二次創作小説「水平線の、その先へ」

当ブログは二次創作小説(原作:水平線まで何マイル?)を掲載しています。最初から読みたい方は1章をクリックしてください。

15章 折れた翼が 痛んでも(4)

 夏の夕陽は、昼と変わらぬ炎の影をグラウンドに落とす。国道から旧校門へと向かう坂に最初に現れたのは、予想通り朋夏だ。運動部で鍛えていたはずの花見に、影も踏ませない走りだろう。朋夏が旧校門を抜けたところで、花見の姿が見えた。朋夏はグラウンドを一周して、僕の前でゴールした。

「お疲れ、きょうのメニューは終了だな」

「うん。体力も戻ってきたし、調子は上々。これなら優勝もいけるかも」

「……ああ、そうだな」

「何よ、その気を遣ってますって感じ見え見えのヤな言い方。素直に突っ込んでよ。お前がちゃんと飛べたらな、てさ」

 朋夏は冗談めかして言ったが、すぐに声が小さくなった。

「ごめんね。シミュレーター、あたしがうまくやれなくて」

「なんだよ、急に。飛行訓練はうまくいってるんだろ?」

「うん……でも、このままってわけにはいかないし。せっかく湖景ちゃんも名香野先輩も、またやる気になったのにさ。あたしがうまくいかないばっかりに、会長にも怒られちゃうし、みんなの雰囲気が悪くなっているんだ」

f:id:saratogacv-3:20210426001120j:plain

 朋夏は周囲に八つ当たりに近い行動もとっていたが、こうして一人になると、責任を一身に背負い込もうとしているのがわかった。前にもあったけど、運動部の連帯責任感覚というのは意外に厄介なものだ。

「……空太だって内心、あたしのことをダメな奴だと思っているよね」

 朋夏のマイナス思考は珍しい。相当、精神的に参っている証拠だ。

「そんなわけがないだろう?」

 朋夏は何も喋らない。だが落ち込んでいる小さな肩をぽんぽんとたたいてやると、すぐに笑顔を取り戻した。

「ありがと、空太……でもね、あたしが本当に心配なのは、あたしのことじゃないんだ」

「え?」

 朋夏が、水平線に近づきつつある太陽を眺めやる。

「会長が変だよね? あんな会長、今まで一度も見たことがなかった」

 それは僕も同感だ。

「きのう会長と朋夏は、花火で楽しそうに遊んでたよな。朋夏に特別含むところがあるわけじゃないようには見えたけどな」

「ううん。やっぱり変だったよ」

 朋夏は長くなり始めた自分の影を、所在なげに踏みしめる。

「なんていうか……会長のはしゃぎ方が、今までと違うんだよね。妙に子供っぽい、ていうかさ。あれって寂しがっているんじゃないかと思う」

 僕は驚いた。名香野先輩も同じことを指摘していた。

「あと、何かを忘れたいんだと思うんだ。だから、あんなはしゃぎ方をしたんじゃないかって」

 会長に関しては、思いあたる節は何もない。会長は自分のことを、ほとんど話さない。

 名香野先輩以上のスーパーウーマンである会長の悩みなど、僕には想像がつかない。ただ朋夏と会長が衝突したことを、少なくとも朋夏の方は気にしている様子がないことには安心した。

「会長が大会の優勝にすごくこだわっているのは事実だな」

「でも花見君が加わったのはプラスだけど、もともと素人同然の学会だよ? しかも宇宙科学会を潰したくないっていう不純な動機で始まった挑戦。それが全国大会でしょ。あたしだって飛ぶ以上は負けたくないけど、冷静に考えれば航空部を破って出場するだけで快挙のはずなんだよね」

 朋夏の話が、少し引っかかる。確かに最初の動機は宇宙科学会の存続だ。しかしLMG大会の話を宇宙科学会に持ち込んだのは会長だ。学会を存続させるという理由は後付けだった可能性もある。

 僕は頭を軽く振った。自分の心に芽生えた疑念を振り払いたかったからだ。会長は策士だが、大会そのものが最初から会長の計算だったとは、さすがに思いたくない。それなら僕たちは何のために協力しているのか。

 僕はわざと話題を変えた。

「朋夏がそんな風に会長に気を遣ってるとは意外だったな」

「何よ。あたしが冷たい人間って言いたいわけ?」

「いや……ただ、朋夏もパイロットの交代とか言われたら、心中穏やかじゃないだろ?」

「それでもあたしには代わりがいるから……ううん、花見君にも負けたくないっていうのは本当だよ? 相手がどんなにすごい人だって、あたしが戦う以上は負けたくない」

 朋夏の瞳に闘志の炎が輝きだす。

「ただね、あたしはチームが勝つためだったら最善の選択をすべきだと思う。あたしは限界までがんばるけど、あたしを代えるのがチームのためなら、あきらめる。あたしからすれば、飛行機はまだ異種格闘戦みたいなものだもん。それに今回はプロが仲間にいるからね」

 朋夏は根っからのアスリートだが、同時に勝負師でもある。イチかバチかの一発勝負に強いだけでなく、引き際も知っているのが朋夏の強さなのだ。

 グラウンドを周回する花見の後姿が、いったん遠ざかる。元体操選手の朋夏とは鍛え方が違うが、華奢に見えても走り姿がぶれないのはさすがだ。

「そういえば業界の有名人だったんだよな」

「花見君? 航空雑誌の表紙を飾るくらいだもん。超有名人って奴だよ」

 朋夏が花見を眺めやる。その背景で波がきらきらと夕陽に輝き、走る姿までもがまぶしく見える。

「でも、こうして仲間になってみると普通の男の子だよ。よく笑うし、よく走るし、よく食べるし」

 よく走ってよく食べるのが普通の子、という判定基準が朋夏らしい。

「花見は、ただ飛行機に触れていたいだけなんだろうなあ。案外アイドル扱いに辟易していたのかも」

「それ、わかんなくもないかな」

 朋夏もほんの一時期ではあるが、五輪代表候補の合宿に呼ばれた時にはマスコミに結構騒がれていた。花見の気持ちも、それでわかるのだろう。

 夢を思い描くのは単純なことだ。もっと速く走りたい、もっと高く飛びたい。始まりはいつだって純粋なのに、純粋さだけで前に進むのは難しい。僕たちが挑もうとしているLMG大会だって、背後には企業の思惑とか販売計画とか、たくさんの都合が絡み合っているはずだ。 

「大会で僕たちが飛距離を出したら、それが会社の広告とかに利用されるわけだよな。それって何か複雑な気がする」

「それ言ったらスポンサー冠のスポーツ大会なんて、みんな同じだよ。大事なのはアスリートの気持ち。目標を目指す気持ちは、いつだって純粋なんだ」

 朋夏はいつもと同じ、あっけらかんとした表情だった。

「純粋な気持ちだから花見君も名香野先輩姉妹も、あたしたちも会長に協力したんだ……ううん、協力というより協働と言ったほうがいいかもね」

 純粋。協働。朋夏の笑顔に、何かが引っかかる。

 不意に前からの疑問が、再び頭に瞬いた。

 なぜ五月までぐうたなら活動をしていた宇宙科学会に、この学校で飛行機を飛ばすために欠くべからざる人材が集まってきたのか。

 会長は以前、こんな話をしていた。

「最初のLMGがしっかり成果を上げられるかが今後、この業界でリードするための重要なポイントになる」

 世界初のLMG大会。そのスポンサーである中島航空工業の親会社は、会長の父親の企業である。

 僕はLMG大会に参加することに、いささかの迷いもない。それが会長の思惑に乗ったとしても、僕の知らないところでどんな思惑があったとしてもだ。

 朋夏の言ったように、この時代にすべてが純粋な動機であるスポーツ大会など存在しない。ただ僕たちは会長の夢に乗ったと信じて、ここまで来たのも事実だ。

 その会長に、教官を呼んだ理由を尋ねたら「詮索するな」と言う。そして会長がおかしくなったのは、あの後からではないか。

「空……太?」

 急に押し黙った僕を、朋夏が不思議そうに見つめていた。

 この日は疲れていたにもかかわらず、夜の作業を終えてベッドに入っても、しばらく眠れそうになかった。

 花見の寝息が規則正しいリズムを刻んでいる。僕は一向に眠気が訪れない頭で、もう一度整理して考えてみる。

 宇宙科学会を立ち上げたのは、もちろん会長だ。会長は最初の部員として去年の四月、僕を勧誘した。

 その後、体操部をやめた朋夏が、僕を頼って七月に転がり込んできた。僕たちは三人で海水浴をし、ハーフマラソン合宿をし、スキー合宿をした。あの頃は飛行機のひの字も出なかった。

 そして新年度に入り、一年生が入学した。会長はその頃、よく部室の窓に両ひじをついて、中庭の満開の桜を見下ろしていた。

 そういえば朋夏が一度、部室で漫画を読みながら「会長、誰か新人を勧誘しなくていいんですかあ?」と、気だるそうに聞いたことがあった。会長は桜を見下ろしたまま「適度にやる気があって、適度にやる気がない子がいたら勧誘してもいいよー」という、至極いい加減な回答をした。

 朋夏の反応は「それもそうですねー」という、これまたやる気のないものだった。下手にやる気がある生徒が入ってきて、真面目な部になるのもかったるい、という気持ちは、当時の僕と朋夏に共通していた。

 ところが四月の終わりになって、会長は突然、湖景ちゃんを部室に連れてきた。湖景ちゃんは引っ込み思案で、最初の一週間は僕との会話はおろか目を合わせることさえしなかった。

 しかし朋夏とはすぐに親しくなった。荒れ放題だった部室の机を整理してその一角にミニコンを構え、部内の居場所を自分で確保していった。そして部室でのたわいないおしゃべりや、深夜の焼き肉パーティーを、一緒になって楽しんでいた。

 六月になって飛行機作りが始まり、最初に教官が加わった。続いて湖景ちゃんの双子の姉と判明した名香野先輩。そして花見だ。

 その全員の入部を最後に説得したのは、会長だった。

 つまり今いるメンバーの中で、会長から直接の勧誘を受けていないのは、朋夏一人だ。その会長が、朋夏を降ろすと言う。