9章 想いは一つの 羽となり(1)
7月21日(木) 北西の風 風力1 晴れ
夏休みの初日は、かつてなく重い気分を抱えて、迎える羽目になった。
朝、九時に格納庫に着くと、すでに名香野先輩がいた。きょうはすこぶる機嫌が悪い。何かにいらつき、独り言を言ったり、せわしなく歩き回ったり、頭を抱えて座り込んだりしている。仕事を手伝おうとして声をかけても、「邪魔しないで」とにらまれるだけで、取り付くしまがない。
まもなく湖景ちゃん、朋夏の順に格納庫に顔を出した。二人とも、名香野先輩の様子がただならぬことに気づき、声をかけられないでいる。代わりに、きのう完成したシミュレーターの調整をすることにしたようだ。まるで名香野先輩がいないかのように二人で言葉を交わしているが、湖景ちゃんは機体の方をちらちらと見ながら作業をしている。やはり、姉さんのことが気になってしょうがないようだ。
僕は朋夏のシミュレーターの様子を少し見ていたが、朋夏はペダルや操縦桿の感触は悪くないと、僕の仕事をほめてくれた。後はシミュレーションプログラムのテストだが、それでは僕に出番がない。しかたなく格納庫を離れ、グラウンドの芝に寝転がり、時折様子を見に行くことにした。
きょうも暑い。時折吹き付ける海風が、わずかに涼を運んでくる。先月の初めに会長が、夏になったら海に行こうと言っていた。今はとても、海水浴という気分にはなれない。太陽が半分を過ぎて、昼の弁当も食べてしまい、食後のペットボトルの麦茶を飲んでいると、ふらりと会長が姿を現した。
「ソラくん。いいところにいたねー」
満面の笑みで近づいてくる。僕の危機感知センサーが、緊急点滅した。
「みんなお仕事しているのに、ひとりだけこんなところで、何をやっているのかなー?」
会長にそう指摘されるのは釈然としないものがあったが、正直に答えた。
「フライ・バイ・ラジオの件なんですが、どうしても不具合が直らなくて。作業が止まっているんです」
すでに午後を過ぎているのに、いまだに誤作動の原因は、判明していない。理由がわからないままでは対処の仕様がなく、ただでさえ少ない時間が、さらに削り取られていく。予選会は、二日後の土曜日だ。
「ふうん。そうなんだ」
そういえば会長はここ二日ほど、姿を見ない時間が長かったが、何をしていたのだろう。
「それで?」
「いえ……ですから、名香野先輩が原因の究明をしている最中で」
会長の表情が、少し厳しくなった。
「そうじゃなくて。なぜ手伝ってあげないの」
「手伝いたいのは山々なんですが……先輩が、一人のほうが集中できるって言うので」
きょうだけで、もう何度手伝わせて欲しい、と頼んだことか。その都度すげなく袖にされ、データの提供さえも断られては、僕には原因のアイデアの出しようもない。
「そういうの、ヒナちゃんらしいけどね」
「システム発案者のプライド、という程度ならいいのですが。名香野先輩もいろいろありましたし、少し意地になっているのではないかと」
「なるほど……つまりソラくんは、大切な責任を果たしていないわけだ」
なぜか、まるで僕が悪いかのような物言いをされた。
「僕だって、不具合の原因を突き止めようと考えていますよ。このまま朋夏と白鳥を飛ばすわけにはいかないでしょう?」
「そうじゃなくって。ヒナちゃんのメンタルケアが、なってないなーって話」
「……は?」
僕はきょとんとした。
「この前言ったでしょ、ヒナちゃんは今後のソラくんのサポートに期待って。忘れちゃったの?」
これは、何か別の方法を考えろ、と言外に言っているのだ。会長の意図はかなり読めるようになったが、かといってよい方策も浮かばない。
「ヒナちゃんを押してもダメなら、引くしかないんじゃないかな」
「そうですね……もう午後ですし、まずは作業を休むように伝えてみます」
果たして素直に聞いてくれるだろうか、と不安を抱えたまま、僕はすっかり重くなった腰を上げて、格納庫に向かった。