二次創作小説「水平線の、その先へ」

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11章 眠りが覚めた 栄光の(4)

 7月26日(火) 南の風 風力3 晴れ

 夏の暑さに朝から目が覚めてしまったので、とりあえず格納庫に出かけた。一番乗りと確信していたら、格納庫の前に意外な先客がいた。

「花見……」

「やあ」

 花見の笑顔は、いつものように邪気がない。だから内心、僕たちにどんな思いを持っているのかがわからない。ただ昨日、花見が部長をやめたと聞かされて、僕はかなり動揺してしまった。笑顔に隠した本人のショックがどの程度のものか、僕には想像がつかない。

「大会用の飛行機の目処がついたと古賀さんから連絡があってね。興味があって見に来たんだ」

「会長から……そうか、じゃあすぐに格納庫を開けるよ」

 夏休みの前に全員分作った合鍵を使い、僕は格納庫の扉を開いた。

 格納庫の中がたちまち眠りから覚める。夏の日中は太陽がすぐに高くなるので、窓から日は長くは差しこまない。そのため昼間は格納庫内と外の明暗のコントラストが激しい。だが今はまだ朝の柔らかな光が格納庫内を包み、真っ白な機体をほんのりと浮かび上がらせている。

「これは……まさか?」

 花見がそう呟いて、機体に近づいた。そして機体の周りを歩きながら、たっぷりと時間をかけてチェックをしていた。

「研ぎすまされたフロント……涙滴型のボディ……この角度……なるほど」

 ひとしきり独り言を言った後、最後に僕のところに戻ってきた。

「驚いた。幻のUU2020、この機体が残っていたなんて」

 えーと。何がですか?

「こいつはカナード、つまり先尾翼機だ。カナードは鴨って意味だね。カモの飛んでいる姿に似ているから。戦闘機とかではあるけど、レジャー用の滑空機ではまず見ない機体だよ。ああ、世界最初の飛行機ライトフライヤーは先尾翼だったけどね」

「確かに変わった型だとは思うけど……」

 白鳥の次はカモか。昔、日本が戦争で使った飛行機にそんなのがあったように記憶している。僕のプラモデルの知識では、それが限界だ。

「でも、なぜ尾翼を前にする必要があるんだ?」

「例えば重量バランスがとりやすい。普通の飛行機は主翼とエンジン、操縦席が前についているだろ? すると前に重量が偏ってしまう」

 確かに、僕たちの改造した機体は、前が重くなってから調整に苦労した。

「この先尾翼機は操縦席が前、エンジンと主翼が後ろについているから、バランスの心配が少ない。機体が無駄の少ないデザインになるんだ」

「それなら、みんな先尾翼機になりそうなもんじゃないか」

 花見は苦笑した。

「無論、大きな欠点がある。主要な揚力を生む主翼が空気の流れを十分に受けるには、前に余計な障害物がない方がいいに決まっている。ところが先尾翼主翼の前に空気の渦を作る。一般に低速になるほど安定性を欠くな。戦闘機みたいに飛行速度が速く、空中戦で小回りを生かしたいなら有利だけどね」

 しかし低速の軽量機では致命的ではないだろうか。

「それを克服するのが機体のデザインだ。この機体は、先尾翼による不安定性のロスを最大限に減らすよう、独特の思想で設計されている。風洞試験をしないと断定できないけど、低速でもかなり安定性があると思う」

「その通りだ、花見」

 僕らが振り向くと、いつのまにか教官が来ていた。その後ろに湖景ちゃんや会長、名香野先輩、朋夏の姿も見えた。教官は苦笑いをしていた。たぶん機体について、言いたいことをすべて言われてしまったのだろう。

「しかし……」

 花見が、教官にまっすぐに向き直った。

「この機体を大会で使うのは、僕は賛成しません」

 これには、宇宙科学会の全員が驚いた。教官は、面白そうに笑っている。

「理由を言ってみろ、花見」

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「この機体はもっと上のレベルの競技会で使うべきです。恐らく、それだけのポテンシャルがある。LMG大会は飛距離を競うといっても、あくまで純電気飛行の大会ですし、バッテリーの駆動時間はせいぜい三分。しかも最後は海に着水ですから、機体が再利用できない」

 使い捨てるにはもったいない、というのが花見の言い分のようだ。

「機体を高く評価してもらったことには礼を言おう」

 教官が語り始めた。

「だがこの機体はほぼ二十年間、使う機会がなかった。これからも本当に使う機会が来るかもわからない。それならば使える間に一度、こいつを大空を飛ばしてやりたい。それが俺の望みだ」

「だからといって、ここで終わる機体でもないはずです。この機体の設計思想を生かすような高度な大会なら他にもあるでしょう? 例えば全日本フライヤーズ選手権とか……」

 何のことかと思っていたら会長が「モグラで飛距離を競う大会だよ。アマチュアの距離競技としては国内最高峰だね」と耳打ちをしてくれた。

「それを……こんな大会で潰してしまうなんて」

「こんな大会だと?」

 教官の眉が珍しく吊り上がった。

「花見、思い上がるな。挑戦するという行為に貴賎の別はないぞ」

「挑戦に異論はありません。それなら僕がこの機体で別の大会に……」

「勘違いするな。予選会に勝ったのは宇宙科学会だ」

 花見は、黙って唇をかんだ。はらはらしたが、僕らは口を挟めない。

「この機体も部品の自然劣化が進んでいる。これ以上は待てん。そして今、飛行機がどうしても必要な連中がいる。まさに機が熟したと言うべきではなかろうか」

「……確かに勝ったのは宇宙科学会です。そして僕は航空部をやめました」

「だから勘違いするな、花見」

 花見が落とした両肩を、教官がたたいた。

「いいか、俺はこいつを飛ばしたい。一方で大会までの時間は、あまりに少ない。ここに飛行機はあるが、相当にクセのある機体だ。飛行機に素人のこいつらだけでは、プラットホームに乗せることもままならんだろう」

 教官の言わんとすることがわかって、僕たちは息を呑んだ。

「今度はお前がこの機体を整備してくれないか。この機体から学ぶことがあるなら、学んで欲しい。そして大会が終わったら、お前の力で新しい飛行機を作れ。そうすればこいつは立派に役目を果たせたことになる……もともと二十年前に一度死んだ機体だからな」

 教官は自分の夢を花見に託そうとしている。

 花見の顔に逡巡する色が浮かぶと、こういう場面で最強の人が、ここぞとばかりに前に出た。

「ハナくん、興味あるんでしょ? なら思い切って首突っ込んで、後悔はその後ですればいいと思うよー」

 と、花見の横に猫のようにすり寄った。そういえば、きょう花見を格納庫に来るように仕向けたのは会長だった。

「なんか会長が後悔って台詞を言うと、妙に説得力がありますね」

「ホント。古賀さんが言うと、ぴったりだわ」

 僕と名香野先輩がえらく感心していると、「二人とも、それはどういう意味なのかなー? ちょーっと気になるから、後でゆっくり話を聞かせてくれる?」と会長にらまれてしまい、僕と先輩は舌を出した。

「しかし、航空部をやめたからといってすぐにというわけには……君たちのライバルとなって廃部の瀬戸際に追い込んだのは、僕たちなんだし」

「なんだ、そんなことを気にしているのか」

 花見には悪いが、笑ってしまった。

「花見だって僕たちを航空部に誘っただろう? 負けたらすぐに来いって。あの勧誘はウソだったのか?」

「……確かに。そうだった」

「朋夏はどうなんだ? 一番のライバルであるうちのパイロットに、意見を聞いてみよう」

 僕には、朋夏が反対するはずはない、という確信がある。

「もちろん大歓迎だよ! パイロットのコツとか心構えとか調整法とか、いろいろ花見君に聞いてみたい!」

 朋夏は予想通り、一も二もなく賛意を示した。

「異存はないわ、花見君。そろそろ私も楽をしたいし」

 名香野先輩が珍しく軽口をたたく。中央執行委員長だった時には、決して言わなかった台詞だろう。

「あっ……あの!」

 急に大きな声を出した湖景ちゃんを、みんなが見つめる。

「あ……すみません」

 そのまま顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。

「もしかして、湖景ちゃんは反対?」

「いえ、とんでもない!私も大賛成です。花見先輩には色々と教えて欲しいですし、人が増えたらにぎやかになって、その、楽しそう、というか……」

 そうか、湖景ちゃんはもっとたくさん友達が欲しいんだ。それも純粋で、立派な理由だろう。

「はい、ハナくんを除いて全員賛成。五対一だけど、どう?」

 会長のとどめの一言に、花見は陥落した。

「……わかりました、教官。僕にこの機体を触らせてください」

「それは俺ではなく、名香野や平山に頼むことではないのか?」

 花見は僕らの方を向き直った。

「花見君がいてくれると、機体担当としては心強いわね」

「僕は飛行機は素人だから。花見に存分にやって欲しい」

「花見先輩が機体の面倒を見てくれるなら、心強いです……私もソフトの作業に、専念できますし」

「私はにぎやかになるのは大歓迎だよー」

「花見君、よろしく! いろいろ教えてね!」

「……わかった。確かに僕も君たちと飛行機の活動がしてみたいと思っていたところだ。この飛行機に出会えたのも何かの縁かもしれない」

 よろしくと言って、花見が握手の腕を差し出した。僕はその手を握りながら、みんなの手をその上に乗せてやった。

「じゃあ、新生宇宙科学会。この六人とこの機体で本大会をめざすぞ」

「おーっ!」

 こうして僕たちに、素晴らしく頼もしい仲間が加わった。