5章 僕らは前に 進み出す(3)
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6月21日(火) 風弱く 雨
以前は遊ぶだけだった放課後の時間が、それどころではなくなっている。あれほど苦労するのが嫌だと思っていたにもかかわらず、ほんのひと月前までの楽だった宇宙科学会を懐かしむ感情がわかない。
僕は会長の魔法にかかっているのだろうか。機体作りには、克服すべき課題が山ほどある。そして予選会まで時間がない。今できることは何でもやっておかないと……それにしても、なぜこんな熱血の部になってしまったのだろう。
この日は名香野先輩も旧校舎の作業に最初から参加してくれた。コックピットとメインブームに、胴体からつながる金属索を張る作業だった。これが結構、力も手間もかかった。
「……こんなものかな?」
「いいはずですよね」
図面と交互に見ながら、一時間以上かけて鉄製の索を張り、湖景ちゃんと二人でチェックしたが、これで本当に正しいのか自信がもてない。
「名香野先輩、結構引っ張ったんですけど、これでいいんでしょうか?」
「ええ、そうね、うーん……」
先輩までもが困惑した顔をしている。
「ごめんなさい、飛行機の中でどう動くか想像してみているんだけど……さすがに飛行機専門の稼動系の具合となると、よくわからないわ。こうしてみると、滑車と索が浮いている部分が結構あるんだけど……」
「でも、いい感じじゃないですか。設計図がそうなら、それが普通なんでしょう」
「でもね、うーん……」
言われてみれば、ペダルを踏んだら滑車にうまくはまって作動するのか検証したわけではない。結局、三人で考えても、よくわからない。
「その疑問には俺が答えよう」
教官が姿を現した。教官が飛行機作りに自分から口を出したのは初めてだ。それだけポイントになる作業ということか。
「この機体はエルロンを使わず、ラダーで旋回を行っている。この索はラダーを動かす力を伝達する役割を担っている……ここまではわかるな?」
「エルロン? ラダーってなんですか?」
「平山先輩、エルロンは補助翼、主翼で上下動して進路を変える翼です。ラダーは方向を変える舵のことで、この機体はエルロンを使わずラダーのみで旋回します。つまりパイロットが垂直尾翼の舵を操作して、左右に曲がるタイプの飛行機ですね」
湖景ちゃんが、そっと補足してくれた。湖景ちゃんからは用語がすらすらと出てくる。確かに索は、胴体の中をコックピットから垂直尾翼へと通す構造になっている。
「教官、僕にも理解できました。重要な部品ですね」
「飛行機に重要でない部品はないが、とりわけ重要な部品の一つだろう」
そこで名香野先輩が口を挟んだ。
「それは理解していますが、こういう力の伝達系には固さとか遊びとか、独特の部分があると思います。滑車の位置は何度も確認したので問題ないと思いますが、張り具合とかは、この程度で本当にいいのでしょうか」
さすがに機械については、僕や湖景ちゃんより目が行き届く。こんな質問が教官にできるだけでも、名香野先輩の存在は大きい。教官はすぐには答えず、実際に部品を引っ張ったり、位置を見たりしながら答えた。
「ああ、問題はない」
「でも……」
「何か気になることでもあるのか、名香野」
名香野先輩は、素人だからと差し控えていたらしい疑問を、口にした。
「全体が少し重い気がするんです。索を通した滑車のせいかもしれませんが。これで本当に舵を動かせるのでしょうか」
教官がもう一度、索を引っ張ってみる。
「ふむ、重いといえば重いが、金属製だから、こんなものではないか?」
「……」
そう言われると、素人には反論のしようがない。
「ペダルは足で踏み込むから、腕で動かすより力が大きい。宮前の筋力なら十分に動かせるはずだ。それにあまりに動きやすいラダーというのも、かえって操作しにくい。LMGは長時間飛行するわけではないから、体力面でも問題がないはずだ。もっとも最終的には宮前が実際に使ってみての判断にもなる」
「そうでしょうか」
「名香野。この先、調整の機会はいくらもある。今大事なのは、まず飛行機として可動できる状態を作ることだ。何もかも最初から完璧に作ろうとするな」
「……はい」
名香野先輩は機械はよくわかっていて作業が大胆にもなるが、やる以上は最初から完璧に仕上げるタイプだろう。そのあたりが「委員長」という仇名の所以でもありそうなのだが。
去り際に教官が僕に耳打ちをした。
「平山、お前はまったく空気が読めない男だが、素人らしい純粋な感覚は貴重だ」
「は……?」
教官に馬鹿にされているのか、ほめられているのか、よくわからない。
「俺の方でも目を配っているから、平山、お前はお前にできることを考えて動け。それが最終的にチーム全体のためになる」
そう言って、教官はグラウンドに戻っていった。