12章 機体に夢を 膨らませ(8)
夜の食事当番は、昨日に引き続き朋夏となった。一日働きづめで、合宿二日目にして早くも気疲れが出つつあった。なんとなく当番を回避したいという雰囲気の中で唯一元気いっぱいの朋夏が、またも真っ先に手を上げたのだ。花見は設計の作業を急ぐ必要上、きょうはお役御免となっている。
「宮前さんのカレーって、おいしいわね」
ほとんど一人で作ったから、もっとも簡単なカレーとなったが、名香野先輩が、感心していた。
「宮前先輩、こんなにおいしいカレーが作れるのは尊敬です!」
湖景ちゃんも、すっかり感動モードだ。
「なんか名香野先輩と湖景ちゃんにほめられるとうれしいなー」
「カレーだけはうまいんだよ、朋夏は」
テーブルの向こうから紙皿の円盤が飛来し、僕の額をしたたかに打った。
「失礼ね! 豚汁とか焼きそばとかお好み焼きとかフランクフルトとか、そういうのも得意だもん!」
「まるで縁日だな」
二枚目の円盤は、これあるを予想してあざやかにかわした。その避難先の鼻柱に猛スピードで飛来した金属スプーンは、予想できなかった。
「いててて……」
「ざまあ見なよ。空太の避け方なんて、先が読めてるよ」
「それでも朋夏君の料理はすごいよ。合宿とかでは重宝されそうだ」
花見の評価も、なかなか高い。
「でも、朋夏は寸胴や中華鍋や鉄板を使わない普通の料理は微妙だろ?」
昔朋夏がオムライスと宣言した後で、チキンライスとスクランブルエッグが出てきた時は、自分の耳か記憶のどちらかがイカれたかと、本気で思った。
「湖景ちゃんはどうなの? 料理とか、得意そうじゃない」
朋夏の無邪気な発言に、湖景ちゃんが胸を張った。
「ダメです! まったく! 自信があります……ダメな方に!」
とても珍しい自信満々な湖景ちゃんだった。ダメな方、だけど。
「それならこの合宿中に、お姉さんに教えてもらったら、どうかな?」
「あ……!」
湖景ちゃんと目が合ったので、ウインクで合図をした。
「いいわよ、もちろん指導するわ」
名香野先輩もうれしそうだった。まずは、フォローがうまくいったらしい。
「花見も上手だよな。この前の麻婆豆腐とか」
「だから僕は、合宿とかで作ってるんだって。栄養バランスはあるけど、味は保証しないからね」
「私は食べる方なら、自信があるよー」
今度は会長が胸を張った。誰もあなたには聞いてませんって。
夜は全員が格納庫に集まり、プログラム改良に取り組む湖景ちゃん以外は部品の削りこみをした。リムが中心で、終わった順に組み立てていく。削る作業にも慣れてきて、作業はスムーズに進んだ。
「そう言えばピッチ角の自動調整って、具体的にどうやるんだい?」
僕は隣でミニコンに没頭している湖景ちゃんに尋ねてみた。
「えーと……簡単に言うと、機体の状態を見ながら回転とピッチ角を自動調節する仕組みですね」
湖景ちゃんは小さな頭でいろいろ考えながら、話を進めてくれた。その努力は素直にありがたいので、「簡単に言うと」という言葉に先輩としてちょっと傷ついたことは、黙っておくことにしよう。
「飛行機はバッテリー切れの寸前まで、プロペラを全速で回転させて上昇させます。そこでプロペラを止めてピッチ角を変え、空気抵抗をなくすんです。後は急降下で速度を稼いで、操縦桿を引いて低高度の巡航に入ります」
機械に弱い僕に理解してもらおうと、身振り手振りで必死に教えてくれる。いちいちその様子がかわいいので、つい見とれてしまっている。
「速度に応じて、ピッチ角を細かく変える方法もあると思うんですが……」
「その辺は、今回はパスでいいよー」
そう声をかけてきたのは、格納庫の入り口に姿を現した会長だ。
「会長さん、もう図面書けたんですか?」
「バッチリ。それでさっきの件だけど、速度に応じて変更すれば距離は稼げる気はするけど、さすがにトラブルの可能性が多くなる気がするねー」
「無理ですか?」
少し湖景ちゃんが、残念そうだ。
「無理じゃないけど、確実に効果を上げるには、プロペラのピッチ特性測定をしないと判断できないんじゃないかなー。それには大学の風洞実験施設でも借りられないと、測定ができないよー」
「じゃあ通常角とゼロ角の二種類、でいいんですか?」
「うん。それもバッテリー残量で、自動的に切る仕組みでいいんじゃないかなー」
その時、耳慣れない着信音が響いた。誰の携帯だろう、とみんなが首を回したが、会長が一人だけ胸元を探った。少し表情を曇らせた後、立ちあがって格納庫の入り口の方に歩き、僕らに背中を向けてピンクの携帯を耳に当てた。
「はい……沙夜子です……はい……はい……」
会長は声を押し殺すように、小さく答えていた。名前で答えていたから、たぶんご家族だろう。総合商社の社長の娘というのは前にわかったが、会長の家族はなぜか想像しにくい。そういう生活感の薄い人なのだ。
「……あの、今は忙しいので……また今度でお願いします……はい、失礼します」
会長はそう言って電話を切った。背中で軽いため息を見せると、何事もなかったような表情をして、僕らの近くに戻ってきた。
「ええと、会長さん。バッテリーで自動で切るというのは?」
「え?……ああ、ごめん。つまりピッチの自動動作は一回でリセットにして、再起動後は戻らないようにしたらどうかなー。バッテリーの残量に多少の余裕は必要だし、水面飛行に入ってから最後の一漕ぎをする可能性もあるから。いいよね、ハナくん?」
「はい、結構です。本当にお詳しいですね」
「たいしたことないよー。何でもできる器用貧乏のソラくんには勝てないねー」
あ、今さりげなく人を貶めた。
「いや、航空機に関する知識はたいしたものです」
花見が太鼓判を押した。
「どこかで勉強したことがあると思うのですが。僕が航空部長の間に知っていたら、間違いなく勧誘していたのに」
「……別に、欲しくて覚えた知識や技術じゃないから」
急に会長の態度が素っ気なくなり、ついと場を外してしまった。花見は気づかずに作業に戻っている。
合宿に入ってからの会長のことを思い出した。会長はとても変わった人だが、この二日間に限ってはまるで子供のように、不自然なほどはしゃいでいた気もする。
ひょっとして僕らの視線がないところでは、会長は真逆の顔を見せているのではないだろうか。そんな感想が浮かんだ自分に少し驚きながら、僕は会長が消えた格納庫の入り口をしばし見つめた。