10章 大地を離れて 天翔ける(3)
整備場を出た。次に見つけたのは会長だ。
航空部の連中とも格納庫とも離れて、ひとり滑走路の奥の芝にたたずんでいた。その姿がどこか寂しげに見える。
風が会長の髪をたなびかせていた。そして、あの虚無のような空色の目をしていた。どこか遠くを見ているようでいて、まるで会長の心がそこにないかのようだ。この日を待ち望んでいたはずなのに、こんな日は一番にはしゃぎだす人なのに、なぜこんな顔をするのだろう。
「会……長」
不意に不安に駆られ、急ぎ足で会長に歩み寄った。声をかけるのが怖かった。冷たく拒絶されそうな予感がして。
「ん……どうしたの、ソラくん」
こちらに視線を向けた時には、瞳に元の生色が甦っていた。僕はまた少し安心する。
「いや、何か考えているようでしたので。心配ごとでもありますか?」
「そんなこと、ないけど?」
「それにしては寂しそうでした」
会長は、僕の視線を外した。
「これまでの宇宙科学会の毎日を、振り返っていただけよ。言うなれば……暇つぶし?」
「そういえば最初はだらけっぱなしでしたよね、二人だけの宇宙科学会」
「それも楽しかったけどね。難しいことを考えなくてすむし」
強いつむじ風が吹き抜け、会長が豊かな黒髪を抑えた。
「朋夏が加わってからも、そうでした。建設的な活動は、何もなかったですからね」
「あはは、そうそう。文字通り青春の無駄使い」
茶化してはいるが、この人は本当にそれでよかったと思っていたのだろうか。あの頃は、そんな会長の胸の内など考えもしなかった。
「で、湖景ちゃんが加わって。このひと月は飛行機でしたからね」
「ソラくんは、やってよかったと思うんだ」
「ええ。会長は何か不満が?」
会長が、また沈黙した。口元にも目元にも微笑を浮かべているが、僕にはなぜか泣き顔に見えた。
「ううん。どこがイヤとか、そういうことじゃないんだよ。ただ楽しかった時間も、いつか終わっちゃうことがあるんだなって」
会長にしては陳腐な感傷に聞こえる。そういうのが案外、人の本音なのかもしれない。
「永遠に続く青春、なんて方が不自然ですよ」
「そうね……でも楽しい時間が終わったら、あとはどうなるのかな」
会長は口をつぐむ。風が髪をかき乱して、その表情を隠した。感傷、という表現とは少し違う。何かそれ以上の重さが、この人にある。
「たぶん、夏は終わるでしょうね」
「……」
「それで秋が来て、秋の夢を追う。冬には冬の楽しい時間が来るんじゃないですか」
「……」
「そしてまた次の夏がめぐってくる」
会長が、ゆっくりとこちらを見た。
「空太、ずいぶん変わったね」
会長が急に僕の名前を呼ぶのも、慣れてきた。
「あまり気にしないで。ちょっと曇天気分だっただけ」
「会長」
珍しいですね、という言葉は飲み込んだ。誰だってそんな気分の時はあると思うが、きょうの会長は、少し違う気がする。
「うん。すぐに晴れるから。今日の天気だって、こんなに晴れ晴れとしているんだし」
会長は何か、悩み事を抱えているのではないか。僕は初めて、いつも自信満々のこの人の弱さを見たような気がした。何がこの人の心を曇らせているのか、それは想像がつかない。
「今日負けたら、次のチャレンジを見つければいいんですよ」
「次があるといいよね」
「だから、見つけますって。それより今は負けないことを考えましょう。もう少しこの活動、続けたいでしょう?」
「うん、そだね」
会長が寂しげに笑った。
「本気じゃないのも航空部さんに失礼ですし……そうだ、そろそろ花見にあいさつしてきますよ」
「お願いね、ソラくん」
会長を残して、僕は航空部の学会棟に向かった。今はまだ、会長の悩みを聞く時ではなさそうだ。時が来れば、本当に困っているなら、話してくれる日もあるだろう。