二次創作小説「水平線の、その先へ」

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16章 輝く未来の 懸け橋に(5)

 

 夕食の片づけを終わると、外はすっかり暗くなっていた。やはり食事の間に一雨きたらしい。外は山風に変わり、涼しい湿気を運んでいる。

 夕食は会長が担当した。といっても、僕らが準備をしようとすると、すでに大鍋に温かいブイヤベースと完璧なサラダができあがっていて、作り主の姿だけがなかった。代わりに片づけられた食器が一人分、洗い場にあった。ブイヤベースは素晴らしく美味だったが、僕たちは黙々と食事を続けた。

 もう一人、この場に姿を現さなかった人がいる。教官だ。僕は食事が終わると、教官の姿を探した。部屋にも風呂にもいない。すると教官がいそうなところは、一つしかない。

 屋上の扉を開けると、果たして昨日と同じように、新聞紙を広げて座る教官の姿があった。僕はその隣に行って、黙って腰を下ろした。きのうと同じく、ビールと焼酎、それに乾物が並んでいる。きょうは空に薄い雲がかかり、星はほとんど見えない。ただ朧月だけが雲間から時折、光を覗かせていた。

「首尾は、どうだった?」

「朋夏は心を開いてくれました。でも会長が……」

 完璧に失敗した。

「やはり僕に会長を説得することは、無理なのでしょうか」

 僕は自分の推理を、教官に話した。

 会長がLMG大会を目指し、宇宙科学会を立ち上げたこと。飛行機を作るために必要な人材を集めていったこと。パイロットとして有望な花見の勧誘に成功し、朋夏を外そうとしたのではないかという疑念。教官は僕が話し終わるまで、ずっと耳を傾けていた。

「なるほど、な……一応、筋は通っている」

 教官はごくりとのどを鳴らして、ビールを飲んだ。

「だが俺は、お前の推理がすべて正しいわけではないと思う。古賀がお前に心を開かなかったのは、そこに原因があるのではないか」

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   え、と思い、僕は教官を見つめる。

「まず第一にLMG大会の件だ。大会を発案したのは、この俺だ」

 会長の言った通り、モーター飛行機の開発については世界の航空技術各社が激しくしのぎを削っていた。教官の会社はバッテリーの重量という技術的な問題をもっとも早くクリアし、必要な特許は取った。しかしライバル会社も別の新技術を使った飛行機用軽量モーターを、年内には発表するはずだという。

「だからこそ、まずこの分野で先頭であることを社会に印象付けなければならん。そのために俺が大会を提案した」

 なるほど。だがそれなら僕の推理は間違っていないのではないか。

「わからんか。俺がLMG大会を上司に提案したのは去年の八月だ。それまで大会の構想はすべて俺の頭の中にあった」

 去年の八月。

 あっ、と僕は声を出した。

 会長が宇宙科学会を立ち上げたのは二年前の秋。僕が入部したのは去年の四月、朋夏が入部したのは七月末。

 つまり僕や朋夏の入部とLMG大会は、何の関係もない……?

「ですが鋭い会長のことですから、大会というPR手段くらいは予想したのではないかと……」

「業界の内情に精通していればLMGの開発は予想できる。しかし去年の夏の時点で、いつ完成するかを事前に知るのは不可能だ」

「でも会長は総帥の愛娘ですし……」

「甘いぞ平山。ビジネスの世界の秘密は、家族だろうと恋人だろうと夫婦だろうと、絶対に秘密だ。その程度の常識を弁えない総帥ではなかろう」

 これには反論のしようがない。

「不審な点は、もう一つある。それはお前のことだ、平山」

 僕のこと?

「古賀がお前を宇宙科学会に勧誘した、本当の理由だ」

 会長は、僕のことを知っていた。コンサートであの子が死んだことも、その後で僕が音楽学校への推薦を断ったことも、すべて承知していた。

「古賀がお前を知っていた理由は、難しくない。もともと総帥の会社が文化振興のために創設し、主催する大会だ。一族令嬢の社会活動を芸術分野や慈善活動から始めさせるのは、よくある事例だ。だからホールに古賀がいたとしても、選考の裏事情やその後の経過を知っていたとしても不自然ではない」

 それで謎は一つ解ける。

「だがな、平山。古賀がそのコンサートでお前を知ったとしても、だ。それがお前を宇宙科学会に勧誘する理由と、どうつながるのだ?」

 確かに僕には、会長に会ったという記憶がない。あの子のことが頭にあって、気もそぞろだったのは事実だが、あの場で話しかけてきたのは大人ばかりだった。ホールに会長がいたとしても、気に入られる理由がない。

「宇宙科学会で音楽でも始めようというならわかる。だが古賀はそんな素振りさえ見せず、飛行機作りを始めたのだろう? 古賀はお前の何を評価し、何をするために宇宙科学会のメンバーとしてお前を選んだのか?」

 よく考えれば、会長が種明かしをしたのは僕を事前に知っていたことだけだ。

 僕をなぜ勧誘したのか、という問いにはまだ答えていない。

 僕と会長は宇宙科学会での一年三か月、その大半の時間を遊んでいた。

 僕と朋夏の入部がLMGと無関係とすれば、会長が湖景ちゃんを勧誘した理由も怪しくなってくる。

 そうなると名香野先輩の加入も、花見の加入も、飛行機作りに役立つ人材を引き入れた点では事実だが、事前にリサーチしていたというより「成り行き」の線が濃いのではないか。

 もし僕が見当外れな推理を、会長の前で語っていたとしたら。

 会長が僕に本音を言わないのも、無理はない。

「失敗した……」

 歯がみをした。大事なチャンスを失ってしまった。会長は理解を拒絶するように見えて、誰かに理解されたがっている。その役割を僕に期待をしていたのかもしれないのに。僕は先に会長の話を聞くべきだった。

「平山」

 気分が沈み頭を整理しきれていない僕に、教官が声をかけた。

「飛行機とは、何のために存在しているのか?」

 また禅問答のような質問だ。僕には答えられない。

「飛行機とは飛ぶために存在している。それ以上になっても、ならなくてもいけない。そのあまりにシンプルな理由のためにこそ、飛行機の翼はある」

「それは、わかっていますが……」

 教官がゆっくりと空を見上げた。

「そして翼は、人類が憧憬して決して届かないもの、空を飛ぶ夢を乗せているのだ。誰でも最初に飛行機に乗った時には、興奮する。あるいは畏れる。俺たちが何も感じずに飛行機に乗るのは、その感動を忘れるからだ。飛行機とは本来、夢や畏れ、希望や不安、人のすべての心を運ぶものだ」

 こういう時の教官は、少年のような顔になる。

「その翼が過去にどのような風を舞ってきたのか、どのような人の想いを乗せてきたのかに思いを馳せるなら……いや、乗せていればこそ、だ」

 教官は僕を見つめた。

「翼はどんなに博物館で気高く装飾されようと、風のない地面の上で時を重ねることを決して良しとしないだろう。あの機体のように」

 そういえば、会長が海鳥の翼の話をしていた。

「平山。お前にとっての翼は何か。古賀にとっての翼とは何か。津屋崎の、名香野の、宮前の、花見の翼は何か。そこをよく考えてみてはどうか」

 なんだろう。僕らの思いを乗せ、夢を乗せ、畏れを乗せ、希望を乗せ、不安を乗せるものはなんだろう。

「そして、全員の翼の思いをどう受け止めるか、だ。あとは、お前の判断に任せる。そして、これは俺の勝手な頼みなのだが……」

 珍しく、教官が少しためらった表情を見せた。

「古賀を守ってやってくれ。あいつは大人のような素振りを見せているが、中身はお前らと同じ高校生だ。多感な時期であり、迷いもある。そのことを忘れないで欲しい」

 酔眼ではない、真剣な瞳が僕の目をとらえていた。

 教官は、自分が会長から恨まれていて、会長が自分を呼んだのはビジネスだと言った。しかし僕は違うように思う。会長は数少ない信頼できる大人だからこそ、教官を僕たちの仲間に引き入れたのではないか。

「がんばってみます……僕にどこまでできるかわかりませんが」

 教官と話ができたことで、会長の周りに停滞していた雨雲が少しだけ動き始めた気がした。だがこのままではいくら待っても、晴れることはない。

 教官は実行委員会の仕事で会場に張りつくため、明日は不在にすると告げた。そして酒と肴と新聞紙を片づけ、一人で階段を下りていった。