17章 夢をみんなで 追う路は(9)
「平山先輩。ウチ、朋夏先輩の無視界飛行の件、記事に書きました。ちょうどあすが定期発刊日なので印刷して、学内ウェブでも公開するつもりです」
水面ちゃんが胸の前で広げて見せたのは、朋夏が目隠し飛行をすることを非難する記事だった。
「最初に言っておきますが、ウチが関係者である平山先輩に事前に記事を見せたのは閲覧修正させるためではありません。一字一句このまま掲載いたします。平山先輩には記事を承知の上で、最後にきちんとコメントをいただこうと思いまして。ノーコメントならそれはそれ、一切かまいませんが?」
よく見ると学園新聞ゲラ刷りのトップ記事で、下に5行ほどの空欄がある。ここに僕の名前と談話が入るという仕組みか。確かに書くことは止めなかったが、ここまで素早く行動するのは予想外だった。
「目隠し飛行。こいつは本当か、平山?」
上村が記事を斜め読みして、非難めいた声で聞いてきた。
「いかに成功率が高くても、正直言ってその飛行法は勧められんぞ。明らかに航空法に抵触する」
「心配ない。朋夏はそんなことはしない」
僕は笑った。
「もう目隠しせずに飛べるよ。それができなければ、僕が最終飛行テスト前にパイロットを花見に変更すると決めていたからね」
約束は、全員の賛同。
つまり最後に僕の賛成がなければ、朋夏はパイロットになれない。
朋夏は昨日の午後、シミュレーターで二時間あまり目隠し飛行の特訓を続けた。最初は何度か失敗したものの、一時間もすると僕も機首上げを指示するタイミングをつかめてきて安定した飛行ができ、墜落がほぼなくなった。
そこで朋夏が「目隠しを取りたい」と、自ら申し出た。
「あたしは絶対に落ちないってわかったから、もう大丈夫。ただし計器を中心に見て、機首は空太の指示で上げる。信じてるよ」
そして朋夏は目隠しを持たずシミュレーション飛行に挑み、気絶することもなく一発で完璧にクリアした。その後は風に変則的な条件を加えて訓練を繰り返した。朋夏は落下時に機体を制御することに専念し、操縦桿を引くタイミングはすべて僕に任せた。
失神も墜落もしないとわかると、朋夏の腕はみるみる上がった。朋夏はやはり根っからのアスリートだった。最も失敗率が高く、最も遠回りに見えて、水面飛行をギリギリの低さで成功させるための最も近い道を、これまで全力疾走していたんだ。
夕方、実機を使った最後の試験飛行も、もちろん有視界で行った。そして完璧な操縦を見せた。朋夏は自分の力で、土壇場になってトラウマを乗り越えた。
「つまり平山は自分が宮前嬢を一番信頼しているふりをして、本当は最後に切るつもりだったのか」
上村があきれたような声を上げる。
「まあね。それに僕がうんと言っても、確実に教官が飛行を許可しない。それなら僕がやめると言えば決着する話だった。ただ短時間で朋夏が心の傷を克服するには全員を精神的に追い詰めて、がむしゃらになって取り組んで、朋夏が全員を、全員が朋夏を信頼するしか方法がないと思ったから」
正直、成功する可能性は低いと思った。だが、朋夏はやはり朋夏だった。
「……俺から見れば、あんな個性的な連中をまとめたお前のほうが、よほどすごい奴だと思うがな」
上村が目を細める。
「仲間の信頼を逆手に取るとは、お前は俺以上の策士だ」
ふと気づくと、ゲラ刷りを手にしたまま、呆然とする水面ちゃんがいた。
「そんな……それじゃ、ウチの書いたこの記事は」
「ごめん、誤報だ。すぐに刷り直したほうがいい」
「というより、千鳥さんは書く前に最後の裏取りをしなかったのか? それは記者の責任を追及されても文句は言えんぞ」
水面ちゃんは完全に真っ青になっていた。
「やれやれ、大変なことだな。明日までに記事を書き直すしかあるまい」
上村が立ち上がって尻についた砂を払い、「委員長によろしく」と、手を振りながら立ち去っていった。
「そんな……今から直すなんて、無理……」
「出す前でよかったじゃないか。発行日を一日遅らせればいい」
「だから無理なんです! もともとウチの特ダネを載せるために報道委員長を説き伏せて一日遅らせて、印刷所にも無理を言って日曜日に開けてもらっているのに、また明日に回すなんて……!」
「誤報のままにするの?」
水面ちゃんは、ぶんぶんと首を振った。
「そんなことできません!」
「じゃあ今から書き直すしかないだろう」
「でも学園新聞のトップ記事なんですよ! 昼過ぎには校了だから大会の結果も入らないし……今から別の記事を作るなんて不可能よ……」
水面ちゃんは瞳に涙をためたまま、ぺたんと駐車場のアスファルトに座り込んでしまった。
水面ちゃんの完全なフライング。「書けばいい」と言ったのは僕だが、まさか学園新聞の発行日が翌日で、一日で書いてくるとは思わなかった。それで後輩の元気な女の子がしょげ返る様子を見ていると、さすがに気の毒になった。
その時、アイデアが浮かんだ。
「水面ちゃん。上村を追いかけるといい」
「上村……さん? どして?」
「さっき上村は『委員長によろしく』って言ってたよなあ。あれ、どういう意味なんだろう?」
水面ちゃんが、うつろな瞳を僕に向けた。
「中央執行委員長って、上村さん……でしょ?」
水面ちゃんは、しばらく不思議そうな顔をしていたが、急にはっとした。何かヒントをくれようとしている……そのことに気づいたのは記者らしい直感だ。
「私は上村さんを追いかければいいんですね?」
「そうだ。よく話を聞くといい。きっと特ダネのトップ記事が作れるよ」
「……わかりました!」
水面ちゃんは海水浴客に紛れそうな上村の方に、一目散に駆けていった。
上村の意図は読めている。夏休み中のさりげない交代劇で、目立たないように中央執行委員会を元に戻し、歴史の傍観者に戻るつもりなのだ。しかし事情はどうあれ、一度トップに立った以上はメディアの前で相応の説明をするのも責任のうちだ。
騙された仕返しとしてはささやかだが、上村の知略に免じて許してやるか。そう思った時、水面ちゃんの足が巻き上げた砂が口に飛び込んできて、少しむせこんだ。
会場に、参加チームの集合を呼びかけるアナウンスが響いた。