二次創作小説「水平線の、その先へ」

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5章 僕らは前に 進み出す(5)

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 6月24日(金) 南東の風 風力2 曇り

 名香野先輩は火曜日以降、毎日作業に参加してくれている。五時からという日もあったが、十分にありがたい。それに先輩がいない時でも作業が進むようになってきた。

 一つは、僕と湖景ちゃんが名香野先輩のやり方から作業のコツをつかんだこと。以前はすべてを慎重に進めていたが、慎重さを要する場面と、大胆に組み上げていい部分の区別がわかってきたことだ。

 もう一つは、湖景ちゃんの勉強の成果だ。ここにきて飛行機の用語とか航空工学のポイントをつかんで作業する能力が、めきめき上がっている。湖景ちゃんの決断が、日増しに速くなっているのだ。

「きょうは主翼の製作にとりかかります」

 そう宣言した湖景ちゃんの声が、心なしかはずんでいる。僕もうれしい。いよいよ飛行機の形になるんだ、という実感が沸いてくる。

「わかっていると思うけど、まさに人の命を運ぶ部品よ。少し大きくて扱いにくいけど傷や狂いは許されないから、作業は焦らず慎重を第一にしてください」

 名香野先輩の現場監督ぶりも、板についてきた。

 僕たちが作ろうとしている飛行機はウルトラライトプレーンというだけあって小型だが、それでも設計図によれば両翼合わせた長さは十メートル近くある。主翼は操縦席の上にさし渡しす構造で、輸送時には取り外しができる構造だ。さて、どこから手をつけようか。

「平山君、まずはスパーの位置にリブを固定していきましょう」

「ええっと……なんです?」

 いきなり専門用語が出てきた。

「平山先輩、スパーというのはこの長い棒のことです」

 湖景ちゃんは、十メートル近い棒を指した。全部品の中で、一番でかい。これを胴体の上に左右に渡して、翼全体を支えるわけだから、重いのも無理はない。

「リブとは、この流線型の部品……主翼の骨組みですね。中が空洞になっていますが、工学上、強度を保った上で軽くする工夫が凝らされています」

 なるほど、主翼の骨か。これなら模型の飛行機とかでも見たこともある。確かにスケールがでかいだけで、模型も実物も構造には大きな違いはないわけだ。しかし湖景ちゃんもすらすらと言葉が出てくる。本と首引きで格闘していた時間は、会長の言った通り無駄にならなかったようだ。

「平山君はマニュアルの順番に沿って、まずはリブの固定からかかってね。じゃあ、作業開始」

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 姉妹が図面を見ながら手を動かす作業が板についてきた。僕は体力仕事でサポートが必要になりそうな、湖景ちゃんの近くにつく。重い部品を一緒に支えたり、ビスで止めたりする作業を手伝った。

 小一時間も経つと、格納庫内の蒸し暑さがこたえるようになる。それでも名香野先輩と湖景ちゃんは、時折ペットボトルのお茶を口にしながら、休まずに黙々と作業を続けている。

「とりあえず三番目まで組みあがりましたね。平山先輩、スパーとリブの番号が正しいか、もう一度確認してください」

「了解したよ」

「……ふう」

 しゃがんでいた湖景ちゃんが立ち上がると、いきなりバランスを崩したようになった。あわてて手を差し伸べて支えてやる。

「こ、湖景ちゃん、大丈夫か?」

 その声に、名香野先輩が「湖景っ」と叫びながら飛んできた。

「ちょっと平山君、湖景にどんな作業をさせたのよ!」

「いや、作業をさせたんじゃなくて、立ち上がった時に……」

「ごめんなさい、姉さん、平山先輩。ちょっと立ちくらみがしただけです。急に立ち上がると、よくありませんね」

「でも……」

「姉さん、大丈夫ですから。ちょっと座らせてください」

 湖景ちゃんを両脇で支えながら、ゆっくりと尻もちをつかせて座らせる。湖景ちゃんは少し額に手を当てていたが、すぐに笑顔を作った。

「ごめんなさい……私、足手まといみたいですね」

「そんなことはないよ。湖景ちゃんが勉強してくれたから、作業がはかどっているんだ」

「そうよ、湖景。ただあなたは少し力が入りすぎているわ。休みながら作業をしなさい」

「でも、知識だけじゃ飛行機は飛ばないんです……」

 湖景ちゃんの声が小さくなった。そんなことを気にしていたのか。

「僕と名香野先輩だけじゃ知識も理解も足りないよ。湖景ちゃんの知識を下に、名香野先輩が作業を教え、僕が力仕事を手伝う。誰か一人が欠けても飛行機はできない。みんなで飛行機を作るんだ」

「……はい、そうですね」

 湖景ちゃんの表情に、少し明るさが戻った。

「それに朋夏がいなきゃ、飛行機は飛ばせない。教官のアドバイスがなければ、何もできない。あと会長の……会長の……なんだろう?」

 それを聞いて、二人が吹き出した。

「古賀さん、ね。まあ、あの人がいなかったら、今頃こんな面倒なことはしていなかったわ」

「そうですよ、それに事務作業とか、がんばってくれてるじゃないですか」

「そうだといいんだけど。全然姿見せないし、見せたと思ったらだべって邪魔するし……何してるんだろ、ふだん」

「ソラくん、私がどうしたって?」

「ぎゃっ!」

 突然、脇の下から会長の頭がにゅっと出たのは、マジにびびった。

「い……いつのまに、会長!」

「きょうはずっと出番をうかがっていたんだよー」

「あと女性なんだから変なところから登場しないでください!」

「あれソラくん、意識しているの? 男の子だねー」

 こほん、と名香野先輩が咳払いをした。

「だからお二人さん、夫婦漫才は他でやってくれません?」

「そうですよ……早く、作業に戻りましょう」

 湖景ちゃんは気丈に立ち上がったが、委員長がそれを制した。

「湖景、きょうの作業はここまでにしましょう。後片づけは私と平山君がやるわ」

「でも主翼ができるまでもう少しですし、私だけが……」

「コカゲちゃん、休むのも立派な仕事だよー」

 ようやく会長が、脇の下から頭を引っ込めた。

「体力はね、人によって限界に違いがあるの。ない人が先に休んで英気を養い、ある人はない人をサポートして、明日の作業にバトンタッチする。これは不公平でもなんでもなくて、みんなで一つの仕事を成し遂げようとする時に、そういう作業の分担は大事な考えのひとつなんだよー」

 どこまで真面目なのかよくわからないが、こういう時の会長は妙に説得力がある。

「はーい、じゃあきょうの機体の作業はおしまーい。ソラくん、一人で片づけがんばってね?」

「あれ? 名香野先輩と会長は?」

「ヒナちゃんはコカゲちゃんの付き添い。私は体力ないしー。ここは男の子がビシっと『僕がやります』って言う場面じゃないかなー」

「ウソつけ。ハーフマラソン大会やスキー合宿で運動しまくってたのは誰ですか」

「平山君、そのハーフマラソン大会とかスキー合宿って、何のことかしら」

「う……」

 しまった。名香野先輩には内緒だった。

 会長が「はいはい、気にしない気にしない」と言いながら名香野先輩と湖景ちゃんの背中を押し、こちらを振り向いてウインクした。失敗をフォローしてあげるからソラくん一人で片づけろ、ですね。サボリと仕事の押し付けの勘所を押さえたとっさの対応術は、見事というほかなかった。