二次創作小説「水平線の、その先へ」

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1章 果てない海と 空の青(8)

 朋夏に促されて席についた委員長は、ようやく自分を取り戻したようだった。部室をぐるりと見回し、そして僕と目が合った。

「平山君……」

「はい、ご無沙汰しております」

「ご無沙汰って……一日しか経っていません!」

「す、すみません!」

 確かに言葉の選択は誤ったが、そこまで怒られることだろうか。

「あなたまで、私を馬鹿にするのですか」

「馬鹿になんて、そんな……」

「ヒナちゃんって本当に反応面白いわね。ソラくんのイジリも最高!」

 会長、なぜ人のてんぷら鍋に火を投げる。委員長の僕を見る目が白くなった。

「あなたはいい人だと思っていたのに……まさかそういう態度をとるなんて」

「すみません」

 なぜか、また謝るしか道がなくなっていた。火をあおった張本人は、いまだにお腹を抱えている。

「なになに、空太と委員長って、知り合いだったの?」

 朋夏がひじを突いて、小声で聞いてきた。

「昨日、彼女に脚立を借りたんだ」

「それにしちゃ、嫌われてない?」

「いや……昨日までは嫌われてなかったはずなんだけどな……」

 正確には、つい五分前までそんなに嫌われてなかったと思う。

 湖景ちゃんが、急須にお茶を入れて戻ってきた。手元が震えていたが、お盆から湯飲みを二つ下ろして緑茶を注ぎ、委員長と会長に勧める。

「……どうぞ」

「あっ……あなた?」

 お茶を差し出した湖景ちゃんの顔を見た瞬間、今度は委員長の目が大きく見開かれた。ただ湖景ちゃんはすっかり恐れをなしてしまい、目線を合わせずにそそくさと朋夏の後ろに隠れてしまった。

「あ……ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったの」

 なぜか委員長が、少ししゅんとなったように見えた。しかしそれも数秒の間で、再び顔を上げた時には、持ち前の生気が顔に戻っていた。会長はだらしなく両ひじを机につきながら、その様子を面白そうに眺めていたが、口には何も出さなかった。

「では、始めさせていただきます。中央執行委員会は、宇宙科学会が学園の認可を受けている正規の学会であり、部室と活動費を配分されていながら、十分な活動をしている形跡がないと判断しています。この点について、何か申し開きがありますか?」

 委員長はどうやら二日前の最終弁明会を、この際やってしまおうと考えたらしい。黙って解散させても文句は言えないはずだが、改めて委員長の律儀さを感じる。

 後は、会長の対応次第だ。そして、ここぞという時の詭弁で会長に勝てる人はそうはいない。僕たちは固唾を呑んで、会長の次の言葉を待った。

「んー……なし?」

 たっぷり五秒ほど待たせた挙句の暴言に、僕は椅子から転げ落ちた。

「ないのかよっ!」

「ないんですかっ!」

 委員長とツッコミが被ってしまったのは、偶然だ。

「うん。気持ちいいくらいに、ありませーん」

「いくらなんでも、少しは申し開きをすることがあるでしょう? こんな活動をしています、とか……」

 お取り潰しに来たはずの委員長が弁明を提案するのも、おかしな話だ。

「んー……やっぱり、ないかもー」

「つまり、言い逃れする気は?」

「まったくナシ!」

 ああ会長、あなたは大物すぎて、呆れてものも言えません。言葉を失った委員長が、ハンカチを取り出して汗をぬぐっている。

「か、かいちょうー……」

 朋夏が、カエルが踏まれたような声を上げた。朋夏は真っ直ぐな熱血系体育会だけに、机の下で剣の火花が散るような、心理戦には弱かった。

「では、話を続けます。この学会の活動方針なのですが、四月に印刷した新入生向けの学会紹介号の記述を読んでも、まるで要領を得ていません。どのような活動を目的としているのか、説明していただけませんか?」

「いいけど、ヒナちゃんはどんな学会だと思うの? 言ってみるといいよー」

 会長、そこは委員長に話を振る場面ではありません。

「え?……例えば、そう……天体観測をするなどが適切ではないでしょうか」

 そこで合わせてしまう、生真面目な委員長もどうかと思う。もしかしたら、意外に会長と名コンビなのかもしれない。仲は悪そうだが。

「んー、ちょっと違うかも」

 会長、なぜ助け船を沈める。

「天体観測だけでは、天文学会とは呼べても、宇宙科学会とは呼べないと思うよー。他にもこのカテゴリーで、いろんなことができると思うなー」

「たとえば、どんな?」

「陸上生物である人間にとって海水温の条件下で可能な運動能力の上限値について、近海に赴いて実践検証したりー」

 ああ、海合宿のことだな。

「氷点下の気象条件におけるマイクロレベルでの氷の融解現象を、山岳地域で物理的に実証してみたりー」

 スキー合宿のことか。

「人間の心肺能力が発揮できる限界と適応可能な環境条件について、複数のデータを集めて論証する、とか?」

 ハーフマラソン大会のことだろう、多分。

「このように、既存の天文学会の枠にはまらない、地球と宇宙、人間の関係を広範な視点から検証するのが、宇宙科学会の目的なのでーす。OK?」

「はあ……それは、確かに素晴らしい活動と思いますが……」

 委員長が煙にまかれたような顔をしている。実際に煙にまいているのだから、仕方がない。

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「……とは名ばかりで、実態は遊んでばっかり!」

 今度は、会長を除く四人がそろって椅子から転げ落ちた。

「ちょっと! どういうこと?」

「活動の再開申請が通らなかったら適当に理由を考えようと思ったんだけど、受理されちゃったからいいのかなーって」

 会長、そこはあはははと笑う場面ではありません。

「古賀さん、要するに地球と宇宙と自然について研究すること。これでいいですね?」

「んー、ちょっと違うかも。もっとこう、おおらかな感じ? いい加減な感触で、ニュアンス勝負。というか、適当って言葉が一番的確?」

「……真面目に活動していないことを認める発言になりますよ、それ」

 委員長の言葉が、ついに氷点下まで下がった。

「宇宙科学会は活動していない。これは架空学会、または幽霊学会とみなされます。すなわち、予算と部室を私物化するために登録された学会ということです」

「あははは。それ、近いかもー」

 会長、そこ同意する場面じゃありませんって……と思っていたら、委員長がついに机をたたいた。

「明確な処分対象ですよ! 本来なら学園側からとっくに処分が出されていたところを、執行委員会が自発的な改善を促すということで、理解を求めてきたんです」

 上村が言ったことは、本当だった。委員長は、宇宙科学会の存続のために、影で骨を折っていた。

「ですが、この先も改善が見られないなら、中央執行委員会権限で、解散させざるをえません!」

 そこまで言い切ると、委員長はふーっと息を漏らして背筋を伸ばした。部室を沈黙が支配した。

「ここは一つ、宇宙科学会としての基本方針を、きちっと決めてはいかがでしょうか、会長」

 口を開けば解散を認めそうな会長に、もはや僕が割って入るしかなかった。会長が委員長をわざと怒らせようとしているのは間違いなさそうだが、会長の真意が読めない以上、事態の収拾を図るのも仕方がない。解決策としては平凡だが、誠意を見せる以外に方法がなさそうだ。

「それは建設的な態度と判断できます。ただもはやあなた方の場合、口約束や文書だけで、存続というわけにはいきません」

「じゃあ、どうすれば?」

 朋夏が、恐る恐る尋ねた。

「会として一定期間内に、学外の公式の研究大会に参加するとか、賞を取るとかです。つまり、学校外の第三者が、あなた方の活動を評価すること。これが条件です」

 僕はうめいた。かなり厳しい条件だ。もはや毎日の気象データを記録して学園祭に発表するとか、小手先の活動や言い逃れで存続する道は、閉ざされたと言っていい。

「古賀さん。部の方針を決め、何らかの成果を出すという姿勢を示していただけませんか?」

 まさしく、最後通牒だ。だが会長は、おかしそうに笑っていた。

「なんかさ、ヒナちゃん。うちの部を助けに来たみたいだよ?」

「これまでも助けてきたし、これからも生徒の自主的な活動を支えるのが私の仕事です。別に趣味で潰しているわけではないんです!」

「態度ねえ。うーん」

 会長は、一向に態度を改める気がなさそうだ。まさかとは思っていたが、これは行くところまで、行くのかもしれない。

「なぜなんです? どうして解散の通知に対して、ノーリアクションだったんですか? ここはあなた方にとって、大切な場所ではなかったのですか?」

 真摯な言葉に、僕は全面降伏したほうがいいと思った。委員長の誠意のある行動に対して、会長の態度が悪すぎる。身内とはいえ、さすがにかばいきれない。

 その時、会長がにっこり笑って言い切った。

「大切なのは、場所や形じゃない。人の気持ちなんだよ」