

「意識を失う理由だ。体操部をやめたことと、何か関係があるのか。それを僕に話してくれないか」

 朋夏が「やっぱり」という顔をして、うつむいた。そして、ひざの間に頭を埋めた。人の心の触れたくない過去。痛みを伴うと知りながら、人はそこに触れていかなければ、生きていけないのだろうか。