二次創作小説「水平線の、その先へ」

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12章 機体に夢を 膨らませ(5)

  7月28日(木) 西の風 風力3 晴れ

 翌朝七時。僕が目覚めた時には、もう花見のベッドは空だった。顔を洗って外に出ると、早くも白い太陽がじりじりする気配を漂わせながら青空にかかっていた。

「ん……」

 誰もいない旧校舎の前に立ち、屈伸と上体そらしで身体をゆっくりとほぐす。きのうは慣れない寝床で寝たせいか、ちょっと筋肉が硬くなっている気がする。

「おっはよー」

 校門を抜けて、ランニングから戻ってきたらしい朋夏が駆けてきた。朝からランニングとは、さすがに体育会系だ。

「一人で大変だな……って、花見も一緒か」

 少し遅れて、花見も戻ってきた。朋夏が先なのは、花見は花見のペースで走ったということなのだろう。体をほぐす程度の目的と思うが、そういうランニングでも、運動部にいた花見よりペースが速い、朋夏もすごい。

「空太はよく眠れた? もっと暑いと思ったけど、案外平気だったね」

「宮前君、ここは夜になると、山を越えた涼しい風が抜ける。気温は意外に下がるんだ」

 やはり花見は、内浜の気象に詳しい。窓を開ければ確かに夜風が部屋を通った。ただし虫は多いので、二重網戸は必須だ。

 トレーニングを切り上げた二人と一緒に食堂に行くと、すでに湖景ちゃんと会長がいた。パンと紅茶、サラダの簡単な食事が、すでに並んでいる。朝食は会長が用意したらしい。

「平山君は、朝は時間通りなんだね。てっきり遅いかと思ったよ」

「花見、宇宙科学会を僕や朋夏を基準に計らない方がいいぞ」

「そのようだね」

 花見が笑った。

「そうそう……って、なんであたしが空太サイドに入っているのよ!」

「僕一人がダメ側だと、さすがに寂しいじゃないか」

「あたしは今朝六時に起きて、ちゃんとトレーニングしてたんだぞ。あたしを巻き込むなー!」

「そういえば……名香野先輩は?」

 花見に言われて気づいたが、教官は別として、もっとも時間に遅れなさそうな名香野先輩の姿だけが、この場に見えない。

「あの……実は姉さんは、きのうの夜、部屋で勉強をしていまして」

「勉強?!」

 大きな声を出したのは、僕と朋夏だ。だが花見も声を出さないだけで、驚いている。きのう作業が終わって撤収したのは、零時に近かったはずだ。僕と花見は合宿初日の気疲れもあって、早々にベッドに倒れこんだ。

 しかし考えてみれば、名香野先輩は高校三年生、歴とした受験生だ。いくら「飛行機に賭ける」と言っても、勉強を中断する性格とも思えない。

「そんなわけで、ヒナちゃんは大目に見てあげればいいんじゃないかなー」

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 会長が意味深な笑顔をたたえながら、トースターで焼きたてのクロワッサンをむしって口に運んでいた。

「古賀会長は、勉強のほうは大丈夫なんですか?」

 花見が心配そうに聞いた。

「あ、私はしなくてもできるから」

「しなくても、というのはどういう……」

「ごちそうさまでしたー!」

 僕と朋夏と湖景ちゃんはテスト勉強前のことを思い出し、この後の不穏な展開をいち早く察して、朝食を切り上げた。朝から能力格差を見せつけられ、やる気を失う必要はない。

 花見が昨夜のうちに、重量を検討してリムの削りこみを指示した書類を作ってくれた。さっそく格納庫で作業に入る。大きなプラスチックカッターやヤスリを使うが、壊したり部品のバランスを崩したりすると大変なので、部品の重さを量りながら、慎重に削っていく。完成した部品から飛行機を再び組み上げていくが、主翼など大きな部品もあるので、午前中は朋夏にも手伝ってもらうことにした。

 花見は引き続き、格納庫の机で機体の改造の図面を引く。花見の作業は、きのうより少し手際が悪いように見えた。だから朝から会長の話を聞かないほうがいいんだって。

「冷たい麦茶が入りました。どうぞ」

 研修室で作業していた湖景ちゃんが、冷蔵庫から麦茶を持ってきてくれた。僕も花見も、ほぼ一息で飲んでしまう。明らかに麦茶パックの消費が早い。

 驚いたことに、湖景ちゃんには教官からシミュレーションの新たな宿題が出ていた。今度は機体の風防に直接映し出す3D画像のシミュレーターだという。実機でシミュレーションをしようというアイデアだ。湖景ちゃんの負担が増えることを心配したが、「管理するミニコンは同じですから、システムの信号反応を実機に移植すればすむことですし、画像も多少の誤差に目をつぶってもらうなら、液晶膜型シートをコックピットに貼って接続すればいいから、一日で上がると思いますよ」という、頼もしい答えが返ってきた。

 湖景ちゃんががんばっているなら、機体班も負けられない。機体を早く完成させたいが、調整すべき点は多い。ボードに貼った作業工程表で、終わった作業にカラーペンで色をつけていく。大会は日一日と迫っていて先が思いやられるが、地道に進めるしかない。

「花見君、ここの取り付けってどうするんだっけ?」

「宮前君、チェックシートに指示してある。余計なものまで付けないように」

 レギュレーションに合わせる改修の下準備が、今の作業だ。朋夏はもちろん、僕や名香野先輩だけでもわからないことが多いので、花見の指示はどうしても必要になる。

「なるほどね……そういうことか」

 花見がうなずきながら、機体をチェックしていた。

「え、何だって?」

「ああ、すまない。この部品の意味が、ようやくわかったんだ」

 部品の意味がわからないと、どこまで省いて軽量化できればいいかわからないから、と花見は言った。

「花見は航空部でも、機体のデザインとかしていたのか?」

「いや……もちろん勉強はしていたから一通りの整備とかはできるけど、僕にはパイロットの仕事があるから。あまりそっちは担当しなかったな」

「そういえば、花見君は飛行機に乗るようになって長いの?」

 僕たちの会話を耳で聞いていた朋夏が、横から尋ねてきた。

「十歳になる頃には、一人で操縦していたけど」

 やはり早熟の天才は違う。そして普通の家庭に生まれていたら、花見の才能が見つかることはなかった可能性は高い。

「ところで花見……大会って、どのくらいレベルが高いんだ? 僕たちでも、勝負になるのかな」

 小休止の麦茶を口にした時に聞いてみた。花見はうむ、とつぶやき腕を組む。

「恐らく社会人の飛行クラブも多数、参加すると思う。新技術の記念大会で、航空史上に名前を残したいってクラブはたくさんあるからね。ただ社会人は操縦経験は豊富でも、設計とかの技術力はそれほど高くない。恐らく既存の飛行機にモーターを積むだけで精一杯じゃないかな。むしろ警戒すべきは大学や大学院のチームだな」

 花見は麦茶を飲み干して、カップを机に置いた。

「社会人よりもずっと時間があるし、知識も体力も優れている。いいチームには企業がバックアップにつく」

 花見には、大学の航空部からもスカウトが来るそうだ。そこで資金とかバックアップ体制とかの話を聞いているから、詳しいわけだ。

「すると航空専門の大学とか東大とかが強いわけか」

「否定はしない。ただ国立の有名大学より、地方の新興私立大学が意外に侮れない」

 花見は作業に戻りながら、話し続ける。

 国がスカイスポーツを振興する目的の一つに、技術立国の復権に向けて航空産業に力を入れていることがある。そのため、今では航空関係の就職先は人気が高く、頭脳も体力も優秀な人材が集まりやすい。

 パイロットや航空エンジニアの育成、エンジンや航空機の開発や研究など、どれも大学と企業、学生の興味と利害が一致しているし、同時に資金が物をいう分野でもある。しかも国内には航空分野で先行した有名大学がなかっただけに、新興大学でも資金さえあれば、かなりの線まで到達できるそうだ。

「僕が航空部でこの大会に参加しようとした目的の一つにも、そうした大学の実力を知るという意味もある……LMGは新分野だけに、独創力という計りにくい指標で大学を見ることもできるしね。それは僕の将来にも大きくかかわってくるから」

 花見は将来設計がしっかりしている。この年齢で好きなことがあり、それで大学、その先を考えられることはうらやましい。しかも花見は才能だけでなく、努力を惜しまない男だ。

「花見は将来、何をしたいんだ?」

「そうだな……パイロットは続けたいが、やっぱり設計か整備かな」

 少し意外だった。

「でも花見君、パイロットのほうが花形なんじゃないの?」

 朋夏の質問に花見は手を休め、翼に注いでいた視線を外にめぐらせる。格納庫の窓から見える、澄んだ色の夏の空。

パイロットは自分や乗客しか飛ばせないけど、飛行機はすべての人に空への憧れを持ってもらえるからね。そういう飛行機を作って、動かして、さらに自分で飛ばせたら最高だな。それが夢かな。ただ今はパイロット修行の方を、簡単にやめさせてもらいそうにないけれどね」

 有名税だから、と言った口ぶりからすると、花見は空を飛ぶより飛行機を作るほうに惹かれているような気がした。天才と言われ、パイロットとして将来を嘱望される身だが、人生はままならないものだ。

 ただ花見が真正面から、ひたすら夢に向かって打ち込む姿は、傍から見ていても気持ちがいい。僕も今、空という夢にかけている。しかし今のところ、一夏の冒険に過ぎない。大会に参加する他の連中は、みんな花見のように夢を見ているのだろうか。それなら僕も空に賭けてみても悪くない……。

「それにしても、僕たちはその中で本当に戦えるんだろうか」

 我ながらしみじみとした呟きになってしまった。一瞬、暑さのこもる格納庫を静寂が支配し、遠くの蝉の鳴き声がよく響いてきた。

「わからないな。でも僕たちは僕たちの戦いをするだけだ。作業に集中しよう」

 あれこれ手を動かしている間に、午後一時を過ぎた。昼間はインスタントの冷やし中華となり、バツの悪そうな顔をした名香野先輩が食堂に姿を現したが、花見は教官に声をかけ、別室に行ってしまった。昼食は作業の進展に合わせて自由にとるのが原則なので、集まった五人で食事をすませる。

 食べ終わり作業に戻ろうとした時になって、花見が食堂に戻ってきた。

「教官と話し合い、今後の機体の改修方針とパイロットのとるべき戦術を決めました。全員よく理解してください」