二次創作小説「水平線の、その先へ」

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5章 僕らは前に 進み出す(6)

          6

 

 6月25日(土) 南西の風 風力3 晴れ

 いつもは放課後に旧校舎へと直行するのだが、きょうは教官の指示で、朋夏と一緒に内浜市民滑空場に向かった。飛行機が完成すれば操縦や滑空などの動きをチェックする必要も出てくる。僕が全体を目配りする立場として飛行訓練を一度は見ておいた方がいいという、教官の意見だ。

 きょうは湖景ちゃんの体調にも問題がなく、名香野先輩も委員会の仕事を他の委員に任せて作業に加わってくれるという。「ソラくんの代わりに、私が格納庫に行くよー」と会長がありがたいメールをくれたが、本音は飛行機を眺めるのにそろそろ飽きたのではなかろうか。

 滑空場にはグライダーやウルトラライトプレーンがいくつも並び、スカイスポーツの愛好家でにぎわっていた。朋夏はさっそく運動着に着替えて、グライダーの指導員らしき人と親しげに話している。ここ三週間、土日は滑空場に入り浸りだったから、すっかりなじみになったのだろう。

 僕は朋夏と一緒に、コックピットにある計器について、教官から一通りの説明を受けた。飛行機の計器というので複雑なものを想定していたが、自動車より少し多いくらいだった。燃料エンジンが電気モーターになると、さらに計器が減るという。素人向けのかんで含めるような教官の説明を、朋夏は事前に理解しているようだった。復習も兼ねているのだろう。

 教官と指導員が打ち合わせを始めたのを見計らって、朋夏に声をかけた。

「きょうは何をするんだ?」

「このULPに乗って、操縦の訓練を始めるんだよ。楽しみだなー」

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 朋夏がぽんぽんと、白い機体をたたいた。ULPとは、ウルトラライトプレーンの略称だそうだ。もっとも、僕たちが作っているキットの一・五倍近くはある。よく見るとキットと違って、前後に二つの座席がついていた。パイロット訓練用の複座機という奴だろう。

「もう操縦って……大丈夫なのか?」

「座学と3Dシミュレーションの飛行訓練は、トレーニングの合間にここで散々やってきたからね。きょうはあたしが前、教官が後ろに座りまーす」

 朋夏はこの一週間、休み時間も昼食時間もほとんど席を離れず、ひたすら航空工学や操縦教本を読み込んでいた。授業中にもこっそり本を開いていたようだ。勉強は苦手と言いながらやるとなったらこの集中力は体育会系、と感心してしまう。

「宮前、そろそろ時間だ」

「オス、教官。よろしくお願いします!」

 朋夏は元気よくあいさつをした。

「この機体はキットと同じグライダータイプだが、モグラとは似て非なるものだ」

 教官が話しかけているのは、主に僕のようだ。

「ULPは重量が軽く、その分エンジンの推力は少なく、スピードも遅い。ただこの機体は主翼が大きく安定性もいいから機体は扱いやすいし、パイロットにとって最大の難関である離着陸が比較的やさしいのが特徴だ」

「いいことずくめですね。でも滑空場であまり見かけない機体に見えますが」

「平山、いいところに気づいたな」

 珍しく教官が僕をほめた。

「滑空場周辺の野原が広いヨーロッパやアメリカでは人気のある機体だが、民家や建物、気流が不安定な山岳の多い日本では、レジャー用ULPの飛行空域がどうしても限られる。日本で空中散歩するなら、グライダータイプより旋回性能がいい機体の方が扱いやすいのだ。滑空したいならスピードも高度も取れるモグラにすればいいからな」

 確かに僕たちの挑む距離競技に小回りは重要ではない。方向は海だし、風を受けるなどしてコースが曲がった時、修正できれば十分だ。

「機体の速度が離陸可能速度に達した時、操縦桿を軽く引けば自然に浮く。ただ速力不足で横風などを受けると失速しやすい状態だから、早めに速度と安全高度を確保することを忘れるな。特にLMGはバッテリーが三分ほどしかもたん。いかに順調に速度と高度を確保するかが勝負と思え」

 教官はそんな注意事項や操縦のコツを朋夏に教えていった。これも大半は座学の復習らしく、朋夏は質問せずにうなずくだけだ。

「宮前、準備がよければ行くぞ」 

「オス、教官!」

 朋夏はULPに駆け寄り、翼の前から上ってコックピットに体を沈めた。

 滑空場の上空は旧校舎のグラウンドから朋夏と二人で眺めたあの日のように、ひたすら青く青く広がっている。北側には梅雨前線と思しき黒雲も広がっているが、上空からは夏の太陽が容赦なく照りつけていた。

 朋夏が操縦席に乗り、今まさにあの蒼穹へと飛び立とうとしている。自分が飛ぶわけでもないのに、こんなに胸が高ぶるのはなぜだろう。名香野先輩や湖景ちゃんにも早くこの姿を見せてやりたい。僕たちが作っているのがこの大空を飛ぶ道具なのだ、と想像するだけで身震いがする。

「空太あ。いってきまーす」

 朋夏が元気よく手を振って、風防を締めた。その時、教官の口が大きく開き朋夏が首をすくめていたから、多分「はしゃぐな」とか怒鳴られていたのだろう。目の前のプロペラが回り始めてまもなく、機体がゆっくりと滑り出し、滑走路へと向かっていった。

 滑走路の端についた飛行機は、機首を回頭してまもなくエンジン音が大きくなり、滑走を始めた。車輪が地面から離れると、少し揺れたがすぐに姿勢を取り戻し、真っ直ぐに海に向かって飛んでいった。

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 機体はしばらく直線飛行をしながら高度を上げたあと、右に旋回し、水平飛行を始めた。やがて、機体が小刻みに揺れたり、機首を左右に変えたりし始めた。本格的に朋夏の訓練が始まったらしい。朋夏がどんな気分でいるかはわからないが、下から見ていると、優雅に飛んでいるように見える。

「宮前君の飛行機は、あれかな?」

 いつのまにか、僕の横に航空部長の花見が立っていた。朋夏の飛行機の方を指差している。

「花見も来ていたのか」

「ああ、航空部は予算の制約もあるから、グライダーを毎週飛ばすわけにはいかないからね。時々、個人訓練でこっちに来ている」

 太陽の近くを通り過ぎる朋夏の飛行機を、花見は額に手をかざしながらじっと見つめていた。

「宮前君、操縦は初めてかい?」

「そう聞いているけど」

「度胸あるね、あの娘。風があるから不安だと思うけど、落ち着いてコントロールしている……そういえば宮前君は中学の時、体操の五輪代表候補選手だったって?」

「ああ。体操は、一年前にやめたけどね」

「だからだね、いいセンスをしているよ。体操をやめてしまったのは残念だけど、それで僕らの仲間になってくれたのであれば、素晴らしいことだ」

 花見は心底、飛行機が好きなのだ。僕たちはライバルのはずだが、花見は空の話になると、僕にもうれしそうに話す。

「そうだ、平山君には残念なニュースを伝えないといけない」

 こちらを向いた花見が、航空部長の顔になっていた。

「委員長が、君たちの活動に参加している件だ。僕たち航空部は来週の月曜日、正式に中央執行委員会に抗議することになった」

「あ……」

 すっかり忘れていた。上村の懸念が、航空部で現実化したわけだ。とはいえ、こちらが謝る理由もない。名香野先輩にも審査の公平性にも、やましい点は何もないのだから。

「抗議するのは航空部の自由だけど、僕たちは勘ぐられるようなことは何一つしていない。宇宙科学会が委員長を引き込んで審査を有利に働かせよう、なんて思っているとしたら、はっきり言うけど邪推だ。僕たちは委員長としてではなく、純粋にエンジニアとしての名香野先輩の腕を買って、協力をお願いした。それに距離競技に不正の働かせようもないし、負ければ僕たちの部が解散という事実にも変わりはない。委員長も僕たちも潔白だよ」

「だろうね」

 花見があっさり僕の主張を認めてしまったので、拍子抜けした。

「じゃあ……なぜ、抗議を?」

「僕がそう思ったって、部員がそうは思わない。噂の真偽はどうあれ、ここは部として筋を通すべきだ、という方針が部員の総意で決まった。そして僕は部長だ。部員の総意をないがしろにするわけにはいかない」

 俺たちが信じても仕方がない、という上村の言葉が頭に浮かぶ。やれやれ、と花見は肩をすくめた。

「委員長の気まぐれの理由は知らないけど、僕にとっては、ああいう優秀な頭脳の人が飛行機の世界に参加してくれるのは大歓迎だ。だが、互いに部のプライドをかけた戦いとなると、それで済ますわけにもいかない……気分を悪くしたかもしれないけど、許してくれ」

 花見はそれだけ言うと、朋夏の機体に視線を戻した。名香野先輩の委員会内の手腕と影響力は絶大だ。しかし事が本人の問題だけに、名香野先輩抜きで制裁が決められる可能性も否定できない。そう思うと、今まで絶対に大丈夫と思っていた自信が、急に揺らいでくる。

 名香野先輩には明日伝えることにして、この日の夜、先に会長にメールで相談してみた。会長からは予想通りだが、「あんまり心配しなくていいよー」という返事が、すぐに返ってきた。

 会長は、飛行機製作の全責任を名香野先輩に押しつけた張本人だ。やり方は強引だが、先輩の手腕を認めていることは間違いない。機体の完成は近づいたが、モーターを積んで調整する難作業が待っていることを考えると、先輩が動けなくなりそうな事態には、会長は必ず手を打つはずだ。その会長が「大丈夫」と言う以上は、きっと何か先が見えているのだろう。