二次創作小説「水平線の、その先へ」

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10章 大地を離れて 天翔ける(6)

 無我夢中で走った。最初に飛行機にたどり着いたのは、フライトを終えたばかりで一番近くにいた花見だ。その後に、整備担当の航空部員たちが集まる。滑走路の端から走った僕は、三番手だ。白い飛行機の残骸が近づくにつれ、走って紅潮しているはずの顔から血の気が引いていき、軽い貧血を起こしそうになった。 

「機体を動かせ、早く!」

 花見が叫び、数人の航空部員と一緒になって潰れた胴体を持ち上げている。コックピットは反対側で、こちらから様子は見えない……そう思った瞬間、何か人の体の一部のようなものが目に入った。胴体の向こうにあるのは……動かない腕だ。

「朋夏っ!」

 一瞬、足がすくんだ。その脇を長い黒髪が、矢のように抜けていく。

「ソラくん、何してるの! 引っ張る!」

 我に帰った。会長は僕とほとんど同じスピードでついてきて、ひしゃげたコックピットから出ている右腕をつかんでいる。朋夏の頭は、うなだれたように動かなかった。横倒しになったコックピットの脇で、僕は朋夏の両脇に腕を差込み、渾身の力で引き抜いた。ずるずると音を立てて朋夏の体が出てきた。

「嘘っ!」

「宮前さん!」

 そこで僕たちに追いついた姉妹の悲鳴に、朋夏の目がぱちっと開いた。

「あ……空太」

「大丈夫か、朋夏! どこか痛くないか?」

「ううん、ちょっとびっくりして、気を失っただけ。あれー、どうなっちゃったのかな?」

 朋夏は、僕の腕を振り払うようにして、急に立ち上がった。その姿を見て、後から駆けつけた審判団を含め、全員が呆然としてしまった。朋夏は一人、何事もなかったかのように機体に近づき、「あちゃー」という声を上げた。

「あー、やっちゃった……機体、ボロボロだよ。どうしよう、空太」

「お前……なんとも、ないのか?」

「へ? ああ、全然。機体が横になって、真っ暗になって、あとはよく覚えていない。すごい衝撃があったけど、頭は打ってないし……腕や腰は少し痛むけど、この程度の打撲は、運動部ではよくあることだよ」

 けろりとしている。なんというか、運も多分にあったと思うが、体操部の柔軟性が生きたとしか思えない生還劇だ。

「機体の速度は、大分落ちていたからな」

 教官が、安堵のため息をついた。

「低速でも安定して飛べる機体のお陰だ。軽量化している分、衝撃には弱く、派手に壊れたが、コックピットはパイロットを守れるよう十分な強度とクッションがある……なんにせよ、けがが軽そうなのは幸運だった」

 気が抜けたのか、双子の姉妹が一緒にぺたんとすわりこんでしまった。名香野先輩の方が早かったのが、ちょっと意外だった。

「ねえ、空太。あたし、けっこう飛んだよ? どうだったのかなあ……あれ、みんな集まっちゃって、どうしたの?」

 なぜか急に涙が出てきた。

「あれ……ねえ、どうしたの、空太」

「馬鹿野郎! 朋夏が無事で、うれしかったに決まっているじゃないか!」

 恥ずかしくなり、くりくりになった朋夏の頭をバスケットボールのように片手でわしづかみにして、ぶんぶん振ってやった。

「わっ、わっ、どうしたの? なに? うわーっ!」

「宮前先輩……よかった、よかったです!」

 ほっとして感極まったのか、湖景ちゃんが大泣きを始めた。横で座っていた名香野先輩が、その頭を優しく抱きとめた。

「宮前さん、素敵なフライトだったわ」

「トモちゃん、最高の飛行だったよ!」

「やめてよ、空太! あは、あははは! いたた、痛いよ空太! あはははっ!」

 ちょっと不思議な歓喜の渦を見て、後から駆けつけた報道委員会の水面ちゃんがあわててカメラを取り出し、ぱしゃぱしゃと撮影を始めていた。

 僕たちの飛行機は、しっかり飛んだ。航空部に負けないくらい……そういえば、記録はどうなったんだ?

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 朋夏が無事とわかると急に距離が心配になったのは、神様への感謝が足りないのかもしれない。審判団が集まり、機体を見ながら協議している。

 大会は距離競技だが、距離を優先して無理な飛行を続けて事故を起こしたとすれば本末転倒で、本大会では失格になる可能性がある。学内の予選会にそこまでの規定はないが、審判団としては一応、本大会のシミュレーションとして判定をするらしい。

 数分して全員が集められた。審判団が記録を読み上げる。

「まず宇宙科学会の記録です」

 僕たちと航空部員の間に、緊張の波がさざめいた。

「測定記録によると九百五十七メートル。距離では宇宙科学会が優勢です。ただし着地は墜落でしたので、安全飛行の基準を満たしているのか審査と協議を行いました」

 距離は勝ったが、やはり無条件の勝利とはいかなかったようだ。審判団の次の言葉を全員で待つ。

「第一。機体がバランスを崩した要因は着陸直前の急な横風です。墜落に関してはパイロットの無理な機体の立て直し動作による操縦ミスが大きいですが、パイロット自身が意図的に無謀な操縦をして距離を伸ばし、危険な墜落を招いたわけではありません。パイロットも負傷していませんので、操縦ミス以降の緊急事態下では適切な行動をとったと判断し、飛行自体は有効といたします」

 ここまでは条件をクリアしているようだ。

「第二。突風は不可抗力ですが、操縦ミス以降の飛行距離については無効とします。機体バランスを失う時点までを有効飛行とし、機体の位置を映像で再検証した結果、航空部の飛行距離を上回っていた可能性が高いと認められました。よって予選会の勝者は宇宙科学会と決定しました」

 全身が震えた。それが僕たちの声になった。勝った。僕たち宇宙科学会の五人は、文字通り飛び上がった。そして、全員で抱きあった。肩をたたきあった。たった二か月の、短い準備。僕たちはその間に、いったい、いくつの障害を乗り越えてきたのだろう。そのことが何よりも、うれしい。

「おめでとう、古賀さん!」

「どういたしまして、ヒナちゃん」

「勝ちました、勝ちました……」

 湖景ちゃんは、きょう二回目の大泣きだ。

「だから奇跡は起きるって、言ったっしょ?」

 朋夏が鼻をこすりながら、胸を張る。

「いやー、あたしってば、正義のヒーローみたいだったよね? 死んだー、と思っていたら生きてました、みたいな!」

 僕はまたその頭を、わしづかみにしてやった。

「ああ、朋夏はすげえよ。その打たれ強さっていうか、無駄に生命力が高いっていうかだな」

「人をヘンな虫みたいに言わない! 何よ、王子様みたいに傷だらけのヒロインを抱っこして助けたかったの?」

「もう少しおしとやかだったら、考えてもいいぞ」

 朋夏のハイキックを予期して、僕はバックステップで軽くかわした。その姿を見て、僕らの間に無邪気な笑いが広がった。

「おめでとう、平山君。完敗だった」

 花見が近づいてきた。負けた悔しさもあるはずだが、顔には出さない。ふと周りを見回すと、航空部員は全員お通夜のように下を向いていた。中には涙をこらえている部員もいる。

「ああ……悪かったな、こんなことになって」

「いいんだ。古賀会長、大会もがんばってください」

「うん、ありがと。きっとソラくんたちが、がんばってくれるよー」

 自分は抜きかよっ。

「それより、こいつはよく考えついたね」

 花見が白鳥のコックピットの中をさしている。フットペダルの下から伸びる光ファイバーケーブルだ。

「これで最後の軽量化に成功したってわけか」

「昨日の夜に、徹夜で作業したのがこれだよ。名香野先輩がフライ・バイ・ラジオのアイデアを出して、朋夏が光通信を思いついたんだ」

「委員長のアイデアか……なるほど、あの人の頭脳なら、ね」

 このアイデアだけは、胸を張ってもいいだろう。

「そうだ、僕たちの機体の工夫も見てくれるかな?」

 花見が航空部の機体を見せてくれた。僕はその中を覗き込んで……マジで驚いた。

「これ……光ファイバーじゃないか!」

「そうさ。機体は限界まで軽量化したけど、僕らが確実に勝つには、これしかないと思った。それで一月前からテストと準備を繰り返してきたんだ……だから、完敗」

 花見の笑顔に、今度は寂しさが加わった。その視線の先に、しょげ返る航空部員がいる。勝敗とは残酷なものだ。航空部には全国大会に連覇がかかった別の大会がある。それなのに負けた悔しさは変わらない。そして花見には、これからも航空部を支えていく責任がある……

「花見……本当に、悪かった」

「何を謝るんだい? 胸を張っていいよ。勝敗は兵家の常さ」

 花見は航空部員に集合をかけ、円陣を作ってミーティングを始めた。僕がその姿を見ながら頭を下げると、いつの間にか隣に来ていた会長が、同じように頭を下げた。そして湖景ちゃん、名香野先輩も同じようにした。

 勝っても負けても、花見たちへの敬意は変わらない。少し気恥ずかしいけど、僕たちも、航空部員も全力で戦ったのだから。

「ありがとう、ごっざいましたあー!」

 最後に頭を下げた朋夏が、場違いな大きな声を上げた。最後まで体育会のノリなのが、朋夏という奴だった。

 航空部には悪かったが会長の提案で、もう一度全員で手をつないでジャンプした。その頭上に六月と同じ、あの美しい青空が広がっていた。