二次創作小説「水平線の、その先へ」

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14章 無窮の闇に 囚われて(1)

 7月31日(日) 西の風 風力3 晴れ 

 テスト飛行の朝。格納庫に顔を出すと、驚いたことに名香野先輩がいた。代わりに湖景ちゃんの姿が見えない。

「湖景ちゃん……きょう、どうしたんです?」

 機嫌を損ねないために「珍しく先輩のほうが早いんですが」とは言わなかったが、名香野先輩の機嫌は初めから悪かった。こういう時は、触らないほうが祟りがない……と思っていたら、向こうから絡んできた。

「目の前の作業より、湖景のことが気になるの?」

「いえ、別に。体調が悪いとか出なければ、いいんですけど」

 話題を変えるつもりでそう言うと、名香野先輩の手が一瞬、止まった。

「今朝、少し具合が悪いみたいなのよ。だから休んでもらっている」

 その後、ごめんなさい、と名香野先輩は謝った。自分の悪いところは気づいてすぐに謝れるのが、この人の良さだ。湖景ちゃんは毎晩、先に爆睡する名香野先輩の目を盗んで格納庫に出かけていたに違いない。

「それより、やっとこの機体が飛ぶのね……」

「湖景ちゃん抜きで、肝心なデータの取得の方は大丈夫なんですか?」

「私が湖景のミニコンを借りたわ。データ自体は計器のコンピューターのハードに蓄積させて後から取り出すし、操作も聞いてあるから大丈夫」

 テスト飛行は会長の仕切りで、航空部の滑走路を借りる手はずになっていた。朝食を終えた後、手分けして胴体と翼を分解し、トラックに積んで機体を運んだ。航空部の練習は休みらしく、滑走路に姿は見えなかった。

 代わりに先客が一人いた。その人影は滑走路のはるか遠くにいたが、僕たちの到着を認めると迫撃砲弾のような勢いで、まっすぐ驀進してきた。

「はあ、はあ……なーんだ、正面から来たんですか。先に言ってくださいよ」

「水面ちゃん、来るなら来ると言ってよ。隠してるわけじゃないんだから」

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 組み立てた機体に、最初に乗ったのは花見だ。安全性は十分に配慮したとはいえ、二十年間眠っていた機体を託すには、経験豊かなパイロットが一番だ。その上で、きちんとデータを取ることが先決だろう。

「少し西風が出てきているが、いつものことだ。飛行に問題はない」

 憧れの機体での初飛行を前に、花見もやや上気している。

「花見。一回目の飛行は無理をせず、機体の特徴をよくつかんでくれ」

「了解しました」

「宮前は、花見の飛行をよく見ておくんだぞ」

「こちらも了解!」

 花見は教官と念入りに操縦の打ち合わせをしてから、コックピットに収まった。花見がモーターを起動し、僕がモーターの外部電源を外す。計器のチェックは、いつもより入念だった。そして花見は風防の中から一回手を振り、機体を滑走路へと滑らせていった。

「うまくいくわよね」

 名香野先輩の願望に緊張の色が混ざる。教官や花見の厳しい安全チェックがあったとはいえ、自分たちの手で組み上げた飛行機の初飛行が不安であることに変わりはない。

「ピッチシステムは、どうするんですか?」

「とりあえず手動でやるわ。ピッチ角の変化に伴う飛行データもとらないと、シミュレーションが完成しないから」

「あ……走り出しましたよ」

 水面ちゃんが双眼鏡を覗きながら、声を上げた。

 飛行機はぐんぐんスピードを上げる。やはり滑走距離が、白鳥より長い。ふわりと浮かぶと、翼が二、三回横揺れをしたが、そのまま青空へと吸い込まれるように上っていく。

「きれい……」

 会長の言葉に、全員が感を同じくする。恐らく、ここにいる全員が、そう思っているだろう。先尾翼機の形から言えば、こちらが「白鳥」の称号にふさわしい。それほど優雅な飛型だった。

 花見は機体の旋回と水平飛行を二回ずつ行った。そこでスピーカーから声が聞こえてきた。

「バッテリー残量三十秒。教官、水面飛行に挑戦してみます」

「大丈夫か、花見?」

「今のところ機体は安定しています。無理はしません」

「よし。お前の判断で、できるところまでやれ」

 機体からモーター音が消え、滑空を始めた。機体は滑走路に向かって急速に機首を下げ、そして地面のすれすれで機首を上げた。

「すごい」

 思わず握っていた拳に、汗がにじみ出た。名香野先輩も「ふーっ」と長い安堵の息を漏らす。機体は五メートルほどの高さでしばらく飛び続けた後で、滑走路にふわりと着陸した。

「どうだった?」

 機体を降りた花見に全員が駆け寄る。

「離陸と着陸の寸前に不安定さはあったけど、飛行中にはほとんど感じない。旋回の反応もいいし腕になじむ。予想通り、いい機体だよ」

 この後、機体のバッテリーに充電を繰り返しながら花見が三回飛び、その後で朋夏が乗り込んだ。朋夏はもちろん離着陸と通常の旋回飛行だけで、水面飛行の操作はしない。水面飛行に必要な基本的な飛行データは、すべて花見の操縦で取得している。朋夏の飛行は一日休んだ効果もあってか、心配が必要ないほど安定していた。

「宇宙科学会の準備は順調そうですね……後は大会がきちんと開催できればいいんですけど」

 朋夏の飛行を眺めながら、水面ちゃんが何気ないことのように呟いた。

「え?」

 思わず反応したのは、僕と名香野先輩だ。

「ちょっと千鳥さん……きちんと開催って、どういうこと?」

「あ、語弊がありましたね。別に開催自体に問題はないと思いますが」

 水面ちゃんは、あわてたように両手を振った。

「ただ……実は大会のボランティア人員の手配とかが、うまく進んでいないみたいなんですよ」

「何ですって! 大会まで、あと一週間しかないじゃない!」

 名香野先輩が血相を変えた。大会の準備は実行委員会の仕事のはずだが、何をそんなに驚いているのだろう。

「違うわ、平山君。ボランティアの確保とかは内浜学園の中央執行委員会が手伝うことになっているのよ。打ち合わせで聞かなかった?」

 そういえば教官がそんな話をしていたような気がする。

「どういうこと、千鳥さん?」

「それが……上村さんが中央執行委員会を仕切り始めてから、委員会の仕事の一事が万事滞り始めて。なんだか全然、やる気がないみたいなんですよねー。秋の学園祭の模擬店準備とか、パンフレットに載せる広告企業の募集とか、講演会の識者の選定とか、全然決まってなくて」

「学園祭も?!……もう七月も終わりよ。今からそんな、間に合わないわ!」

「LMG大会の準備の遅れは、もう学園側にも伝わっちゃいました。顧問の先生が上村委員長を審問したけど埒が明かなくて、学校が代わりにボランティアを募り始めたみたいです」

 名香野先輩が思わず携帯電話を取り出した。そして上村の電話番号にかけようとして……会長がその手を握って止めた。

「……ヒナちゃん?」

 会長がじっと先輩の目を見つめている。しばらく会長と見つめ合った名香野先輩は、やがて首を振って携帯電話を閉じた。

「そうでした……私がもう何を言うこともできないんだった」

 名香野先輩がしょげている。少し気の毒だが、確かに名香野先輩が口出しをしても事態が前に進むとは思えない。

 それにしても不可解なのは上村の行動だった。上村は名香野先輩ほどではないにしろ、事務能力の処理では有能な男だと、僕は思っている。その上村が中央執行委員会の仕事をほとんどしないというのは、にわかには信じがたい。

 考えられるとすれば、やはり上村は周囲に担ぎ出されただけで、実権はクーデター派が握っている傀儡政権という可能性だろう。しかし「歴史の傍観者」という哲学を曲げてまで中央執行委員会のトップに座った上村が傀儡の評価に甘んじる男とも思えない。あるいは成り行きで責任ある立場に立ったとはいえ、早々に嫌気が差して傍観者に戻ろうとしているのか。

「僕が上村を呼び出して聞いてみましょうか」

 名香野先輩の同意を取るつもりだったが、会長が口を挟んだ。

「ソラくんも動かない方がいい。委員会のことは私に任せてくれないかな」

 会長には何か策があるのだろうか。僕たちの抱いた疑問には答えず、会長は朋夏の飛行機が切り裂いた青空をじっと見上げていた。