二次創作小説「水平線の、その先へ」

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11章 眠りが覚めた 栄光の(3)

 さっそく機体の性能のチェックから、作業を始めた。僕は先輩の指示通りに機体を動かし、部品を外し、重量を測ったりメモをしたりした。個々の作業にどんな意味があるのか、僕にはすべて理解できるわけではない。ただ時々、名香野先輩がいつぞやのように難しそうな顔をしていた。

 続いて先輩は機体の改造に向けた設計図作りに着手し、湖景ちゃんは画像データと新型飛行機のデータを入れた新しいシミュレーターの開発にかかった。二人は研修センターの一室を占拠した。

 僕は事務作業となると手持ち無沙汰になるので、朋夏のトレーニングに合流することにした。グラウンドに姿がないので砂浜に降りてみると、準備体操をしている朋夏の姿があった。なぜか格好は水着だ。

 「下半身を鍛えるのと気分転換も兼ねて、教官と相談して水泳でトレーニングすることにしたわけ。ただ一人で距離を泳ぐのは危ないから、どうしようかなーって思っていたところ」

 遊んでいたわけでは、なさそうだ。

「じゃあ教官もいないようだし、セコンドを務めてやろう」

 「注意してやっているから平気だよ。でもありがと。うれしい」

  それから朋夏は、準備運動を入念に続けた。昼食をとってから休んでいたので、筋肉が起きるのに時間がかかるという。ふだんはがさつだが、スポーツに関しては自己管理は完璧にできるのが、朋夏という奴だ。

「いきなり筋肉は酷使できないからね。スジ伸ばしたりすると死ぬほど痛いからねー」

「こむら返りと同じくらい痛いのか?」

「甘い甘い。あの三倍は痛いねー。それが治療を受けるまで続くわけ」

「それは……僕には耐えられそうにないな」

「誰でも耐えられるよ」

 朋夏は事もなげに言った。

「だって治療を受けるまで耐えるしかないもん。否応なしにね」

 それは、まさしく拷問という奴だ。

「けがしたことがないから準備運動なんていらないと思うんだよ。人間の体は無理すると壊れるようにできてるんだから」

 運動の話になると、朋夏の言うことはいつも筋が通っている。

「よし、ウォームアップ終了! きょうはのんびり泳ぐから、危なくなったら助けに来てね」

 僕に一回砂をかけると、朋夏は海に向かって駆け出していった。

 セコンドを買って出たとはいえ、朋夏が泳ぎに出てしまうとやることがない。かといって朋夏が万一の時に救助できるのは僕しかいないから、目を離すわけにもいかない。しかたなくデッキチェアに座っていると、予想していた人がやっていた。

「トモちゃん、トレーニングもう始めてるんだ」

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 出たな、遊び大王。会長は涼しげな白い半袖のワンピースを身にまとい、頭にはいつぞや湖景ちゃんがかぶっていたのと同じ麦わら帽子を乗せている。肌は適度に日焼けしているが、これでしゃべらなければ、どこかの令嬢と思われても不思議はない……いや、会長は実際に令嬢なのだが。

「研修室のほう、終わったんですか?」

「まだだよ。でも私は見ているだけだからねー。飽きちゃった」

 これはウソだ。会長はことさら仕事をしていないように見せかけているが、議論にはちゃんと加わって、いろいろと意見をしている。

  朋夏の方は、すでに沖に向かって泳ぎ始めていた。勢いはさほどでもないが、ゆっくりと腕を回転させながら泳いでいく。

「いいフォームだねー。あと、腕の回転の速度が一定だよ」

 会長が評した。確かにグラウンドの長距離走の時と同じように、一定のペースを保って泳いでいる。

 二人で砂浜に腰を下ろし、朋夏の様子を見ていた。何度も浜と沖の間の往復を繰り返しているが、やはりペースは変わらない。そして途中で休憩することもなく、黙々と一時間ほど泳ぎ続けた。

 急に、寂しさにとらわれた。新しい飛行機作りが始動したというのに、きょうの僕は何もしていない。朋夏も名香野先輩も湖景ちゃんも、そして多分会長も、自分のやるべき仕事を見いだして、自分から動き出している。

 僕だけ、それがない。一体僕は、宇宙科学会で役に立っているのか。

 日が傾いてきて朋夏が海から上がり、僕と会長は再び研修センターに戻った。名香野先輩はまだ頭を悩ませていたが、僕たちの姿を見ると決心がついたようで、「とりあえず、これでやってみましょう」と言って席を立った。ただ表情は明るくない。というより珍しく、自信がなさげに見える。

「あの飛行機、エンジンで一度飛ばせないんでしょうか」

 湖景ちゃんが提案した。

「そうすれば飛行データも取れますし」

「さすがに二十年近く整備していなかったエンジンで飛ばすのは無謀だねー」

「もう一度、飛行機を見てみるわ」

 名香野先輩が格納庫に向かったので、僕たちもつきあうことにした。先輩は設計図をコピーして全員に回し、それを見ながら機体の点検に入る。

「ヒナちゃん、重量バランスはどう?」

「そこが問題なのよ」と、名香野先輩は腕を組んだ。

「重心とかバランスとかを考えてみたんだけど、先尾翼っていうのが、やっぱりよくわからない……どの程度影響が出るものか、専門の航空工学の本でも読まないとダメかもしれない」とため息をついた。

  水泳を終えて着替えた朋夏と一緒に教官が格納庫に戻ると、さっそく会長と湖景ちゃん、先輩と教官の四人で何やら議論を始めた。今後の改造の方針について話し合っているようだが、僕にはもうついていけない。

 帰り道、夕陽の中を朋夏と会長、名香野姉妹が仲良く肩を並べて、国道沿いの道を歩く。僕は四人と少し距離を置いて、後ろから歩いていた。深い意味はない。なんとなく一人になりたかっただけだ。

 そんな僕の肩を、横からたたく人がいた。

「トラックで飛行機を運んだから、車は会社だ。きょうは電車で戻る」

 教官はいつも旧校舎まで古いマイカーで通っていた。

「どうした。元気がないな。悩みでもあるのか?」

「そうですね……僕が本当に力になれたのか、少し迷ってまして」

 宇宙科学会のメンバーの個々の能力は、本当に高い。その中で唯一の男子である僕だけが、たいした能力がない。これは結構ヘコむ話だ。

「僕がもう少し手助けできたら……例えばあの時、飛行機は壊さないですんだのかもしれない。そうすれば朋夏だって危ない目に……」

「失敗した時に、人は自分の未熟さを恥じて悩むのだ。だが、それができない奴もいる。失敗を避けて目を覆い、ふたをしてしまう奴もいる」

 その言葉に、僕の胸がぎゅっと痛んだ。

「だが、今のお前には恥じる気持ちがある。そして恥じて先に向かう気持ちがある。未来がある。つまり本大会だ。失敗を挽回するチャンスがある」

 チャンスがあること。次につながること。それはどれだけ頼もしいことだろう。今の僕は前を向ける。僕は時計を止めたあの日から、少しは成長できたのだろうか。

「平山の場合は下手な専門知識を身につけるより、チームの精神的な柱になった方がいいと、俺は思う」

 それは暗に役立たずと言われているような気が、しないでもない。

「知識や技術だけで、チームは作れん。華美な家具や装飾だけで、絶対に家が立たないのと同じだ。お前が津屋崎を助けなければ、機体は完成しなかった。名香野が悩んだ時に話を聞いてやらなければ、チームは分解していた」

 教官の口元が微笑んだ。

「お前はお前にできることを、精一杯やれ。恐らく明日からの作業は、今までよりずっと厳しいぞ」

 僕にできること、か。湖景ちゃんにそう言い続けてきたのに、そういう僕が同じ言葉で教官に励まされる。情けない限りだ。だが教官の言葉は、僕の肺腑に落ちた。僕は僕のやれることをやればいい。人は手の届く範囲のことを精一杯やるしかないんだ……。

「できることと言っても、みんなをサポートするくらいじゃないか」

 僕がため息をついたら、今度は誰かに背中をたたかれた。

「私はソラくんのそういう役割に期待大なんだけどねー」

 いつの間にか会長が三人から離れ、僕の後ろに回っていた。教官と僕の話を聞いていたらしい。しかしそれは本来、会長の仕事じゃないのか。

「要するに、会員のサポートも最初から他力本願ってことですか?」

「人聞き悪いなー。適材適所、ライトスタッフ。私の得意技だよー」

 そう言って微笑む会長に、以前の質問をもう一度、ぶつけたくなった。

「会長は……なぜ僕を宇宙科学会に勧誘したんですか?」

「え?」

 会長の瞳が、軽く揺れる。少し離れたところで、僕たちの仲間が円陣になって、何やら喜びをはじけさせていた。だが今は、それとは遠い世界にいるような不思議な気分だった。

「ソラくんが頼りになる人だって思ったからだよー」

「頼りになる人、ですか。初対面だったのに?」

「私の勘に狂いはないんだよ。これからも、みんなや私を支えて欲しい」

 少し驚いた。僕が会長を支えることなんて、本当にあるのだろうか。

「さ、みんなが呼んでいるよ。そんなことよりこれからのこと、考えよ?」

 会長が僕に腕を絡ませ、仲間たちの世界に引き戻していった。