二次創作小説「水平線の、その先へ」

当ブログは二次創作小説(原作:水平線まで何マイル?)を掲載しています。最初から読みたい方は1章をクリックしてください。

5章 僕らは前に 進み出す(7)

          7

 

 6月26日(日) 北の風 風力3 雷雨

 六月最後の日曜日は梅雨前線が勢いを盛り返して、あいにくの雨となった。太平洋高気圧と大陸からの冷気の押し合いが激しくなった証拠で、こうなると梅雨明けが近い。せっかく朋夏が順調に初飛行をしたのに、きょう飛べないのは、スケジュール消化の面では痛手だ。旧校舎での作業は屋内なので問題はないが、バスに乗った上に、傘をさしながら旧校舎までの坂を登るのは、結構しんどかった。

 それでもあの青空を駈ける飛行機の製作にかかわれると思うと、自然に心がはずむ。主翼が完成に近づき、ようやく飛行機らしくなってきただけに、なおさらだ。到着して「がんばるぞー」と気合を入れると、「うん、がんばろう!」という、いつも格納庫では聞こえない元気な声が返ってきた。

「なんで、朋夏が格納庫にいるんだ? きょうのトレーニングはどうした?」

「だって、雨だしさ」

「雨だって、外で走ったりできるだろ。ここはただでさえ狭いんだぞ」

「それで夏風邪引いて体調崩して、大会オツってもいい?」

「……空いてるところで、やってください」

 湖景ちゃんが「おはようございます」と、元気にあいさつをしてくれた。すでに作業服に着替え、部品のチェックを始めている。名香野先輩は僕の数分後に到着したが、鏡を見て頭がバクハツしていることに気づいて、洗面所に直行してしまった。

 会長は意外にも先に到着していて、余った木箱を机代わりに、携帯を覗きこんでいた。多分、大会要綱などを確認する事務作業だろう。ご苦労様です。時々、ミサイルの発射音と爆発音、ゲームオーバーですって感じの電子音が聞こえたりするが、気にしないことにする。

 朋夏は教官と携帯で話して、とりあえず自主トレとなった。湖景ちゃんのチェックを手伝おうかとも思ったが、特に手伝える作業もないので、名香野先輩が戻って作業が始まるまで、待つことにする。朋夏はというと、スパーが入っていた長い木箱を見つけると、格納庫の開いたスペースに並べて、「よっと」と声を出して飛び乗った。

「なにやってるんだ?」

平均台。軽い機体だと、パイロットのバランス感覚も結構大事なみたいなんだよねー」

 朋夏はただ歩くのではなく、本物の体操選手のように両手を広げ、足を一歩ずつ前に送っている。その姿勢がまったく崩れない。よく見ると、朋夏は目を瞑って歩いていた。元五輪候補の称号は、伊達ではない。

「空太もやってみたら?」

 全部渡り終わった朋夏に促されて、僕も木箱に乗ってみた。普通の平均台より幅はあるが、木箱だけに多少不安定で、揺れが足にモロに伝わってくる。数歩歩いてみたが、耐え切れなくなってあっさり落ちた。

f:id:saratogacv-3:20210103220500j:plain

「空太は慣れてないからね。平均台は、やればやるほどうまくなるんだよ? ま、苦労しない平坦な人生ばかり歩んできたんだから、平衡感覚がついてないかもねー」

 微妙にうまいことを言う。

「欲を言えば、もう少し高い平均台のほうが面白いんだけどなー」

「却下。パイロットがこの時期に落ちてけがをされても困るしな。逆に落ちないんだったら、高くても低くても関係ないだろ?」

「それもそうか! あはははは」

 朋夏は屈託なく笑った。

「あたしは体操やっていた時に、さんざん練習したからねー」

「最初からできたのか?」

「きょうの空太よりはましだったけど、最初の頃は全然だったよ。やっぱり先輩たちに差を見せつけられたね」

 運動万能に見える朋夏でも、そんなものだったか。

「でも徹底的に鍛えたからねー」

 そしてひょいと木箱に乗って、上体を右にそらして勢いをつけると、きれいで大きな側転を決めた。すらりと伸びた足が、空間に円を描く。ゆっくりのびのびした側転を、連続で披露した。朋夏が入った見えない車輪が、木箱の上を回転しているようにも見える。いい演技の証拠、って奴だろうか。

 朋夏の楽しそうな表情を見て、体操を嫌いになったわけじゃないんだ、と気づいた。それなら、なぜ体操を捨てたのだろう。だが、朋夏は一度もその話をしたことがないし、それなら僕から聞くことではない。朋夏が自分から話す気になった時、きちんと聞いてやればいい。

 朋夏が木箱の端まで側転を決めてポーズを決めると、僕と湖景ちゃんが思わず拍手をした。それが鳴り終わったころ、ようやく髪を整えた名香野先輩が現れて、

「三人とも、満足したかしら? それじゃ、シャキシャキ作業を進めるわよ」

 と、高らかに宣言した。そこで

「そーそー、みんなそろそろ集中して作業するといいよー」

 と追随したのは、この中で最も集中力と勤勉さに無縁そうな人だ。

 全員が格納庫に集まっているため人口密度が高く、中は蒸し暑さを増していた。昨日の作業で、主翼の作業は最終段階を迎えつつある。湖景ちゃんが引き続き部品のチェックから進めていったので、名香野先輩に声をかけた。

「先輩、手伝います」

「そう? じゃあ、お願いするわ」

 名香野先輩はちらりと湖景ちゃんの方を見てから、二つ返事で了解してくれた。

 名香野先輩は、主翼の工程は完全に頭に入っているらしく、説明書を見ないまま、鮮やかな手さばきで工程を消化していった。

 僕は先輩の指示で、時折スパーを支えるなど、あまり考える必要がない作業に終始している。指揮権を名香野先輩が握っている以上、余計なことをしても迷惑をかけるだけだ。僕は自分ができる範囲で、仕事をサポートすればいい。

「……」

 時々先輩の腕が止まるな、と思うと、湖景ちゃんの作業を見ている。湖景ちゃんが、スパーとリブを交互に見ながら、戸惑った表情を浮かべていた。

「大丈夫なの? 湖景」

「あ、姉さん。ここが固くてうまく入らなくて……」

「先輩、いったん下ろしましょう。僕が……」

「平山君、ちょっとここを支えていて」

 名香野先輩はいきなり手を離して、僕に右翼のスパーの支えを任せて行ってしまった。

「駄目よ、湖景。無理に押し込もうとしたら。スパーが片手で支えられないから、曲がっているんだわ。平山君、こっちを持って……あれ、平山君?」

「ぼ、僕は右側を支えているんですよ…お、重い」

 名香野先輩は僕に何を命令したのか、もう忘れているようだった。

「ご……ごめんなさい!ちょっと待って、今固定しちゃうから!」

 名香野先輩は作業の段取りは飲み込めているようだが、湖景ちゃんが気になって気になって仕方がないらしい。

「ほかに何か手伝えることはある、湖景?」

「いいえ、コツはわかったので、今のところは大丈夫です」

「そう、困ったことがあったら遠慮なく言うのよ」

「はい、ありがとうございます」

 この二人のやりとりは、何かほほえましいというか、初々しいというか。

「名香野先輩って噂で聞いていたより、ずっと面倒見のいい人だよな」と僕が漏らすと、

「そだね。委員長みたいな人、あたし好きだなー」と、朋夏がうなずいた。

 昼までに翼の骨格を組み終わった。午後の作業で骨格の上から強化プラスチックシートを丁寧に張り終わると、主翼がほぼ完成した。エンジン部分がついていないが、ようやく飛行機が形になったという実感がわく。

「すごい! なんというか……まるで飛びそうな形ですね!」

 はしゃぐ朋夏に、名香野先輩が冷たい視線を注いだ。

「……そのために作業をしているんだけど」

「飛ばなかったら、朋夏が大けがをするんだぞ」

「飛ばしてください、オス!」

 やっと気づいたのか。

「大丈夫よ。安全には最大限配慮して作っているから」

 名香野先輩の声が、真剣だ。人一倍ある責任感で、丁寧に作業をしてくれたのだろう。

「よろしくお願いします、名香野先輩!」

「わかりました、宮前さん。大船に乗ったつもりでいてちょうだい」

 名香野先輩が胸を張った。船じゃなくて飛行機だぞって、突っ込みたくなったが控えた。

「ところで、パイロットの訓練の方はどう?」

「あたしの訓練は順調であります。ただ操縦の方はまだまだで……」

「朋夏は土日に滑空場で操縦の訓練もしています。ただ訓練機とは計器も性能も違うので、実際の操作となると、やはり機体ができるのを待つしかないと思いますが」

「確かに、似た機体だけでLMGを操縦するのは限界があるわね……」

「でも計器や操縦はずっと単純なはずだ、と教官も言っていました」

 名香野先輩がますます責任を感じそうなので、フォローをした。エンジン系の機器は間違いなく減るし、バッテリー系の操作も事実上、飛行機が高度を確保するまでの間だから、それほど考えなくてもいいはずだ。

「時間不足を言い始めたら、初めから全体のスケジュールに無理があるんです。訓練と平行して機体に完成の見通しがついたことだけでも、大きな前進ですよ」

「わかったわ。こちらもなるべく急いでみる。もちろん、安全面は最優先でね。きょうの作業はこれまでにしましょう」

「よろしくお願いします!」

 朋夏が勢いよく頭を下げ、ポニーテールがぴょこんと逆立った。

「あ、名香野先輩。少しいいですか?」

 僕は昨日の花見の話を、名香野先輩に話した。会長も太鼓判を押していたし、作業の邪魔にならないように、という配慮だったが、

「馬鹿っ。何で早く言わないのよ!」

 と怒られてしまった。

「明日、委員会室に花見君が来るのね? わかりました。そちらは私の方で責任を持って対応します」

 そう話す名香野先輩の顔は、いつもの委員長顔になっていた。

「あいかわらず、ソラくんは気が利かないなー。とっくに話していると思ったよー」

 会長が目の前で、これ見よがしにため息をついてくれた。共犯、という自覚はまったくないのだろうか。