二次創作小説「水平線の、その先へ」

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4章 途切れた絆を 縒り直し(8)

 6月18日(土) 西の風 風力3 晴れ

 週末は久々に夏のような日差しが覗いた。ただ、蒸し暑くなるのがこの時期の欠点だ。格納庫には冷房がないし、風通しもそれほどよくない。朋夏は午前中の授業が終わると「この天気なら、上空は気持ちいぞー!」と騒ぎながら、教官と一緒に内浜市の滑空場に向かった。

 湖景ちゃんが先生に呼ばれているということで、僕は一人で旧校舎に向かった。先に作業を始めようかと思ったのだが、いざ着いてみると、一人で作業をするのは得策ではないことに気づいた。

 チーフエンジニアはあくまで湖景ちゃんで、湖景ちゃんは飛行機の細部まで理解する必要がある。そのために湖景ちゃんは教本と格闘しているのであって、僕が勝手に判断して部品を組み立ててしまったら、後で困ることも起きるだろう。僕がいない場合でも、同じことが起こりうる。なにせ飛行機を作るのは二人しかいないのだから、チェック作業も常に二人体制で行うべきだろう。

 会長は旧校舎のどこで作業をしているのか、見当もつかない。これまでも時々格納庫に現れては無駄話をしたり、グラウンドの朋夏にちょっかいを出したりしているが、なぜか教官はあまり文句も言わない。そして、会長はどちらにもいない時間が圧倒的に多い。旧校舎か研修センターの部屋でも借りて、事務作業をしているのだろうか。

 GPSで確認をしたら、会長は旧校舎ではなかった。旧校舎の東側、例の灯台だ。ひょっとして自分だけサボリを決め込んでるのか、と嫌な予感がして、僕も灯台に行ってみることにした。

 灯台までの緩い坂を登ると、あの日と同じように強い西風の中で黒髪を押さえる会長がいた。やはり、じっと海を見ている。その視線の先には、朋夏が挑戦している市民グライダーの姿もあり、翼が陽光にきらめいて、時々青空の中に白く光っていた。いつもはくだけた人だが、この人の後姿は不思議に小さく、か細く、寂しげに見える。

「会長、こちらにいたんですね」

 と後ろから声をかけた。何やってるんですか、という台詞は飲み込んだ。

「きょうは梅雨前線、一休みだねー」

 会長は、振り返りもせずに答えた。まるで僕がここに来ることを、予期していたかのように。

「会長はひょっとして、あの日にグライダー作りを決めたんですか?」

 僕たちが部活動を理由に、学校をサボった日のことだ。思い返せばあの日、会長の姿がカモメの鳴き声と西風の中で陽炎のように揺らぎ、その瞬間から魔法をかけられたように、僕の高校生活が一変してしまった。ほんの一か月前には、予想もしなかったことだ。

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「あの日はグライダーは飛んでなかったねー。モーパラだけだったよー」

 ああ、そういえば朋夏がモーパラをじっと見つめていたっけ。あいつ、水平線まで飛びたいって、言ってたよな。グライダーで今、その夢を果たしているのだろうか。

「機体作り、順調そうだねー」

 隣でぼんやりと空を眺めていた僕に、会長が声をかけてきた。

「ええ、順調に滞っています。遅すぎて涙が出るくらい、順調ですよ」

「あはは、停滞前線。でもね、梅雨時期の停滞前線はさわやかな夏になる前の準備なんだよー」

 毎度不思議な喩えだが、少し乗ることにした。

「でも夏が来る前に、たいてい雷や集中豪雨が来るんじゃないですか?」

「それも言い得て妙だねー。豆台風が上陸したりして。一気に洪水で押し流されちゃったり。ソラくん、ヒナちゃんってまるで豆台風か暴風雨みたいって、思わない?」

「委員長が豆台風ですか。それ、確かに悪くない喩えかもしれませんが」

「誰が豆台風ですって?」

 僕はびっくりして、後ろを見た。いつのまにか、委員長が腕を組んで立っていた。なんでここに委員長がいるんだ。会長はというと、驚きもせずに悠然と、体を反転させた。

「あららー、ヒナちゃんがいるとは予想外。ひょっとして、今の聞かれちゃったかなー」

「聞きました。最初から最後まで、全部」

 僕は動揺した。

「いや、その、先週手伝ってくれたことには、本当に感謝していて……」

「感謝? ひょっとして豆台風って、ほめ言葉なのかしら。暴風雨ってのも、ほめているの?」 

 会長のいたずらっぽい笑顔を見て、会長は委員長がいるのを知っていたのだと確信した。相変わらず平地に乱を起こさずにはいられない、困った性格だ。しかし後ろを見もせずに、どうやって委員長がいることを知ったのか。

「まったく、旧校舎にいると思って来てみたら、誰もいないし。なんか灯台にうちの制服らしい姿があるから、まさかと思って登ってきたんだけど、その仕打ちがこれとはね……」

 すっかり忘れていた。委員長には、仕事の協力をお願いしていたんだった。きょうは、その返事をするためにここまで来たのだろう。もし手伝ってくれる気だったら、そして今の会話で気が変わってしまったら、すべてが崩壊する。ここは少し時間を置いて落ち着かせて……

「で、ヒナちゃん。私たちを探しにきた理由を言うといいよー」

 会長、だから人の退路を断たないでください。

 委員長はしばらくむすっとした顔で、交互に僕らの顔を見つめていたが、とりあえずはため息を一つ、ついただけだった。

「まず、学内予選会の件です。七月二十三日の土曜日に決まりました。期末テストで部員が赤点を取ると、不戦敗になる日程なので、注意してください」

「はい、了承~。でもねーヒナちゃん、機体の制作が間に合いそうにないの。ソラくんの作業がトロくって」

「会長は手伝いもせず、時々無駄話に来るだけじゃないですか。そんな風に言うなら、少しは手伝ってくださいよ」

「あららー、非難されるとは意外意外。会長の私も血反吐を吐きながらがんばってるんだよ?」

「話は終わっていません。夫婦漫才は後にしてくださいませんか?」

 委員長の柳眉が、またしても逆立っていた。

「すみません委員長、続けてください」

「先週の平山君からの依頼の件です。私なりにいろいろ考えてみたんだけど、委員会の活動がある以上は……」

 ああ、お断りか。まあダメでもともとで、頼んでみたわけだったし。

「手伝えるとしても、少しだと思うの」

 そうですか、ダメですか。……え?

「学園理念の面から見れば、中央執行委員会は広い意味で学校が義務参加とする学会活動の一つですが、他の部活動との兼任は禁止されていません。確かに中央執行委員会は学内予選を仕切る立場にはありますが、学内予選は純粋に飛行距離を争うものですので、私が参加しても公平性に問題はないと判断しました」

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「なんだソラくん、ちゃんとスカウトしてくれたんじゃない」

「あ、まあ……それより委員長、また手伝ってくれるんですね!」

 委員長と湖景ちゃんとの共同作業は、はかどるだけでなく、なかなかに楽しかった。こういう活動が続くなら、この先の困難も乗り越えていけるかもしれない。

「ええ、私も楽しかったから。子供のころ工場で遊びながら手伝いをしたことを思い出して、懐かしかったわ。それで、私は何をすればいいのかしら」

 会長は特異なケースとして、三年生の進学組は、嫌でも受験が気になる時期だろう。しかも委員長職は激務のはずなのに、それでも手伝ってくれるというのだから、これほどありがたい話はない。

 当面は機体を形にするのが目標だが、その後もモーターの調整とかLMG用の改造とか、仕事はいくらでもある。どこの部分でサポートしてもらうのが、一番効率的だろうか。

「んー、飛行機の面倒見て。全部」

 僕は灯台から飛び降りたくなった。会長、空気が読めていません。

「それは……」

 ああ、委員長が露骨に困った顔をしている。メカに詳しく工具に慣れている人間は得がたい人材なんです。機嫌を損ねないで欲しいのですが。

「あの……本当に、ちょっとだけでいいですから」

「うん、ちょっとだよ。飛行機、全部!」

 会長、だから僕の配慮を蹴っ飛ばしてどぶに捨てないでくださいって。

「あの、委員会が忙しいから、そこまで大体的に手伝えないというか……」

「だってほら、この活動って忙しいのは大会までじゃない? 二か月少しだけど、授業があるのはあと一月。夏休みに入れば作業と委員会の両立もそんなに難しくないんじゃないかなー」

「それでも毎日こちらに来るというわけには……」

 委員長が頭を抱えている。しかし、同時に迷っている気配も見えた。会長の言葉を聞いていると、まるで説得できそうな気分になるから不思議だ。改めて恐るべし、会長。

「そうだ委員長、中央執行委員会に副委員長っていないんですか? 大会までの間だけでも少しがんばってもらうとか」

「役職者はみんなそれなりに忙しいのよ。私が学会活動を始めたからといって……」

「でも委員会と学会は兼務できるんですよね。そういう委員は多いんじゃないですか? 学会活動を理由に委員会活動を休む委員もいるのでは」

「それは確かに……でも、そういう人の仕事をフォローするのも私の仕事で」

「ヒナちゃん、人のフォローもいいけど、自分のやりたいことや自分が今でしかできないことを、もっと自由にやるべきじゃないかな」

 会長が、少し真顔になった。

「責任感は立派だけど、ヒナちゃんだけが仕事を引き受ける必要はないんじゃないかな。高校生活もあと一年ないんだよ? 自分のしたいことを少しして、他の人に仕事を振ったからといって、ヒナちゃんが責められる理由はないと思う」

 すごい説得だった。委員長が本気で考え込んでいる。あと一押しと思った瞬間に、会長は思いもかけない方向から委員長を攻め始めた。

「大事なコカゲちゃんと、一緒にいられる時間もあと少しなんだよ。楽しい思い出を作れるんじゃないかなー」

「う……」

 何を言ってるんだ、この人。確かに委員長は、ずっと湖景ちゃんのことを気にしているようだけど。そう思っていたら、会長はさらっと爆弾発言をした。

「ヒナちゃん、そろそろ素直に告白した方がいい時期なんじゃない? 湖景ちゃんのお姉さんは私ですって」

 委員長が、明らかに動揺していますが。どういう意味なんですか、会長?

「ヒナちゃんとコカゲちゃんは、実の姉妹なんだよー」

「……え!?」

「それも双子」

「……えーっ!」

 宇宙科学会の解散命令以降、驚く機会に慣れていたつもりだったが、あまりの展開に言葉を失ってしまった。