二次創作小説「水平線の、その先へ」

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13章 重ねた努力に 裏切られ(9)

 夜空には、手を伸ばせば届きそうな星が無数に瞬いていた。

 機体の計器チェックは夕方までに終わり、仕上げの組立作業は十時過ぎに終わった。僕は機体の重心測定などの作業をみんなに任せ、遅い風呂を浴びることにした。

 着替えとタオルを持って部屋を出ると、廊下で朋夏と会った。朋夏は窓からじっと、格納庫の明かりを見つめている。

「少しは休めたか、朋夏?」

「うん……でも、あたしだけ休んで、いいのかなって気がする」

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 朋夏は視線を動かさないまま、軽いため息をついた。朋夏がそんな表情を見せるのは珍しい。

「なんか自分がふがいないっていうか、情けないっていうかね……みんながあんなにがんばっているのに、操縦練習はうまくいかないし、体調も崩しちゃうし。あたしって、お荷物にしかなってないんじゃないかな」

「なんだ、そんなくだらないことで落ち込んでるのか」

「くだらないことじゃないよ! 真剣に考えているんだよ!」

 朋夏は口をとがらせたが、僕は笑い返してやった。

「僕たちはチームだろ? パイロットである朋夏を僕たちが全力でサポートし、朋夏がそれに応える。そういう関係があれば、それでいいんだよ」

「でも教官は、空の上では一人だって。あたしががんばらないと……」

「教官は、朋夏に機械になれって言ったわけじゃない。チームなんだから、一人で責任を背負い込んじゃダメだ。名香野先輩が、それで失敗しただろ?」

「そう……そうだよね」

 朋夏が笑ってくれた。朋夏にはやっぱり、笑顔が似合う。

「みんなに悪いけど、きょうはもう休むよ。明日からまた、がんばるから」

「ああ、お休み」

 朋夏は安心した表情を浮かべ、部屋へ戻っていった。

 久々に一人でゆっくりと湯船につかり、出た頃には十一時を過ぎていた。花見はその間に部屋に戻ったようで、すでにベッドで寝息を立てている。虫の鳴き声と打ち寄せる波の音が、耳に心地よかった。

「……ん?」

 網戸越しに、格納庫の明かりに気づいた。もしやと思って行ってみると、果たして格納庫の机に、また小さな背中があった。

 夢中になってキーボードをたたいていて、僕が近づいたのに気づく様子もない。集中を削ぐのも悪いと思案をめぐらせた時、部室から格納庫に持ち込んだコーヒーメーカーが、目に入った。

「ふう……」

 湖景ちゃんが手を休めて一息つき、お気に入りのカップを持って、中が空であることに気づく。そして振り返り、いま淹れたばかりのコーヒーを持っている僕の姿を、ようやく認めた。

「あれ? 平山先輩、いつのまに……」

「邪魔したら悪いと思って。コーヒーを作っていたんだよ」

「黙って近づくのも、人が悪いですよ」

 湖景ちゃんは笑っていた。どうやら冗談らしい。

「いいんですか? コーヒーをいただいて」

「うん、二人で飲むために淹れたんだから」

「なんだか悪いです……平山先輩は、機体の製作とか、宮前先輩のサポートとか、本当に大変なのに」

「湖景ちゃんには勝てないよ。こんな遅くまで、一人でプログラムの作業をするなんてさ」

 湖景ちゃんの視線が、少し弱くなった。

「私には、これくらいしかできませんから」

「そのこれくらいが、みんなを助けている。忘れたの、ネガティブ思考禁止」

「はい」

 再び、湖景ちゃんの顔がほころぶ。

「そうでした……でも先輩は優しい人なので、最近は好意的な評価に甘えないよう、気をつけています」

 普通に評価していたつもりだが、この子はこういう発想になるのか。まあいいや、のんびり前進すればいい。

「明日、やっとこの機体のテスト飛行だね」

 組み立ての終わった翼が、二十年ぶりに大空を翔けるその時を、今は静かに待っている。自動ピッチ角調整システムは未完成だが、シミュレーションに必要な飛行データを取ることはできそうだという。

「それで、システムのチェック? シミュレーター?」

「システムのほうです。もちろんシミュレーターにもそのまま反応させるので同じことですが……実は、不具合の原因がわかりまして」

「と、いうと?」

「ノイズです。操縦桿などの動きをそのままセンサーで感知させているんですが、時々異常に大きな数値が入ってきていまして……当たり前なんですが、センサー類に頼りすぎると、こうしたノイズを拾ってしまって、まるで飛行機が急制動したかのように計算して動いてしまうんです」

 気持ちが落ち着いているせいか、いつもよりも淡々とした口調だった。

「それで安全度を高めるために、システムの冗長度を大幅にとるように、設計を見直しています。つまり想定外の数値が入ってきた時に無視する設計ですね……でもどのあたりに線を引くのが一番適しているのか、そこがなかなか判断しにくくて」

 湖景ちゃんの手元に、難しそうな安全工学のマニュアル本がある。どうやら深夜に読んでいる本を、早くも吸収して生かそうとしているらしい。

「湖景ちゃん……少しずつ経験値、増やしているね」

「はい?」

 きょとんとした顔をした。

「経験値。この合宿でさ、いろいろ経験して成長するのが目標なんだろ」

「あ……はい」

「この本も、そう。それに料理も、身の回りの世話も。何かも初めての経験が、少しずつ力になっているんじゃないか」

「料理は……言わないでください」

 湖景ちゃんが失敗したのは、最初のビーフストロガノフだけだ。あの後は厨房に入っても、無難に作業をこなしている。もっとも、パートナーが味付け作業になるべく触らせない配慮はしているのだが。

「でも平山先輩に合宿に誘っていただいて、決心して、ここまでくることができました。私、二学期になったら、もう少しクラスのみんなとお話をしてみようかと思います。なんだか世の中には、面白いことがたくさんあるだなあって……そういえば、最初に海を見せてくれたのも、平山先輩でしたね」

 六月に会長に騙されて旧校舎に来た時、湖景ちゃんは初めて海を見たと言っていた。僕達にとって、なんでもないことの経験の積み重ねが、湖景ちゃんを成長させている。いつか僕の気遣いが必要なくなるその時が来たら……いや、それは素直に喜ぶべきことなんだろう。

「それより、もうすぐ日付が変わるよ。そろそろ上がったら?」

「キリのいいところまでやってしまいますので……あと三十分、約束です。それで上がりますから」

 無理はして欲しくなかったが、ここは湖景ちゃんのやる気を尊重するのが得策だと思った。

「そうだ、湖景ちゃん。遅くなったけど、誕生日、おめでとう」

「え……あ、はい! ありがとうございます、平山先輩!」

 湖景さんが満面の笑みで、ぺこりと頭を下げる。おやすみなさい、と言う湖景ちゃんの声と後ろ髪を振り切って、僕は格納庫を後にした。